類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

神の国の掟

2012-12-19 21:51:34 | Weblog
我々は神の差し出す鎖に縛られています。
神に奉仕する奴隷。
それが唯一この国での存在の自覚です。
唯一この国でのハッピーな生き方なのです。
この掟を破ったらこの国では生きられません。
どんなに蹂躙され虐げられようとここではこの掟を破ることは死でしかない。
故にこの国の山を、森を、川を、土地を仰ぎ見て手を合わせるのです。
この土地の精霊に命を捧げるのです。

未来の党は敗れました。

2012-12-19 21:32:15 | Weblog
未来の党は敗れました。
日本国民から拒否されたダメージは大きい。
今回、間違いなく100%民主党は崩壊することは分かっていた。
だが国民の目には過激な尖閣のデモを見せつけられ、日本領土への侵犯が日常茶飯事となり、しかも北朝鮮のミサイルの脅威を直接肌で感じさせられた。
それは地震・原発・増税・TPP・官僚制度改革などの直近の日本国の課題を忘れさせるのに十二分の効果があったと言わざるを得ない。
選挙の本質とは意外とそのようなところにある。
未来の党は準備も資金も無かった。
雑草のような未来の党は消えて無くなるだろう。
しかし、雑草だから何時までも踏まれ続けても強く生き抜くであろう。
今回、民主党が前回の選挙で国民と約束したマニュフェストの主要な政策を全て反故にした。その点において離党せざるを得なかった国民の生活第一、そして未来の党の主張を見る限り全く正しかったのだ。
但し、中央集権国家として成立している日本国の国是からするなら彼らは農民一揆の反逆児で謀反の反乱軍でしかなかった。
間違いなくこの国、キラリと光る官僚が仕切っていた。
この国の神に仕える官僚が支配していたのだ。
神つまり天皇である。
戦前は直接統治であったが敗戦の為に戦後はその神が天皇からアメリカに移ったまでである。
この強固な中央集権国家の機構と思想に変革がない限り日本国は永遠の神と官僚の国家なのである。
小沢一郎は恐らくそこまで思想が到達していた。
だから革命家の道を選択し覚悟していたことだろう。
ある意味で日本国成立の根本に係わった。つまり、トラの尾を踏んでしまったのだ。
政治家と思想家の一方の偉大なる夢想と妄想に蝕まれたのかも知れない。
この国での実現は甚だ困難であり、不可能と言えたのではないか。
それにしてもそのような理想がもし実現されたと仮定した時、日本国及び日本国の民にとり大きな利益となるであろうか?
もっと更に素晴らしい国になるであろうか?
一種の伝統や歴史に対する挑戦でもあるからだ。
西洋が発明した民主主義。東洋の中国などが持つ伝統的政治体制。日本にとってどのような政治体制が真にハッピーと言えたのだろうか???


日本社会の病巣

2011-11-03 15:58:08 | Weblog
子の親殺し、親の子殺し。そして、人と人が、男と女が殺し合いバラバラにする。
日本社会のヒステリー、それは現実であり、事実である。
だが親はおぶった!親は子を抱っこした。
少なくとも子が何歳かになるまでは感激し、一喜一憂し、地面を叩き、足で蹴って大喜びし、夢中で走り回った。
それが親である。
つまり、親は子に自分の全てを夢見るからだ。
自分の夢を全て子に背負わすからだ。
だが子は別の実体。
子は親そのものではない。
しかし、当然、子の過ちは親が請け負わなければならない。
生きることはそもそもリスクを背負うことから始まるからだ。
人の形になり、人らしい顔になり、一人前の人間に育て上げる。
それまでの間、それは親と子の長く厳しい人間の闘いである。
どのような形になろうと決して放り投げはできない。
どのような育て方になろうと最後まで放棄できない。
一人前にして、一息ついてそして、その時、親はこの世とさらばなのだ。
それが人間界の摂理であり、動物世界の因果である。
社会的人間と金を稼ぐ人間がこの世界を主動する。
ならば親は一旦、創造した我が子が完成した人間へと形成され、力強く勇敢に立ち向かってゆくことを願っている。
我々はこの人間界へと一たび足を踏み入れたからにはそこで精一杯戦う戦士でなければならない。
しかし、前向きな戦いは堅持しなければならないが異常な手法は自己否定だ。
人をあやめ、傷つける殺傷の行為は全く夢のない、暗黒の行為だ。
どんなにこの世が不条理で矛盾に満ちていようとも選ぶ手段は合法で合理でなければならない。
そして、人類の発展を大前提にしなければならない。
日本で生まれ育ったからには日本の発展を願い、日本の発展に寄与してゆくことだ。
どんな政治談議がされようと日本を売ってはいけない。
独立国家としての身分は健全で力強い発展を目指さなければならない。
家も国家も一つの単位である。
その単位が人類を形成する。
生きとし生けるものにこそ天下があるのだ。
それは即ち人類への責任である。
国家への責任である。
民族への責任である。
家族への責任である。
即ち人類愛を原点としなければならない。

スカイプさんとの・・・

2011-10-31 06:31:00 | Weblog
がめんがとまっちゃったよ
せいしじょうたいだよ

画面が止まちゃったよ
静止状態だよ

きれちゃった
切れちゃった

がめんがあらわれないよ

画面が現れないよ
うつってないよ
映ってないよ

ふあんていだね
不安定だね
きょうはへんね
今日は変ね

やっぱりおかしいよ=やっぱり可笑しいよ
きょうはだめだ=今日は駄目だ

しょうがないですね
しかたがないですね=仕方がないですね

きょうはあきらめよう=今日は諦めよう

なんだかへんね=何だか変ね
きこうのせいかしら=気候の所為かしら

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今日もお付き合い嘆いている

救いを求めて

2011-10-30 22:37:20 | Weblog
「神」が存在するなら救いを求めよう。

だがきっと「神」は公平に違いない。

だとすればこの人生は失格だ。

きっとたくさん「神」に背いてきたと思うからだ。

今更「神」に向かい祈りを捧げようとは虫が好過ぎる。

人生の壁に突き当った為、物乞いに転じたと見られても仕方があるまい。

これまで振り返れば「神」とは共に歩んできたとは言えない。

尊敬も祈りも捧げてはいない。

ただ、困った時だけの「神」でしかなかった!

この罪こそ償う必要がある。

そうではないか?

一人になった時、自問する。

孤独になった時に自省する。

そんな頼りない人生をやってきたことを嘲笑う。

お前!覚悟しなさい。

資本主義の社会で、人類は自然を乗り越えたと錯覚していたのだろう。

それでもせっせと神の下に詣でて膝間着く人々の何と多かったことかを知るべきだ。

酒も女も金も全て捨てた一人身に残された空間で洗礼を受ける。

それが恥多き一生の終着駅である。

今、自らを憐れみ神に救いを求める。

そして、地の中に横たわり、夢を繰り返し見続ける。

やさしき子守唄のような歌を呟きながら瞼を閉じる。

するとゆりかごに揺られるかのように安らかな世界へ誘う。

救いを求める。

即ちそれは永遠への旅への出立であった。