熊野市紀和町丸山地区にある白倉山(標高736m)の、南西斜面を利用した棚田群。千枚田と言われるが、実際には約1340枚の棚田がある。
いつ頃から存在したかは明らかではない。丸山で最初の検地が実施されたのは、天正18年(1590年)のことである。慶長6年(1601年)の地検では、既に約2240枚あったとされる。1898年(明治31年)の測量図を推定したところ、2483枚だった。しかし後継者不足と高齢化、更に当時の減反政策や米の価格低迷、機械化が難しいことなどの要因も重なり、耕作放棄が進み1992年(平成4年)には、530枚に減少した。
この歴史的遺産を残すため、1993年(平成5年)丸山千枚田保存会が結成された。千枚田の復元により観光への活用が図られ一定の成果が得られたが、棚田の保全には、多額の経費が必要である。1996年(平成8年)度からオーナー制度を実施し、毎年全国から100組を超える申し込みがあり、農業体験を通じて農村と都市住民との交流が図られている。(フリー百科事典ウィキペディアより)
少々古いですが2009年9月の写真です。
千枚田の光景
オーナー制度利用の棚田
いつ頃から存在したかは明らかではない。丸山で最初の検地が実施されたのは、天正18年(1590年)のことである。慶長6年(1601年)の地検では、既に約2240枚あったとされる。1898年(明治31年)の測量図を推定したところ、2483枚だった。しかし後継者不足と高齢化、更に当時の減反政策や米の価格低迷、機械化が難しいことなどの要因も重なり、耕作放棄が進み1992年(平成4年)には、530枚に減少した。
この歴史的遺産を残すため、1993年(平成5年)丸山千枚田保存会が結成された。千枚田の復元により観光への活用が図られ一定の成果が得られたが、棚田の保全には、多額の経費が必要である。1996年(平成8年)度からオーナー制度を実施し、毎年全国から100組を超える申し込みがあり、農業体験を通じて農村と都市住民との交流が図られている。(フリー百科事典ウィキペディアより)
少々古いですが2009年9月の写真です。
千枚田の光景
オーナー制度利用の棚田