▼1980年頃には、赤坂見附の弁慶橋を渡る20人前後の体に合わないサイズの背広姿の一団をよく見かけたものです。
おせじにも「スーツ姿」の世界ではなく、100歩譲って、「上下の背広」というべきか。。。
▼この御一行さんが、日中有効商社という日本側の中小貿易会社のアテンド担当者に引率されて、外堀通りを地下鉄赤坂見附駅はさんで反対側の通り、今はエスプラード赤坂通りの名称になっている通りにある赤坂飯店での食事に向かう光景でした。
kazanは、赤坂飯店の昼の定食で食べる、マーボー豆腐は大好きでしたが、これは余談。
当時の中国市場などは大手商社は見向きもしませんで、大手商社はもっぱら円借款プロジェクトやODA専門で、弱小の日中有効商社とは完全な領域が別れていた時代です。
▼なぜ、弁慶橋?という疑問もあると思いますので、種明かしです。
実はご一行さんは、ホテルニューオータニの旧館に部屋をとります。
旧館は上からみると、Y字型に、中央か三方向の建物が伸びており、その真中がエレベーターホールです。
つまり、エレベーターホールから三方向に伸びる通路・廊下があって、その通路を挟んで客室がならび、その一番奥に非常階段があったかもしれませんが、あっても普段は閉まっています。
そして団体は一本の廊下を挟んで並ぶそれぞれの部屋に宿泊しますが、最もエレベーターホールに近い2つの部屋にはリーダー格が宿泊します。
▼理由は逃亡監視で、両サイドの最もエレバーターホールに近い部屋を取った監視役は、それぞれのドアを開放して、通路からエレベーターホールへ出る人間を監視するにはとても便利であるという環境であり、当時は20人30人の団体の時はこの構造がとても有効であったと、感心した思い出があります。
▼ちなみに、体にフィトしないスーツは、海外渡航用の使い回しのスーツで、お役御免になると、次なる日本訪問団に再利用される仕組みです。
当時を知る人には、その中国人が作ったアプリで、我々の情報を抜き取られるというような奇想天外展開は想像すらできなかったですね。
そのアプリが、日本語音声入力支援アプリで「しめじ・Simeji」です。