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平方録

暦通りに行くかなぁ

暦の上では今日9日から13日辺りまでを立春の次候「黄鶯睍晥」というそうだ。
オウコウケンカン(ス)と読み下し、「うぐいすなく」と読ませている。
まさに初音の時期のことで、暦に年明けの2番目の候として登場するくらいだから、古来、如何に人々が寒さの底で春を告げるウグイスの鳴き声を今や遅しと待ちわびたことか、その心の在りようが浮かび上がってくる言い回しだと思う。

土曜日曜とダウンジャケットが邪魔な18℃近くまで気温が上がり、この調子なら暦通りに鳴き出すんじゃないかと期待が膨らんだ。
しかし、昨日は最高気温が11℃位までしか上がらず、北風の冷たい1日に逆戻りしてしまった。
ひょっとして気の早い奴がいて「もう待ち切れん!」とばかりにさえずり始めるんじゃないかと期待して1時間余り、近所の尾根道や薮のある場所を選んで歩いてきたが、うんともすんともなかった。

あの北風の冷たさでは無理もない。
生憎、今日9日も暦とは裏腹に最高気温が一けた台に留まる冷え冷えとした日になるらしく、今日の初音も無理っぽい。
ちなみに去年ボクが耳にした初音は18日だった。
大自然が人の都合で動いてくれるわけでなし、ましてやボク個人の願望通りに行く義理も道理もないのだから、いつになるかはウグイスのみが知ることろであって、それを首を長くして待つのもまた風流だと思わなくてはいけない。

得てして自然界というのは、こちらが何の期待も関心も抱かないでいるような時に、突如、不意を突いてくるものなのである。
心に何も求めていない状態で不意を突かれるというもの、これがまた実に新鮮なインパクトを与えるもので、「おお!」と我に返らされて欣喜雀躍するのである。
第一、大自然がボクのシナリオ通りに進むような底の浅いものだったら、面白くもおかしくもない。

待ちわびる心…それこそが貴重で大切な心の動きと言ってよいだろう。
何かを待ちわびるものがあるということ、それを楽しみにしてじっと待つこと…そういうものがあるだけでヒトは幸福、喜びを感じることが出来るのだと思う。
ましてや今の時勢においておや、である。


(見出し写真はわが家の2階ベランダの陽だまりで咲くアネモネ 咲き始めは初々しく如何にも恥ずかしげに花びらの開き具合も遠慮がちだったが、1週間が過ぎた今では…)
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