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平方録

たかがたくあん されどたくあん

見出し写真は円覚寺のホームページから入って横田南嶺管長が法話や日々思うことなどを綴っている「管長のページ」に掲載されていたものを(勝手に)拝借してきた。
禅寺の三度三度の食事に欠かせないたくあんの漬け込み作業を修行中の雲水たちに率先して行っている管長の姿(写真の右)は、在家のわれわれには珍しい光景である。

円覚寺のたくあんはダイコンの一大生産地である三浦半島のダイコンを漬けているらしい。
半島にある末寺の手を借り、檀信徒の家を回って数本ずつ頂いてくるのだという。
名付けて「大根鉢」というそうで、家々を回り玄関先で読経して約400本を集めるんだそうな。
その大根鉢が1月、そして頂いたダイコンを末寺に預けて水分が抜けるまで干してもらい、2月早々に引き取りに行き、本山に戻って漬け込むんだそうだ。
ひと樽に80本~90本を漬けると書かれているから1年分として5樽ほどをつけ込む勘定である。

年末には餅つきで雲水たちを指図して自ら杵を振るっている光景なども管長のページで紹介されていたから、率先垂範は板についているらしい。
なかなか楽しそうだなぁとも思うのだが、あちらはれっきとした修行の一環なのだから、俗世の気楽さ、ノー天気さとは無縁なんだろうなとも思う。
というのは建前で、日々苦しい思いで修行に励んでいる雲水たちの心のどこかにも「正月を迎える」という、どことなくほっとした気持ちも湧いてくるのではないか。
そんなところに頭上から「喝っ!」なんて、よほどのことがない限り降っては来ないだろう。

そんなことはともかく、禅寺の食事にたくあんは欠かせない。
欠かせないというより、これがないと食事にならない。
何せ食事の度に出されるものだし、朝は粥にたくあん2切れだし、昼も同じ、夜はたまに野菜と豆腐の味噌汁が出るくらいでメーンは粥とたくあん。
ボクが経験したのは東京オリンピック2年後の1966年の高3の夏のことで、思うところあって円覚寺の在家道場である居士林に10日ほどお世話になって坐禅をさせてもらった時に遡る。
もう55年も前のことになる。

そこで驚いたのは質素な食事だということはもちろんだが、たくあんを音を出さずに食えという。
禅宗では坐禅以外にも掃除洗濯、食事も含めて一切合切が修行なのだと教えられ、食事中に音を出すことはご法度である。
音を出さないように食べるにはジンワリと噛むしかなく、それだって力を入れ過ぎるとパリッと音が漏れてしまうから念には念を入れてじわじわ上下の歯を近づけるのである。
その集中力! 
こんなところでも修行させるのかという思いである。
音を出さずにたくあんを食べるというのは、口で言うほどたやすいことではなく、かくいうボクは何度も噛まずに飲み込んだものだ…

しかし、これぞ禅寺の深謀遠慮かと思ったものだが、ゆっくりゆっくり噛むことによって、ダイコン特有の甘みというか辛さというか、はたまた糠とダイコンのうまみが溶け合ったような独特の味が口中にジンワリとしみ出してきて、これが並のおかず以上に白い粥にアクセントをもたらしてくれるのだった。
たかがたくあん、されどたくあんなのである。

そして粥をすすり終わった後の碗に白湯を注ぎ、一口だけ残しておいたたくあんできれいに内側を掃除して、それをすべて飲み込んで食事は終わるのである。
たくあん無かりせば禅寺の食事は成り立たず…たくあん恐るべし! なのである。

円覚寺僧堂の味ってやつをひと口味わってみたいけれど…
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