中華料理屋に行く事はあったが、横浜育ちの母は巻き揚げ派であり、店で餃子を食べた事が無い。そんなぼーずが初めて餃子屋なるものへ行ったのは、1970年、高校の頃だった。マセガキだったフクシマに神戸の赤萬へ連れて行ってもらったのが最初だったと思う。それまでは酢醤油にカラシという組み合わせだったのに、ここでは自家製ラー油や味噌だれがあったし、メニューが焼き餃子だけというのが驚きだった。
大学生になるとここへ良く通うようになった。生意気にビールが美味く感じられるようになると、赤萬のカリッと焼き上げた餃子は最高のつまみだったからだ。高校生時代は飯が無い(餃子だけなので)ため満腹にするにはいささかコストパフォーマンスが悪い店だったが、大学に入り、バイトで潤った身に5人前とビールで千円弱は格好の店だった。
この他にも当時の神戸にはひょうたん、きょうざ苑があった(今でもあるのが神戸の良さだと思う。最近のお気に入りは包君:パオクンという店だが)が、ひょうたんは赤味噌ダレで好みに合わず、またぎょうざ苑は地の利が悪く 結局、赤萬に落ち着いた。他も試したのだが全部底の抜けた餃子を食わされたりした事もあり、試すのを止めてしまった。なにせ信じられ光景だった。一列に焼き上がった餃子の端をつまむと・・60mm×180mm位の皮がペロっとめくり上がり、後には底の無い餃子が並んでいたのだ。どーやって食ったかも覚えていない。
その頃の赤萬はJR三ノ宮と阪急三宮(誤植ではござんせん。私鉄は三宮なんですな。阪神も三宮標記)の間にあるJR側の高架下にあった。老舗のJazz喫茶JAVAのすぐ近くだったと思う。カウンターだけの店で、赤塚不二夫似の小柄な兄ちゃんが一人でやっていた。オーナーは神戸大学の学生と言う噂があったが、真偽の程はあきらかでない。
その内、元町前に一軒、三宮-元町間にも一軒支店が出来た。今はその2軒が営業し、最初の店は閉めたままのようだ。元町店には無愛想なオバちゃんがいたが・・未だ無愛想なまま健在である。ネット上ではかなりの悪評ではあるが、ああまで変わらんとぼーずにとっては腹がたつどころか懐かしさすら覚える。
ここのいかんのは、態度の悪さよりも混み具合に関わらず、追加を認めない事だ。大勢が並び待ちをしているならともかく、食べ終わってもう1人前食べたいと思う事だってあるだろう。今度ガラ空きの時に、金を払い出てからもういっぺん入店してやろうと思っている。もっとも、壁には『お一人2人前以上注文してください』とあるので、二人前の余裕を残して退席しないといけないようだ(笑)。・・・まったく。
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