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年金=「人様のお金」→第4章 厚生年金基金経営上の諸問題 (1)④

2008年10月24日 | 厚生年金基金


『人様のお金』
Other People‘s Money
厚生年金基金って、何んだ?

平成12年8月脱稿
高野 義博

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第4章 厚生年金基金経営上の諸問題

(1)基金運営から基金経営へ

④ゼネラリストの姿勢
平成10年10月、厚生省年金局長は「民間活動に係る規制の改善」に関する政省令を通知しましたが、この改正内容の留意点の中で、運用執行理事の要件として、①基金の財政状況に精通し、②管理運用業務を適正に執行できるものであり、③基金の業務運営に熱意を有するものを充てること、としています。ここには、目新しい点が2つあります。まず、<民間活動に係る規制>という文言ですが、基金制度発足の時点で盛んに言われていました民活という概念が30年ぶりに復活しましたということ、それがさらに、その活動を実態は統制・規制してきましたという事実認識を公式表明したということ。次ぎに、30年間の統制・統治のスタティックな法体系の中にまったく逆の文学的な表現である<熱意を有するもの>などという曖昧模糊たる概念を挿入したということです。

この裏には、厚生官僚の呻吟が透けてくるようです。というのも、官僚の手法というものはどんなに小さな政府を標榜しても原理的にイコール統制ということであり、そういう資質を持っている官僚の手の内に、資産運用という反農耕民族風観念・反統制経済的業務を推進することになってしまいました焦り、手に余るという緊張が<熱意を有するもの>などという表現になったのでしょう。

ところで、<熱意を有するもの>という表現は具体的には何も言ってないのと変わりませんが、一般的に従来の日本のゼネラリスト逹の執務・勤務態度を振り返れば、社内ばかり向いていてグローバルな見方を拒絶する、本を読まない、社外情報を取らない、客観的・合理的・理論的検討を無用とする等々は、とても<熱意を有するもの>とは言えないでしょう。うがった見方をすれば、厚生官僚はゼネラリスト逹に<熱意を有するもの>という抽象表現によって、責任の所在を曖昧にする一方で、ゼネラリスト逹の世界観の変換を求めているのかもしれません。同じ切磋琢磨も、旧来のゼネラリスト逹のそれは社内事情の観察ですし、<熱意を有するもの>のそれはイノヴェーターの活動になります。

イノヴェーターの活動の実態は、革命的であれ! ということです。厚生省も役所としてそうは言えませんでしょう。それで出てきたのが<熱意を有するもの>という文学的表現の代替語句なのではないでしょうか。


・・・・・・・そして、それ以前に、わが国の機関投資家が根底に置くべき事項として
は、「資産運用の社会的使命感」があります。この使命感を欠いた場合、それはいか
 に巨大な運用資産を抱えていても「ローテーション人事によるサラリーマンの単なる
資産運用ごっこ」の域を出ないことになる。

保田圭司『グローバルマネー』


つまり、旧来の統治方法、運営手法、お上と下々のヒエラルキーは機能不全に陥り、イノヴェーター逹の縦横無尽の活躍が期待される事態になってきたということでしょう。このことは、行政サイドにおいても裁量行政から事後監視型行政への転換、政策決定手続きの透明性確保のための「パブリックコメント」等となって表面化してきているようです。

要するに、基金の事業は、官民の渡り鳥ゼネラリストによって整合性維持で<運営され
るもの>から、イノヴェーター逹によって<経営されるもの>へ変貌しつつあるというこ
とであります。


⑤最良執行
厚生年金基金は、その設立主旨(加入員の老後生活安定の一助に年金給付を行う)の達成を図るため、最善を尽くす<最良執行>を求められています。それは単に、職員の人件費削減、または業務費のコスト削減などという管理・運営レベルのものばかりではなく、経営体としての高度な質、受託者として委託者(株主・企業・社員等)にローコスト・ハイリターンな還元を行うこと、インフレやデフレの経済環境を越えて長期に渡る老後生活安定の方策を提供する統治(ガバナンス)が求められています。つまり、金融ビジネスとして利害関係者に付加価値を提供するように経営することが課せられているのです。

これを達成・成就するために、行政サイドからは厚生年金本体との整合性維持を求められ、民間サイド(母体企業)からは費用対効果での成果を要求されます。そのうえ、基金自身は給付の安定性確保のために、様々な社会・経済状況の影響をクリアーしていかなければならないように仕組まれているのです。たとえば、加入員の激減、資産運用手数料・業務委託費のハイコスト、総幹事制の恫喝営業、業者の横並びによる競争メリット享受の排除、持株の政策運用が力を持つ資産運用、受給権保護、裁量行政下の民間活力発揮、金融パニツク下の資産保全策、政府の統制経済(低金利政策等)下、制度維持対策等々の場面で、クオリティの高い最良執行が求められることになるのです。

しかし、残念なことにこれらの圧倒的な力に立ち向かうには基金の最良執行達成能力は余りにも弱体でしたし、限界がありました。基金の事務所体制は、ゼネラリストの2、3年の人事ローテーションがまかりとおるのが一般であって、とても、強固なかたくなな規制を行ってきました行政サイドと大蔵省の虎の威を借りて金融プロを詐称していた業者等に、対抗できる力を充分に蓄積できなかったのが現実です。それは、たとえ理事長であってもゼネラリストの超短期なローテーションではノウハウと経験を持ち合わせず、行政の規制で身動き取れませんまま業界の事情にも通じていないので運営もままならず、ましてや経営も統治も出来る世界ではなかったと言えるのでしょう。つまり、構造的に基金の最良執行達成の経営権は没収されていたということです。
一方、この<基金の経営権>確立のために、個々の基金の限界を踏まえた団体としての政治的な活動も継続的に熱心に行われきました。各都道府県の厚生年金基金連絡協議会、厚生年金基金連合会の各種委員会・研究会、単独連合厚生年金基金協議会、総合厚生年金基金協議会等々で制度の研究が継続され、厚生省等へ基金のあるべき姿・将来の方向等の要望が再々行われてきました。

個々の場面毎の困難さとは別に、長期的な観点から見ると、このような基金を取り巻きます環境の中で、基金の最良執行を方向付ける<経営指針>はおもむろに立ち上がってきたと言えるでありましょう。官僚やゼネラリストお得意の「決める」という性急・無知な手法ではなく、社会情勢の変化、諸団体の民意反映の改善要望等と相俟って、小さな基金の30年という長い時間と理事長7、8人、常務理事5人、事務長5人、それに代議員300人程等々の多数の関係者の手を経て、その時々、場面、場面で大勢の人々の英知が現実と再々の対決をすることで<経営指針>が「決まってきました」とは言えるでしょう。これは多数者構成の市場では、<決める>ではなく<決まる>というのがセオリーになっていることと同じと考えられるのではないでしょうか。

このようにして、個々の基金に蓄積されつつある知識と経験とノウハウは、他の業界に見られない独自なもの、つまり広く日本の資産運用一般を考えたとき、他に例を見ないインフラとノウハウを築き上げたということは間違いのないところでしょう。<決まった>というレベルではなく経過的、途上にあるものですが。

そのささやかな一つの事例を示しますと、次のようなものもそれと言えるのかもしれません。


フレームワークの改善 代行型から加算型への移行、業務委託Ⅱ型からⅠA型へ
の移行、会社退職金の基金への一部移行(第2加算導入)、業務
委託指定法人の採用、総幹事離れの達成等
情報収集方法の確立 各種委員会・研究会・勉強会等への参加、業者プレゼン
チーションへの参加、海外資産運用調査への参加、定期
購読資料の収集、金融関係読書等
情報発信体制の確立   手作り広報誌の定期発行、年金受給者の「集い」開催、
遺児育英資金の支給、社内イントラ掲示板での公示・通
知・報告、基金ホームページの開設等
資産運用インフラ整備 資産運用委員会の設置、資産運用方針の設定、戦略アセ
ット・ミックスによる運用指図、外資系運用機関の採用、
アクティブ・為替ヘツジの採用等
経営フレームワーク構築 経営指針の設定、組織体制の確立、業務体系の整備、資
産運用インフラの整備等


30年余の経験と執拗な意欲によって諸々の環境が徐々に整備されるにつれて、掛金徴収団体の<運営意識>は、グローバルなボラティリティの高い金融環境の中で、負の遺産の精算を思案しつつ掛金と給付のバランスをとる生産性の高い<経営意識>に変わりつつあります。母体企業または加入員・年金受給者等にローコスト・ハイリターンな還元が行えます
場面に到達しましたということは、まさに<経営の時代>に突入したということでしょう。





ロッキィーズ物語

5 1対1ノック

右手にボールを握ったミット、左手にバットを持って、ネットを背にした少年の
5メーター程手前に立つと、少年と私のバトルが始まる。
ーイクゾォー
ーウオォー、と共に、左手から宙に浮かせたボールを右手のバットがたたくと、
少年の前でボールはワンバウンドしてグローブに吸い込まれる。補球されたボール
はミットめがけて返球され、再びノックが繰り返される。
ーイクゾォー
ーウオォーの繰り返し。捕り損なえば罵声が少年を煽り、更に強いノックが雨霰
と少年をたたく。ノッカーは夜叉みたいになって左のミットと右手のバットを振り
回し、右に左にゴロボール散らしダイレクトな飛球を胸元に飛ばす。機敏さ俊敏さ
が全開する。精神はただひたすら前方へはばたく。常に前へだけがあり過去にこ
だわる暇は一瞬もない。ノッカーはおもむろに距離をせばめつつ、少年もコーチも
夢中になって捕り、打ちしつつ、互いに忘我の境に突入する。打ち、捕りの一時、
そこに少年とコーチの交歓が成就する。
突然、コーチの自分が中学生になり、ノックを受けている田舎の中学校のグラン
ドが沸き起ってきた。先輩の野良着姿の孫ェ門が打つノックをハアハアしながら受
  けているところだった。
その頃には、辺りは完全な静寂が支配し、肉体がただゴツゴツと動くだけのそこ
で尺度も水準も別次元の心身一如の摩訶不思議を味わった末に、少年に周りのざわ
めきが遠雷のように湧き起ってきて、その魔界から不思議なエネルギーを充満させ
たまま立ち上がることになる。
そこから、この世を眺めまわすと、いわゆる<現実>と言われているものが如何
に脱色されていることか、或いは脚色されたシナリオが被っているかを見ることに
なる。つまり、ピュアな原始そのものの素材を発見し愕然とさせられ、そしてその
あまりの衝撃に、少年は言葉を失い沈黙する。









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●ここまで、お読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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惚けた遊び! No.266


言葉を効果的に扱う術を学ばなければならない、と同時にわれわれは所与の事実すべてに品種のレッテルを貼ったり解説的抽象を施してまったくの陳腐な見せかけへと歪曲してしまう概念という半透明の媒体を通さずに世界を直に眺める能力を保持し、必要とあればそれを強化することもしなければならない。
   (A・ハックスリー)



【出所】高野 義博著『情緒の力業』第7章 瞑想的感応
chikara
情緒の力業:ご案内 


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