本の一部を抜粋しましたので、よろしかったらAmazonや書店にてご注文を頂けたら幸いです。
目次
一、戦争の記憶を紡ぐ
二、フィリピン慰霊巡拝団申申込
三、なぜこの少年が戦死しなければいけないのか
四、戦場ヶ原公園・忠霊塔
五、戦没者・戦災殉難者合同追悼式
六、故郷の神社(豊神社)
七、祖父の葬儀
八、勲八等白色桐葉章
九、戸籍謄本・過去帳・墓石
一〇、死亡者生死不明者原簿
一一、臨時陸軍軍人(軍属)届
十二、兵籍簿
一三、NGO
一四、個人調査票
一五、『巡拝と留魂』
一六、小林兵団阪東隊
一七、祖父について
一八、フィリピン慰霊巡拝出発
一九、フィリピン慰霊初日
二〇、フィリピン北部慰霊(ツゲガラオとバシー海峡慰霊)
二一、フィリピン中部慰霊(オリオン峠とバレッテ峠)
二二、フィリピン南部慰霊・祖父の現地追悼(ラムット川とモンタルバン)
二三、祖父への手紙
二四、戦没者合同追悼式
二五、祖父の戦歴
二六、家族
本文より抜粋
【10頁】戦死した祖父操は、特別な武勲(ぶくん)をあげたわけではなく、上位の階級でもない。戦地からの手紙や遺書は無く、骨壺の中には何も入っていない。
だが、戦後七五年が経ち振り返ってみると、時間の風雪は過酷だ。戦争を知らない世代は令和産まれも七五歳の人も同じであり、昭和、平成、令和と歩んできた戦争を知る世代は高齢化が進み、戦後を知らない世代は日本の総人口の八割を超えている。私も祖父について知っている事は、僅かな写真とフィリピンで戦死したという事だけだった。
【17頁】姉弟で緊張して写真に写っているこの少年は、三七歳で召集され、三八歳の五月に日本から遠く離れた南の島で戦死する事を知らない。
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