類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

再び枯渇

2010-12-11 10:36:14 | Weblog
絞っても、逆立ちしても出て来ない。

夢遊病者が寧ろ羨ましい。

全くの抜け殻になる。

悔しさも、歯がゆさもパワーもみなどこかへと消えている。

野良犬でもない。野良犬はまだ飢えている。ふらふらほっつき歩いても獲物を狙っている。

「枯渇」は女性でも男性でもないクラゲのような姿である。

いざ、「枯渇」がやってきたなら大きな太陽の強い日差しも大海の潮も意味を持たない。

我らが恐れるもの、それは「枯渇」に他ならない。

腑抜けの枯渇よ

それは生きる屍

目標も生きる意欲も全て見失った

全てがお構いない

それこそもしかすれば究極の人生

そして、終焉なのだろう

「出発」は何時も寄り添うように訪れる

2010-11-25 13:24:49 | Weblog
新たなブログへと筆を進める。
それはトライだからさ。
生きてることそのものがトライだからさ。
だから出発は何時も訪れるのだ。

果たしてフリーブログから何が発信されるであろうか。
筆者自身もまだ分からない。
兎に角、新しい船に乗船したかのように晴れ晴れとした気持であることは確かさ。
そうさ、その気持ちを大事にしてきたのではなかったのかい?
それを人生だと思い込み・・・!
喜望峰も大西洋もだ。太平洋もだ。
バスコダガマ・マゼランはこの地球から発したのだ。
この大地から櫂を漕いだのだ。

地球も、宇宙への旅も既にこの地球の人類の共通の財産となったのだ。

アメリカが背負ったもの。ロシアが再び背負おうとしているもの。そして、チャイナがそのプライドをかけて主張しなければならないものはこの地球上では必要不可欠なのだ。
そこで果たして日本は主張し、発信できるのだろうか?
地球を背負うと言うことは一体、何であったのか。
その責任と限りない葛藤と戦いは無限で永久なのだ。
ならば一体、日本は何を背負おうとしているのか?
何を一体、背負ったと言うのか?

否、日本は地球に人類に多大の貢献をしている。
そう確信している。
そして、これからもと考えている。
日々の戦いは実に獰猛でパワフルである。
いざ、日本は日本に負けてはならない。
日本は地球上の全てのパワーに怯んではならないのだ。
勇敢でなければならない。
しかも積極的な合作を躊躇してはならない。
そして、戦略を駆使しなければ淘汰される。

科学文化の発展。
政治外交の戦略の進化。
譲れないことはまだまだたくさんある。
だからこれからなのだ。
後ろを向いている暇などはない。
だから何時も出発が必要なのだ。
国家も地球も人類も皆、同じさ。

だからこの私一人の中でも出発は一生寄り添うのだ。
つまり、それは人生の最愛のパートナーだからさ。
.

コト コト コト ポキ ポキ ポキ

2010-06-19 13:02:31 | Weblog
コト コト コト ポキ ポキ ポキ

体がロボットになる

風化した石窟やピラミッドにも似た情景が自らの肉体の中で化学反応する

コト コト ポキ ポキ

既に宿る生命は見当たらない

コト ポキ

だが眼光はひかりを増す


日本国の悲惨

2010-05-20 08:46:14 | Weblog
自国のリーダー達に尊敬の念すら持たずに批判と攻撃ばかりして凶弾する日本のマスコミの在り方は外国では出会わない。
悲しい戦後日本の実態である。

その原因は「敗戦」したからである。

以来、国民は政治家を信用・信頼しなくなった。
国家を崩壊へと導いたからだ。
敗戦は即外交の失敗とイコールである。

「外交の戦い」は政治の最大のアイテムである。
そこで負けてしまった。
国民は容易に政治家には信頼を置けない道理が成り立つ。

しかし、その敗戦から日本は既に70年近く経っている。
ところが旧体制のマスコミは口汚く未だにずけずけと傲慢にも政治家を揶揄して憚らない。
このような日本の現状に驚きと落胆を隠せない。

もし、健康で健全な一国が存在するとしたらその国のリーダーは光り輝いているはずだ。
国民からは敬意と羨望の眼差しで見られているはずだ。
それが日本では皆、「政治はちょっと・・・・」と丸っきり相手にしたくない態度をとる。

このようなことは不自然である。
しかし、どの階層のどんな日本人でも同じような理解をしている。
自分たちの国家を生活の環境を良くするために選んだ政治家を良くは思っていないのである。

一種の負い目を持っている。拘りと蟠りが深層心理に明確に刻まれているのだ。

不思議だが原因があったからからだ。
しかし、これは全く本末転倒である。
あり得ない話だ。

つまり、国家の単位である家庭をとってみれば理解できる。
もし、自国のリーダーを口汚く罵っていれば一国つまり、一家のリーダーである父の権威を蔑にする同じ原理となるはずだ。父に唾することと同じだ。

つまり、それは国家崩壊を意味しており、同時に家庭崩壊と同義語の方程式が成立する。
この病的情況から日本は脱却しなければならない。
このような自らが国家のリーダーに罵声を浴びせる風潮がメディアを中心に大手を振って日本国を平気でしかも堂々と肩で風を切っている。

これは見過ごすことができない。

正常ではない。素朴で健康な感情と自然な基本的精神から逸脱している。
国家を語る前に日本は先ずしなければならないことがあるように思う。
日本人は皆、縄文時代に立ち返ることだ。原点に返ることだ。自然に原始に帰るべきだ。

今までのままでは再び他国には負けてしまう。
日本は戦後運よく経済だけが突出したが日本人の精神は多くの国家の民の精神には及ばない。
健康で誇らしい精神文明からはかけ離れている。


さようなら

2010-05-20 05:55:33 | Weblog
さようなら

ポッポッポッ・・・・・・

夜汽車の遠吠え