最近思うのは、母親として生きるのではなく
女性、いや人間として生きなきゃということ。
大人になった子どもたちの世話を焼きたがるのは
邪魔だと言うことがわかってきた。
求められれば、頑張るけれど
大人になった子どもたちを邪魔してはいけないと。
保育園では、血の繋がらない子どもたちが抱っことせがむ。
親代わりに甘えさせてくれる人を求めている。
私の、持て余している母性本能とうまく一致してありがたい。
今読んでいる本
ヨコハマメリー
なぜ、彼女に惹かれるのだろう。
彼女のドキュメンタリーを見て
興味を持ってた。
職場でこの本を見つけ、早速借りた。
ドキュメンタリーと照らし合わせながら
取材をした本。
なぜ彼女に惹かれるのだろう。
彼女は、自分自身を生きているから。
人からどう思われようと構わない。
好きな格好をし、好きなお化粧をする。
人に笑われようが、自分のスタイルは変えない。
私は、そんな彼女の生き方が羨ましい。
子どもには、「自分のために生きて」と言われている。
長男の1ヶ月検診のとき、
私はまだ母親にはなりきれてなく
息子の診察と自分の診察がごっちゃになってた。
出産と慣れない育児で腱鞘炎になって
ベビーカーとタクシーを使って一人で行った1ヶ月検診💦
産後の手伝いに来た母は、父の電話で後ろ髪を引かれながら
帰っていった。
娘より自己愛が強い父。
3人のワンオペ育児で、今度は母親が染み付いた。
こんなやりきれなさを書かれた山田太一さんの脚本はまだ見つからない。
それを読むことで、自分の心に折り合いをつけたいのに。
この流れで、サリーの子育てに協力出来れば嬉しいのだけれど
まだ子どもは先というので、
その間、私は生きていかなければいけない。
母が事故によって寝たきりになった還暦に今年は私もなる。
母が、産後の手伝いをしてくれたのが今の私くらいの年
今、お世話になっている老人ホームの調理場で当時働いていた母が
休みをとって東京まで産後の手伝いに来てくれた。
しかし、母も仕事で酷使した腕で、私の腱鞘炎のフォローをしたら
自分も腱鞘炎になり、
ふたりで電気治療に出かけたな。
母は、もっと孫と関わりたくて
私の育児の手助けをしたかったのに、
出来なかったことを悔いていた。
だから私は、娘に子どもができたら助けたい。
と、ずっと思ってた。
今の私、子どもの抱っこしたって筋肉痛にならないくらい
力ついてるよ。
やっぱり私は、ヨコハマメリーにはなれない。
誰かの役に立てることで、自己肯定感があがるのかな。
家事と子育ての経験が生かされる仕事が保育園で、
悩んだときや、何かを作りたくなったとき
求めている本と出会える図書館で働けることは
とても幸せなことなんだ。
今年は、2つの職場が苦じゃなくなって嬉しい。
今年は、ダブルワークが楽しいと思えるようになった。