先ずはお馴染みの慶沢園へ行きましたが、新緑が目立つようになっていました。
青もみじ
抜き足差し足忍び足で獲物に近ずく‥ゲットの瞬間は撮れませんでした‥(-"-)
次いで河底池・茶臼山歩面へ降りて行きました。
茶臼山はほんの標高26mの山ですが、そこに伝わる歴史にはとても大きなものがあります。これまでに5世紀ごろの全長200m近い前方後円形古墳とされる説と、自然陵とする説ともに今だ謎の残る山です。
茶臼山は江戸幕府が豊臣方を滅ぼした大阪の役(大阪の陣)の重要な舞台となっています。1614年(慶長19年)11月大阪冬の陣では徳川家康の本陣となり、 翌1615年(慶長20年)には真田幸村勢の本陣とし茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)が繰り広げられました。
(インターネット 歴史スポット 文化歴史 あべの天王寺より)
河底池に架かる茶臼山への和気橋
青もみじ
抜き足差し足忍び足で獲物に近ずく‥ゲットの瞬間は撮れませんでした‥(-"-)
次いで河底池・茶臼山歩面へ降りて行きました。
茶臼山はほんの標高26mの山ですが、そこに伝わる歴史にはとても大きなものがあります。これまでに5世紀ごろの全長200m近い前方後円形古墳とされる説と、自然陵とする説ともに今だ謎の残る山です。
茶臼山は江戸幕府が豊臣方を滅ぼした大阪の役(大阪の陣)の重要な舞台となっています。1614年(慶長19年)11月大阪冬の陣では徳川家康の本陣となり、 翌1615年(慶長20年)には真田幸村勢の本陣とし茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)が繰り広げられました。
(インターネット 歴史スポット 文化歴史 あべの天王寺より)
河底池に架かる茶臼山への和気橋
桜のシーズンには近場ながらあちこち出かけ写真の整理に手間取り、
自分のブログにUPするだけで精一杯で四苦八苦している状態でした。
ほんまに今年の桜にはやきもきさせられました‥(-_-;)
こんにちは。
ご無沙汰してすみません。
天王寺界隈、大阪人にとっては馴染みのある地名です。昔はよくこの辺り歩きましたが、最近はとんとご無沙汰です。
きっと変わっているのでしょうね?!