2月があっという間に通り過ぎるのも毎年のことで、今年も宇宙の運行は順調らしい。
明日からは弥生が始まるわけで、いよいよ長かった今冬の寒さともお別れの時がやってきた。
昨日も初音を求めて広町緑地まで30分ほどの道のりを歩いていってみたが、時折「チャッ チャッ」という笹鳴きは聞こえてくるが、澄み切った声で鳴くあのホーホケキョォ~はまたもや聞けなかった。
唄を忘れるのはカナリヤで、ウグイスが歌を忘れたという話は聞いたことがないから、そのうち聞けるはずだが、何とも待ち遠しいものである。
明日は春一番が吹いて、それに雨も混じって嵐のようになり、気温も20度くらいにまで上がるらしいからいよいよウグイスにもその気になってもらわないといけない。
先週の金曜日に広町緑地を歩いた時は曇り空で時たま青空がのぞく程度でそれほど寒くもなかったのだが、広大な緑地で人っ子一人すれ違いもしなかったのが、昨日は少し寒さが緩んだせいか、入園前くらいの幼児の一団と幼児の人数分のお母さんたちが所々でグループを作って日向ぼっこをしていたし、ストックを持って歩いているおバアさん、犬を連れて険しい山道に分け入っていく中年女性、短パンとランニングシャツで手足をむき出しにした格好で急傾斜の階段を駆け下りてくる若い男、カメラを首からぶら下げてキョロキョロしているボクと同年代と思しき男性など、随分と大勢の人たちとすれ違った。
みんな本格的な春の到来を待ちかねた連中である。
ところで、木道ですれ違ったカメラを首から下げてキョロキョロしていた男性などは、用心しなくてはいけない。
なにせ、この国には反対の大きなうねりを強引に押し切ってアベなんちゃらが成立させた共謀罪が施行されているのだよ。
覚えているだろうか。国会論戦の中で花見に行くのか、はたまたよからぬ企みを秘めて事前の下見に行くのか、どうやって見極めるのだという議論があったのを。
カメラなんか首からぶら下げてキョロキョロ歩いていたら、それこそ挙動不審をとがめられるより前に即警察に引っ張られて行くことだろう。
今はまだそうした状況には至っていないが、いつそのような状況に置かれるのか分かったものではない。
戦前戦中に猛威を振るった治安維持法は、時が来るまでは忘れられたような存在でほこりが積み重なったような法律だったのだ。
それが突如鎌首をもたげてきて善良な、それこそ何も悪いことをしていない、しようとも思っていない善良そのものの市民たちに襲い掛かったのだ。
今の共謀罪がいつ鎌首をもたげてボクたちに襲い掛かって来るか、知れたものではないのだ。
今またアベなんちゃらは経済界の言いなりになって働く人たちを定時を越えてタダでこき使うための「乾いたぞうきんを最後の一滴まで絞るための法律」というものの成立に血眼になっている。
国会の舞台では名前こそ「裁量労働制」とかいう包み紙にくるんで如何にも働く側に裁量の余地がありそうな幻想を抱かせるが、どっこい裁量権は使用者側にある事を隠している姑息さである。
この法案を作成するための基礎的なデータとして用意したデータが間違いだらけだったことが次ぎ次ぎに明るみになって、法案そのものの信頼性が揺らぐことになってもそんなことはどこ吹く風である。
カエルの面に小便とはこのことで、旦那衆に媚びを売るだけで芸の一つも出来ない半端芸者そのものの哀れな姿を、じっくりと有権者が見ているのだということなぞ眼中にもないらしい。
かくしてまた共謀罪同様の、何の悪意もない善良な市民を締めあげて黙らせ、くたくたになるまでタダ働きさせる法律というものが産声を上げるのである。
産声? 多分これまで耳にしたこともないような泣き声なんだろうね。
のんびり初音なんて待っている場合じゃないかもしれないが、既に労働市場からは撤退した身である。
現役諸君の目が節穴でないことを祈るばかりだ。
江ノ島は春霞に浮かんでいるように見え
その江の島の北側、住宅に迫られてはいるものの奇跡的に残された48haもの広大な緑の塊が広町緑地
泥にまみれて駆け回る小さな子たちの歓声が聞こえ
緑地の奥から流れ出て来る水はぬるみ始めてキラキラ輝く
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