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メタボリックなお話

2006年6月13日の早朝、会社の会議室にそろった4人は変人ぞろいだった。といっても、こんな所で隠れ麻雀をやっていたわけではない。全員が前夜の日本―オーストリア戦を見ていなかったのだ。埼玉でこんなことを言うと赤シャツ隊に殴られるかもしれないが、私はここ数年のサッカーブームを苦々しく思っていた。極論になるが、オフサイドとベイサイドの区別もつかんおばはんまでが、旗持って騒ぐんじゃねぇよと言いたいのだ。

サッカーが嫌いなわけではない。母校で私の学年は高校サッカー兵庫県代表であり、校内草サッカーはずいぶんと盛んであった。従って見るのもやるのも好きなのだ。では、何に文句があるのかと言うと、時代に迎合しブームならなんでも手を出す輩が嫌なのだ。

Jリーグには好感を持っている。川渕三郎元チェアーマンの理念は非常に判りやすい。企業チームから決別し、地域密着のフランチャイズ制をしく。いわゆるレギュラーチーム以外にユース、少年達のチームを持つ。なにより、将来はサッカーのみならず、地域のスポーツクラブを目指すと言ったことに深く同意した。

折角育ったサッカーを、ブームで終わらせてはならないと思う。少子化を嘆く前にグランドへ芝を張ればよい。ちんけなゴルフ場一つ分の芝生で、何面のグランドが出来るか。芝があれば転ぶことが怖くなくなる。ボールなんか無くても、子供たちは走り回るはずだ。

私はドイツはフランクフルトの隣、ホイゼンシュタム市という、日本でグーグっても5件しかヒットしないマイナーなところで、市のスポーツクラブに入っていたことがある。ここが色んなスポーツ団体を統括しており、体育館や立派な芝のグランドがあった。国技のサッカーだけではなく、ドイツでは超マイナーな・・・私の所属したラグビー部もあったのだ。

ある時、フランクフルトのチームと試合があった。観客は近所の人だけ。それがサイレンやわけの判らん打楽器風の道具を持ち込み、熱の入った応援を繰り広げていた。選手もほとんどが市民で、ヒデやシュンスケはいない。隣のハンス、向かいのカールを地元のおじちゃんおばちゃんが応援しに来ているのだ。

因みにラグビー部には幼年・少年・学生・成年のチームがあり、私のような少数の途中参加組以外はみな下から上がってきた連中だ。ドイツでは進学組が少なく、人生のコースもまちまちなせいか、いろんな立場の人間が集まっていた。その彼らを子供時代から見守ってきた、近所のおじちゃん、おばちゃんが応援に来る。この町で不良になるのは難しいだろうなぁ。

試合や練習が終わると温水シャワーを浴び、こざっぱりとしてからクラブハウス内のバーでソーセージをつまみに一杯やるのが楽しみだった。これための年会費6千円は惜しくなかったが、ひとつだけ問題があった。それもわが社に。練習は5時過ぎから始まり、そのためには4時過ぎには退社しなければならない。たまにならともかく、毎週その時間は無理だ。参加はいつもバータイムからであった。お陰をもち、帰国する頃に筋肉はサシの入った特上赤身、網脂と背脂に変わっていた。
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