金田博美

「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して
www.amazon.co.jp/dp/4434286900

「祖父に逢いに行く」 フィリピン慰霊巡拝団に参加して

2021-04-23 10:10:25 | Weblog
「祖父に逢いに行く」
フィリピン慰霊巡拝団に参加して
Amazon紙の本1,100円 
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電子書籍(kindle)858円
www.amazon.co.jp/dp/B091CHP7FP

一部抜粋
全国にある戦争に関する資料館においても、来館者や入場料の減少は、普段でさえ維持が困難な状況にさらに追い打ちをかけている。資料館で行われていた戦争体験者が証言する機会も激減し、戦争体験者の高齢化と共に戦争記憶の伝承が途絶える危機に直面している。新型コロナウイルス終息後にいったん途切れた気持ちを元に戻す事は、戦後が長くなるにつれて非常に困難だと思われる。遺族から記念館へ遺品等の無償提供の申し込みがあっても、保管場所に限りがあり断念せざるを得ない案件が増えている。建物の老朽化や耐震問題、新型コロナウイルス感染症防止の自粛による入場者の減少(学校での平和学習中止)、私設記念館においても管理者の高齢化や相続による問題で閉館されるケースが増えており、次世代に語り継ぐ貴重な資料は散逸(さんいつ)するばかりだ。
メディアは毎年八月になると、戦争について数多くの特集記事や特別番組を提供してくるが、八月一五日を過ぎると消化試合を済ませて義務を果たしたかのように終わる。
首相は毎年八月一五日に日本武道館で行われる全国戦没者追悼式で、憲法改正や敵地攻撃能力保有を推し進める姿勢を示した。・・・

写真は山口宇部空港から成田空港へ

「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して

2021-04-21 13:18:23 | Weblog
祖父に逢いに行く
Amazon紙の本1,100円 電子書籍(kindle)858円
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一部抜粋
祖父に逢いに行くより
戦争の記憶を紡ぐ

戦後七五年を迎えた今年は世界の状況が一変した。新型コロナウイルスの感染は、国境を越えグローバルな人の移動と共に全世界へと急速に拡散し、終息の気配はみられず感染者数は増加の一途をたどった。
新型コロナウイルスは単独では移動できずに人を介して感染拡散するため、感染防止策として人との密閉した場所や密集、密接を避ける対策がとられた。
新型コロナウイルスに対するワクチンは開発されたが、全世界で完全に終息させる事は望めず、ウイルスと共存する「ウイズコロナ」の時代を迎えた。
人の移動制限や不要不急の行動自粛で経済は落ち込み、国の催事や行政のイベント、地区の行事や祭りが中止に追い込まれ、人とのかかわりは希薄になった。それは戦争の記憶継承にも深刻な影を落としている。
毎年八月六日と九日に被爆地広島と長崎両市でそれぞれ開催された平和式典は、参列者を大幅に減らし、全国戦没者追悼式も規模の縮小を余儀なくされた。広島の原爆資料館は新型コロナウイルス感染防止のため入場規制を行い来館者は減少し、各地で開催されていた追悼行事も中止や規模の縮小を迫られた。・・・

「祖父に逢いに行く」 フィリピン慰霊巡拝団に参加して

2021-04-04 15:35:05 | Weblog
「祖父に逢いに行く」
フィリピン慰霊巡拝団に参加して
Amazon紙の本1,100円 電子書籍(kindle)858円
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一部抜粋
フィリピン慰霊巡拝帰国後の三月末からは、フィリピンへの入国も査証(ビザ)免除特権が停止され入国が実質不可となり、全く先の見通せない状況が続く事になる。今後新型コロナウイルスのワクチンが出来たとしてもウイルスを完全に制圧する事は困難だと思われ、しばらくはウイルスと共存する生活が続くと言われている。振り返ってみれば火山噴火と新型コロナウイルス感染拡大中で、針の穴を通すような間隙(かんげき)を縫ってのフィリピン慰霊巡拝だった。

「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して

2021-04-03 13:12:33 | Weblog
祖父に逢いに行く
Amazon紙の本1,100円 電子書籍(kindle)858円
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一部抜粋
祖父に逢いに行くより
一八、フィリピン慰霊巡拝出発

出発日(二〇二〇年二月)の一か月前にはルソン島にあるタール火山で突然の噴火があり、噴煙は一五〇〇メートルにも達した。その後火山活動は終息したが噴火による降灰は、マニラ都市部も含め都市機能の一部に制限をもたらし、私たち慰霊団の利用する予定のニイノ・アキノ国際空港は火山灰の影響で一時閉鎖された。
また、年初より新型コロナウイルス感染が全世界に拡散する兆候をみせ、慰霊巡拝出発月の二月には、横浜港に接岸したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号から、乗員乗客の新型コロナウイルス集団感染が懸念されていた。
フィリピン慰霊巡拝帰国後の三月末からは、フィリピンへの入国も査証(ビザ)免除特権が停止され入国が実質不可となり、全く先の見通せない状況が続く事になる。今後新型コロナウイルスのワクチンが出来たとしてもウイルスを完全に制圧する事は困難だと思われ、しばらくはウイルスと共存する生活が続くと言われている。振り返ってみれば火山噴火と新型コロナウイルス感染拡大中で、針の穴を通すような間隙(かんげき)を縫ってのフィリピン慰霊巡拝だった。


「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して

2021-04-01 10:57:26 | Weblog
「祖父に逢いに行く」
=フィリピン慰霊巡拝団に参加して=
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【一部抜粋】一七、祖父について
祖父は明治四一年(一九〇八年)農家の長男として生を受け、二一歳で結婚、五人の子に恵まれ、昭和一九年三七歳で召集される。当時は四〇歳過ぎれば召集は稀になり、三七歳での召集は比較的高い年齢であった。終戦の前年での召集でもあり、戦況がそれほど逼迫していたものと思われる。
自分の息子のような歳の兵隊と一緒に行動するのは苦労も多かったと思う。その中でも終戦の三か月前まで、戦場でよく生き抜いてくれていたのだと思う。
昭和二〇年年五月一七日ルソン島マニラ周辺方光山付近にて戦死するまで、ワワ・ダムの水源確保のために激しい攻防戦が繰り広げられ、圧倒的な敵との火力や兵員数の差により他部隊は転進するが、祖父の部隊にダム死守の命令が下り、敵との激しい攻防戦の末に戦死したと推察される。