ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

映画『チョコレートドーナツ』予告編

映画『チョコレートドーナツ』予告編

 

1979年のカリフォルニア。
ああ、1979年のアメリカの社会の在り方は、こうだったのかと思う。

ゲイの二人が、一人は弁護士、一人はゲイクラブの歌手でやがてナイトクラブの歌手になる男である。
その二人が、ダウン症候群の少年と家族になろうと保護権というのか養育権というのか、それを獲得するための裁判闘争をする物語。

裁判はあくまでも原則というか、愛についてではなく、ゲイと当時の世相の状況なのかカップルとしてのイレギュラーな形であると、そこを追求する。

結局、麻薬常習犯の母親を保釈し、親権を主張する役所再度の主張が通り、ダウンの少年は母親の元へ。
その母親はやはり麻薬を止めず、部屋に男を引き入れ、子どもをドアの外で呼ぶまで待っていろと追い出す。

少年はそのまま、町を彷徨い、死亡する。

 

なにが、正義か、

なにが、愛か。

草彅の『ミッドナイトスワン』と相通じる物語であるが、この作品の違いは、一方は家族というか社会の共同体から否定され、一方は法によって否定される。

極めて、日本的な発想の映画と、極めてアメリカ的な発想の映画だったといえる。

 

社会がLGBTを、受け入れるには、現実的には、まだまだ時間がかかるかも知れない。

『チョコレートドーナツ』という映画が、父性とか母性について論じるのでは無く、あくまでも家族の愛について主張していたこと、案外、これは重要な視点だと思う。

母性や父性は、民族の文化や社会の背景によって、ひどく影響されるものだと私は思う。

 

 

 

 

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