彼女は、男の子とも対等に取っ組み合いもする、
負けん気の強い女の子だった。
隣に住む一歳年上のお兄ちゃんと 小さな頃良く一緒に遊んだ。
3番目の子であるそのお兄ちゃんのお母さんは、其の子を産んだ頃から
顔が崩れてきた。らい病(ハンセン病)に罹ったとされる。
お母さんは、近所でも評判の美しいかただったのに・・・。
中学一年になったころから、其のおにいちゃんも
ハンセン病を疑われるようになった。
それからいつの間にか姿が見えなくなった。
あとから知ったのだが、お兄ちゃんは、朝暗いうちに
知らない場所に集められ 隔離されたのだ。
ハンセン病は、うつる!と言われていた頃だ。
お兄ちゃんのお母さんは 隔離される間もなく、亡くなったそうだが、
お兄ちゃんは、何処に行ってしまったのか?
彼女には知らされて居なった。
感染するというのは、絶対に違う!
彼女は、いつも取っ組み合いの時、お兄ちゃんに噛み付いていた。
それでも、うつらなかった。
ハンセン病への偏見と、確信していたそうだ。
お兄ちゃんの上には美しいお姉さん二人が居られたが、
お二人とも、嫁いで変わらずに暮らしておられるそうだ。
ただ、お兄ちゃんが居なくなり、お姉さんも嫁ぎ、
お父さん一人になられ、不自由を気の毒に思い、
彼女のお母さんが、食事を届けるなど お世話をされていたと、知り、
隔離から開放され、お父さんの墓参り後、彼女の実家に御礼に来られたのが、
テレビで放映されて、おにいちゃんのあれからの姿を見た!
1953(昭和28)年に「らい予防法」が、
患者の強制隔離や外出制限規定など、
それまでの基本原理を引き継いだまま成立。
1956(昭和31)年、ローマでの国際らい会議で、
「すべての差別法は禁止されること」と、非難されたにもかかわらず、
日本では 1996(平成8)年「らい予防法廃止法」の成立まで、
人権侵害を放置し続けた国の責任は重い。
故・筑紫哲也さんが、ハンセン病に関心を寄せ、
ジャーナリストとして痛恨に感じ報道を続けてくれたから
テレビを通じて お兄ちゃんに30年ぶりに会えた、と
彼女から聞いた話は、とても衝撃的な話だった。
特効薬プロミンが開発され、ハンセン病が治る病となってから、
「らい予防法」の廃止まで、50年以上の歳月が費やされた。
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