桐島、部活やめるってよを読んで
―自分はどんな人なのだろう?
この本は五人の学生が出てきます。それぞれの情景と気持ちを読んでいくとこの中だと私は宏樹かな?でも風助みたいなところもあるかもしれない、と自分自身の学生生活の経験と照らし合わせられたので感情移入がしやすかったです。読み進めていくうちに
「自分とはどういう人で周りにはどういう影響を与えているんだろう」という疑問が浮かびました。単純なことかもしれませんが、今まで実は深く考えてこなかったことです。自分の使命は明確にはわかりません。ただ、自分というものは変えられると私はAKB48に入ってわかりました。今まではそれなりにうまくやってきたけどどこかボヤッとしていた人生が180度変わったように、くっきりとした課題とやりたいこと、それを乗り越えたいという気持ちで毎日が充実したと感じます。それは京都から東京に上京してきたこともきっかけになったと思うし、それに伴っての出会いと別れがあったのも大きいと思います。そう考えると、桐島が部活をやめるじゃないけどそういう日常での小さな出来事の積み重なりが自分というものを形成して、更には自分というものを変えていくんだなと思いました。
私にとってはこの本と出会えたことがまた自分をいい方向に変えてくれるような気がします。もし、今の自分に満足していない、変わりたいなと思っている人は自分の周りの小さな世界を大きな目で見てみると変わるきっかけはすぐ近くにあるかもしれません。
―あなたはどんな人ですか?
思い出のとき修理しますを読んで
わたしは、「思い出のとき修理します」というこの本のタイトルを見たときに、思い出は修理できるのだろうか、修理したい思い出とはどんなものなのか、興味をもちました。
そして、どんなお話しなのか気になって、読み始めました。
明里という主人公が思い出のある、今は寂れてしまっている商店街に引っ越してきたところから物語が始まります。
斜め向かいの時計の修理屋、飯田秀司くんこと秀くんと、近くの津雲神社の社務所に住みついている太一という大学生と出会い、三人は仲間みたくなり、タイトルの「思い出のとき修理します」ごとく、過去、現在、未来を行き来し、なんだか自然に修理、解決していきます。
それから明里は、たくさんの人物に出会います。
ぬいぐるみを探す婦人と二十歳くらいの女性に会い、一緒にぬいぐるみを探すことになったり、商店街の老婦人のたってのお願いで、茜色のワンピースを着て時計屋の秀くんと昔の再現デートをすることになったり。
さまざまな出来事のなかで、過去の確かめと誤解が解かれていくこと、それが未来に繋がっているのがおもしろいと思いました。
後半には、時計屋の秀くんの過去を垣間みることになります。
それに、忘れていた明里自身の過去を思い出したりします。
不思議な出来事なんですが、心温まる結末で優しい気持ちになれました。
もしかしたら、自分の近くにもこんなことがあるかもしれない。
いや、あったらいいなと思いました。
人間失格を読んで
「神様みたいないい子でした。」と締められるこの「人間失格」タイトルからはこんな締めの言葉になるとは一瞬も思わなかった。
作中で語られているのは、葉蔵の恥の多い生涯だ。
確かに葉蔵は酒に溺れ、多くの女性と関係を持ち、恥の多い生涯を送っていたのかもしれない。しかし、周りから見れば彼は「神様みたいないい子」だったのだ。
私はこの点にとても興味を持った。何故、葉蔵という人間は他人と自分でこんなにも印象がズレているのだろう。
私はよく、見た目はおとなしそうだが、性格は熱い、第一印象と違うと言われる。しかし、この印象の違いは彼のそういったものとは違うのだ。
なぜなら葉蔵は幼い頃から「道化」を演じていたからだ。彼は人間を極度に恐れていながら、それでいて人間をどうしても思い切れなかったのだ。これは彼の人間に対する最後の求愛だったようだ。わざとおどけてみたり、素直に見えるようにしたり、他人の事を優先させたり。とにかく人の為に動いているようにいい人を演じていた。そんな自分を心の中で恥じて生き続けた結果が、他人と自分の印象のズレにつながったのだろう。
この本を読んで、私も周りの目を気にして自分が思っていることは口にせず、当たり障りのない言葉を口にして自分を守ったことがあった。誰もがいつも素直に自分の感情を口に出すことは難しい。葉蔵のようにそんな自分を恥じて、本当の気持ちを内に秘め、その事を責め続けている人もいるのだろう。
神様にはなれないけれど、人の本当の気持ちが少しでも汲み取る事ができる、そんな人に、私はなりたいと思った。