類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

日本国の悲惨

2010-05-20 08:46:14 | Weblog
自国のリーダー達に尊敬の念すら持たずに批判と攻撃ばかりして凶弾する日本のマスコミの在り方は外国では出会わない。
悲しい戦後日本の実態である。

その原因は「敗戦」したからである。

以来、国民は政治家を信用・信頼しなくなった。
国家を崩壊へと導いたからだ。
敗戦は即外交の失敗とイコールである。

「外交の戦い」は政治の最大のアイテムである。
そこで負けてしまった。
国民は容易に政治家には信頼を置けない道理が成り立つ。

しかし、その敗戦から日本は既に70年近く経っている。
ところが旧体制のマスコミは口汚く未だにずけずけと傲慢にも政治家を揶揄して憚らない。
このような日本の現状に驚きと落胆を隠せない。

もし、健康で健全な一国が存在するとしたらその国のリーダーは光り輝いているはずだ。
国民からは敬意と羨望の眼差しで見られているはずだ。
それが日本では皆、「政治はちょっと・・・・」と丸っきり相手にしたくない態度をとる。

このようなことは不自然である。
しかし、どの階層のどんな日本人でも同じような理解をしている。
自分たちの国家を生活の環境を良くするために選んだ政治家を良くは思っていないのである。

一種の負い目を持っている。拘りと蟠りが深層心理に明確に刻まれているのだ。

不思議だが原因があったからからだ。
しかし、これは全く本末転倒である。
あり得ない話だ。

つまり、国家の単位である家庭をとってみれば理解できる。
もし、自国のリーダーを口汚く罵っていれば一国つまり、一家のリーダーである父の権威を蔑にする同じ原理となるはずだ。父に唾することと同じだ。

つまり、それは国家崩壊を意味しており、同時に家庭崩壊と同義語の方程式が成立する。
この病的情況から日本は脱却しなければならない。
このような自らが国家のリーダーに罵声を浴びせる風潮がメディアを中心に大手を振って日本国を平気でしかも堂々と肩で風を切っている。

これは見過ごすことができない。

正常ではない。素朴で健康な感情と自然な基本的精神から逸脱している。
国家を語る前に日本は先ずしなければならないことがあるように思う。
日本人は皆、縄文時代に立ち返ることだ。原点に返ることだ。自然に原始に帰るべきだ。

今までのままでは再び他国には負けてしまう。
日本は戦後運よく経済だけが突出したが日本人の精神は多くの国家の民の精神には及ばない。
健康で誇らしい精神文明からはかけ離れている。


ためらい、あきらめたが

2010-05-20 05:26:41 | Weblog
パソコンに向かうのに疲れた
目も体も気力も皆、疲れた

小さなベッドに身を横たえる

パソコンよりも眠りを
体を休めることが生きる証しだ

パソコンは人を傷つける
目を体を気力を酷使する

だから今、パソコンからコンピューターから体を離す

それが天才詩人の発想だ

自由を既に奪われたことに怒り嘆いたのだ

ベッドが体を精神を必ずしも癒してはくれない
しかし、そこに身を預けるしか方法はない
だから大海に身を投げるようにベッドの海に沈む
だが決して気は休まらない

時の刻みと心臓

2010-05-20 05:22:32 | Weblog
チックタック 時は刻まれる
チックタック 時は過ぎゆく
誰が許したのだ
誰が決めたと言うのか

誰にもこの時の流れを遮ることはできない

誰が許したのだ
誰が決めたと言うのか

この残酷な時のリズム
この非情なな時の響き

おーいと叫んでも時を止めることはできない

その前に心臓が止まった