あと一ヶ月で東日本大震災から一年が経つ。
まだまだ復興といっても進んではいない。
悲しみに耐えながら生活をしている方もたくさん。
最近「絆」ってことを良く使う。
メニューの中にまで「絆」が使われていたり、絆チョコまである。
ん?この言葉の使い方を間違えていない?
絆とは断つことのできない人と人との結びつきを言う。
災害地の復興を日本全国の人々が助け合う。
素晴らしいことだが、この助け合いもなんとなく一時的な事で終わってしまうような気がする。
災害地の人達は復興の前に瓦礫の処分に困っている。
県外の処分施設にお願いしたいと要望があり、それを地方行政が受け入れようとするとそこの住民が反対をする。
理由は「放射能」実に冷たい人間が多い。
確かに放射能は心配だが、瓦礫に限らず放射能は存在する。
しかし、瓦礫の放射線量をしっかり計測し処分する訳なのだから受け入れてあげませんか?
反対する人間に問いたい…
災害地の住民が引っ越してきたら困るの??
受け入れないの?
私は相手の気持ちになってすこしは考えてみる事が必要だと思う。
災害は何処でおきるのかまったく予測がつかない。
何時か自分の地域に同じような事があるかも知れない。その時に同じように受け入れを拒否されたらあなたはどう思いますか?
絆という言葉だけ歩きだしているような気がする。