先日、母方の伯父が亡くなり、葬儀に参列しました。
伯父は、88歳、とまぁ、世間的には「長生き」の部類での大往生でもありましたが、第一線を退き、隠居生活をされていた割には、比較的参列者も多く、中には涙して参列される方もちらほら・・・あまり、接点は無かった甥である私にとっては、生前の伯父の人徳を垣間見るような気持ちでいました。
で、ふと思ったのが、もし私が今、死んだならば、どれくらい参列してくれるだろうか?
100人?200人、いやもうちょい、いるだろう。
自分の親戚、妻方の親戚、子供の学校関係者、仕事関係、友人・・・関係者なんて大体そんなもんでしょ。思った以上に大したことは無いなぁ。
そもそも、親戚以外、泣いてくれる人なんて居るのかな?、それに、訃報自体は誰が連絡してくれるだろう?
う~ん、残念ながら思った以上に自分には人望が無かったのかもしれませんね・・・
考えてみれば見るほど、自分の浅はかさとか、薄っぺらさに気付き、そもそも、そんなところで人徳を計っている自分を情けなく思うのと同時、普段、人に対して誠実でいるか、とか自己中心的な振る舞いや行いをしていないか、とか改めて見直す機会になりました。
普段の生活でも、仕事でも同じ。一人では何もできない、支えられて生きていることを実感し、人とのつながりを大切に、常に周りを大切に思える人に、今まで以上に、なっていかなければなりませんね。
伯父の祭壇には、常に子や孫に説いてきた、自筆の書が飾ってありました。
「真心」
・・・なるほどな。考えると、深いものがある言葉だな、と実感しました。
残る余生(まだ先はわからないですが)ちょっと心の片隅に置いておきたい言葉です。