毎朝いつものように午前4時に目覚めるものの、初めのひと月以上はそのまま起きてブログとは別の文章を紡いできたが、公開するわけでもないので、何も決まった時間にやらなくてもと思い、最近は目覚めてもそのまま2度寝をするようになってしまった。まァ、一種の堕落であって、ほめられたことではないが、自分自身ではそれも良いではないかと、自分にはとても甘い態度なのである。
そういう体たらくはさておき、休筆を宣言した時に、再開は2、3カ月後と書いた。それでつい最近、久しぶりに我ブログを開き、訪問者数を記録している欄を覗いてみたら、何と60人から80人近い人たちが毎日のように開いてくれていることを知った。
これはとても意外なことで、大方の人は忘れてしまっただろうと思っていたのだが、そうではなく、逆に再開を待ってくれているのかしらん、などと自惚れる始末だ。近しい友人からも、いつになったら再開するんだなどと聞かれたりもする。そんなことで、とりあえずの再開見通しを書いておいた方がよさそうかな、と二乗三乗に自惚れた次第なのだ。見方によっては、相当図々しい態度かもしれないが、苦笑いでもしながら、眉に唾でもして読んでもらえばよい類のものである。
休んでいるのにはそれなりの理由があるのだが、そのことの総括はいずれすることがあるかもしれない。
仕事は6月で終え、晴れて「自由人」の仲間入りを果たしたので、日常的には毎日が日曜日であり、特段忙しくしているわけではなく、強いて挙げれば、これから先、何をしていこうかと模索しているような状態である。
晴れれば自転車で運動しながらあれこれ考えごともするし、時たま遭遇する目を見張るような景色に感動したりもしている。
月に何度も乗れなかった現役時代に比べると、太ももの筋肉が以前より付いたようだし、有酸素運動だから循環器などは快調そのものである。
毎週日曜日には円覚寺に出掛けて坐禅のまねごとをしてくるし、酒や遊びに誘われればいそいそと出かけて行く。
妻は長年続けている稽古事やら何やらで、結構忙しくしていて家を空けることも多いので、特に平日は別行動の日々である。
ただ、人混みに分け入ることはほとんどないので、きれいなオネエサンに出会う事もめっきり減ってしまい、それが少し寂しい。
そんな日々の中で、やはり季節の移ろいなどというものには結構敏感になり、そういう微妙な変化を発見するのも楽しみなことだという事に気付き始めている。
幸なことに、暮らしているところが周囲に自然が比較的残っているので、そうした変化に気づきやすく、我狭い庭にもちょっとした変化はあらわれるもので、古からの日本人の繊細な感性というものの理解に役だっている気がするのだ。
ま、そんな平凡な日々を過ごしているのである。
ならば、さっさと再開せよと言われるかもしれないが、完全な再開はもう少し先になりそうである。
見渡せばアベなんちゃらの一挙手一投足に腹が立ち、憤懣やるかたないのだが、任期延長まで画策している様子からは独裁政権の匂いすら立ち上ってくる。そういう政治家をいつまでのさばらせるつもりか、と我同胞には問いたいが、独裁政権や独裁者が民主的な手段を踏んで現れるという事は、歴史が証明しているところで、またぞろ歴史の繰り返しが起きる気配が濃厚なのではないか。しかも日本に限らず、世界の成熟した民主主義国家と言われるような国々でも程度の差はあっても、同じ傾向が出始めていることに注意を払う必要がある。
そんな、心穏やかならざる情勢が繰り広げられているとはいえ、自分自身の気持ちを整えるにはいましばらく時間が必要な状態なのだ。それまでは気が向いたら、その都度何か書ければなぁとは思うが、それも当てにはならない。近況はそんなところです。
円覚寺境内で見つけた彼岸花
茎にぶら下がったまま赤い実をのぞかせるホオズキ
白壁に秋の山野草が優しく揺らぐ
ワレモコウと彼岸花、コスモスの競演
久しぶりに尋ねた東慶寺の庭は手の入らない自然の草むらのようで、すっかり秋の装いになり、落ち着いた雰囲気を醸し出していた(3枚とも)
近所の緑地で葉の落ちたサクラにカラスウリがからまって、ひと目見た時はオッ、柿が成ってる!と思ったほどに朱色が鮮やかだった
同じ緑地の木々の足元にツリフネソウの群落を見つけた=いずれも9月25日
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