大阪市阿倍野区の松虫塚から東へ、阪堺電車の踏切を越え、松虫交差点を北へ少し行ったところにある、大阪最古のビリヤード場です。レトロな店内には4台の台がある。四つ玉台があるのは大阪ではここくらいだという。
南川千代さん(95歳)が1942(昭和17年)から営んでいる。女性ハスラーの千代さんは「玉撞き屋の千代さん」という小説にもなっている。著者は息子さんの南川泰三さんで、浜木綿子さん主演で舞台にもなった。現在千代さんは試合の審判役をするくらいで、娘さんの平田範子さんが引き継いでいる。
保名倶楽部の保名の由来は、昔この辺り保名と呼ばれていたからで、保名湯という銭湯があるし、郵便局も阿倍野保名郵便局という。保名とは、舞の演目にもなっているキツネに縁のある名前です。
時は平安時代。今の阿倍野辺りに住んでいた安部保名という武士が信太(しのだ)の森(和泉市)に行った際、狩人に追われている白ギツネを助けた。この時にけがをした保名の前に葛之葉という女性が現れて介抱する。2人は恋仲となり契りを結んで男の子をもうけた。実は葛之葉は、白ギツネが恩返しのために女性の姿に化けていたのです。それを知られた葛之葉は、心を残しながら信太の森へと帰りました。保名と葛之葉の息子が、後に陰陽師として活躍する安部晴明だという伝説があります。(2011年12月15日 毎日新聞)
レトロで雰囲気のある店内を、見学する機会がありました。玉撞きは全くしたことがなくて、習ってみたいなと思いましたが…
千代さんから引き継いだ、娘さんの平田範子さん。
安部晴明神社 平安時代に陰陽師(おんみょうじ)として活躍した安部晴明の生誕伝承地であり、寛弘4年(1007)にその死を惜しんだ花山上皇の命により創建されたと伝えられています。「今昔物語」等によると式神を使役し、占い事は神の如しと伝えられ、その特別な能力から、母親は信太の森の白ギツネとする葛之葉伝説が残されています。
南川千代さん(95歳)が1942(昭和17年)から営んでいる。女性ハスラーの千代さんは「玉撞き屋の千代さん」という小説にもなっている。著者は息子さんの南川泰三さんで、浜木綿子さん主演で舞台にもなった。現在千代さんは試合の審判役をするくらいで、娘さんの平田範子さんが引き継いでいる。
保名倶楽部の保名の由来は、昔この辺り保名と呼ばれていたからで、保名湯という銭湯があるし、郵便局も阿倍野保名郵便局という。保名とは、舞の演目にもなっているキツネに縁のある名前です。
時は平安時代。今の阿倍野辺りに住んでいた安部保名という武士が信太(しのだ)の森(和泉市)に行った際、狩人に追われている白ギツネを助けた。この時にけがをした保名の前に葛之葉という女性が現れて介抱する。2人は恋仲となり契りを結んで男の子をもうけた。実は葛之葉は、白ギツネが恩返しのために女性の姿に化けていたのです。それを知られた葛之葉は、心を残しながら信太の森へと帰りました。保名と葛之葉の息子が、後に陰陽師として活躍する安部晴明だという伝説があります。(2011年12月15日 毎日新聞)
レトロで雰囲気のある店内を、見学する機会がありました。玉撞きは全くしたことがなくて、習ってみたいなと思いましたが…
千代さんから引き継いだ、娘さんの平田範子さん。
安部晴明神社 平安時代に陰陽師(おんみょうじ)として活躍した安部晴明の生誕伝承地であり、寛弘4年(1007)にその死を惜しんだ花山上皇の命により創建されたと伝えられています。「今昔物語」等によると式神を使役し、占い事は神の如しと伝えられ、その特別な能力から、母親は信太の森の白ギツネとする葛之葉伝説が残されています。
陰陽師は映画を見たことがあったので、由来のお話を教えて頂いたことで、結びつきました。
色々拝見させて頂いて、(無知な私にとっては)勉強になります。(*^_^*)と同時に色々なお写真を拝見させていただき、同じように散策した気分になります。
いつも素敵なお写真ですね。
いつしか、私も『カメラ大好きおばあちゃん』さんのようにいろんな所をめぐってみたいです。
拙い写真に嬉しいコメントを頂きながら、お礼が遅くなり申し訳ありません。
そこそこ本格的に写真に取り組んだ頃には、作品としての写真に拘っていました。最近では極々近場をうろうろしながら、気軽にシャッターを押しています。
今後ともよろしくお願いいたします。
また、楽しく拝見させて頂きますね。(*^_^*)