今日は休日、ホ~リデ~♪(毎週末、こんなフリですね...(^^;))
最近、模型制作から脱線ぎみなので、少し軌道修正を...図れるかどうか...(^^;)、本日は製作に勤しみました!
今週、仕事をしながらふと思いついた構想(というより思いつき!)を
実行するべく、
ハセガワ48、F-8J”ラストガンファイター”(!)を弄りました。
実行するべく、
ハセガワ48、F-8J”ラストガンファイター”(!)を弄りました。
GWにサフ吹きっぱなしで、例のごとく放置していたものです。
全体を軽くエナメル用シンナーで拭いてから、インシグニアホワイトをエアブラシ。
当初このF-8は、空母搭載の制空戦闘機として作りたいと思っていたので、
主翼のパイロンはつけないつもりでした...。”最後の”ガンファイター(!)ですから(^^)。
主翼のパイロンはつけないつもりでした...。”最後の”ガンファイター(!)ですから(^^)。
(ちょっとうんちく...です)
F-8Uクルーセイダーが就役し始めた当時(1950年代後半)は、それまでの搭載機銃による戦闘から、赤外線追尾による誘導ミサイル万能論が台頭してきていました(ですよね?)。当時の主力(?)艦上戦闘機であるF-3Hデモンも、F-3H3Mといったミサイル運用可能な型が開発されたりしています。更に続くF-4Hファントム(Ⅱ!)になると機関砲を全廃し、胴体埋め込み式のAAMスパローやサイドワインダーといったミサイルを装備するようになりました(あってる?)
...という背景があって、この”ラストガンファイター”。西部劇のガンマンみたいで、個人的にはカッコイイ!と思っております(^o^)。
F-8Uクルーセイダーが就役し始めた当時(1950年代後半)は、それまでの搭載機銃による戦闘から、赤外線追尾による誘導ミサイル万能論が台頭してきていました(ですよね?)。当時の主力(?)艦上戦闘機であるF-3Hデモンも、F-3H3Mといったミサイル運用可能な型が開発されたりしています。更に続くF-4Hファントム(Ⅱ!)になると機関砲を全廃し、胴体埋め込み式のAAMスパローやサイドワインダーといったミサイルを装備するようになりました(あってる?)
...という背景があって、この”ラストガンファイター”。西部劇のガンマンみたいで、個人的にはカッコイイ!と思っております(^o^)。
...しかしながら、このミサイル万能論、1960年代中盤から激しさを増したベトナム戦争では、北ベトナムのミグとの戦闘において意外な苦戦を強いられました。
実際、朝鮮戦争当時と比べても、キルレシオ(空対空戦闘における、米軍の撃墜率)が非常に下がったという報告がされているようです。
実際、朝鮮戦争当時と比べても、キルレシオ(空対空戦闘における、米軍の撃墜率)が非常に下がったという報告がされているようです。
ベトナム戦争序盤当時、米空母搭載の主力戦闘機はF-4Bファントムが主役
になりつつありました。しかしながら大型のF-4運用能力を持たないエセックス級空母では、F-8が甲板上でがんばっていました。ミサイル万能論を尻目に、F-8部隊では日々機関砲とAAMサイドワインダーを活用した空対空戦闘の訓練を地道に続けていたそうです。
その成果が後のミグとの戦闘に役立ち、続々と撃墜戦果を上げていきました。
になりつつありました。しかしながら大型のF-4運用能力を持たないエセックス級空母では、F-8が甲板上でがんばっていました。ミサイル万能論を尻目に、F-8部隊では日々機関砲とAAMサイドワインダーを活用した空対空戦闘の訓練を地道に続けていたそうです。
その成果が後のミグとの戦闘に役立ち、続々と撃墜戦果を上げていきました。
当初、時代遅れとみなしていた上層部もこの成果に重大な関心を持ち、後の”トップガン”につながっていった、というのが、このウンチクのサゲな訳です(^^;)
...違ってたらスミマセン、世傑の受け売りで~す(汗!)
ウンチクで満足したので...製作記録を...(^^)
ある構想(思いつき(!))で、必要になったので慎重に位置を決めてピンバイスで0.5ミリ径の穴を開けました。更に取り外しが出来るように、パイロンには針金を埋め込んでみました。
...と、今日はこんなところです。(思い付きが、夢想で終わるか、心配ですが。)
F-8Jクルーセイダーを弄っていたら、A-4Fスカイホークをいっしょにならべたみたくなりまして...
静岡市方面へ車を走らせてきました。
タミヤ本社近くの模型店(○インボーテン)へ。2週間ほど前にハセガワのA-4F(ハンコック搭載機!)があったのを覚えていたので行ってみました。
...売れてました...orz。
気を取り直して”静岡鑑○団”へ!...ありません(^^;)
ならば、と”清水○定団”へ...ここもなし...orz。
しょうがない、手ぶらで帰るか~(落胆)、と清水インターから高速に乗って帰途につきました...が、諦めきれずに”藤枝鑑定○”へ、(しつこい?)
...ありました~!\(^o^)/
定価の30%引き、(こちらの通常の価格設定のようです)だったんですが...。
中身確認のためシュリンクを破いてもらい、見せていただく(中古品のため、希望すれば見せてくれます。デカールの状態、部品欠品など)と、
「おっ、デカールが入ってない。お姉さん、お値段もう一声!」ダメもとで聞いてみると、奥に入って上司と相談、2,3分後、「千円でなら、これ以上はちょっ...」、”っと”といい終わらないうちに「買った!」、即断でした(^^;)。デカールはなんとかなるでしょう~♪
...帰宅後、戦利品をつまみに晩酌です(^^)。
気分上々なので、”鑑○団”、ヨイショしておきます♪
...すっかり夜更かししてしまいました。
明日も、一日、ゆっくりしたいと思います(^^)。
当時20mm砲の運用が見直されてた時期ですね。やっぱ近距離の撃ち合いってのは残るもんですからねぇ・・・
音速の戦闘で撃ち合いって、至難の業なんでしょうね!