第7章 確定拠出年金スタート
退職金の①年金化と②外部保全の方途は厚生年金基金に用意されましたが、しかし現実の展開は遅々たるものでした。
退職金原資を厚生年金基金に移管するのは、経営の裁量を狭めることになるので、経営者の消極姿勢を強めました。また、厚生年金基金は厚生年金を代行するという構造でしたので、その積立金の資産運用は規制によって役人が遠隔操作することになり、充分な展開を果たせないまま推移し、資産運用規模(60兆円)の拡大に伴うリスクの増大も足を引っ張ることになりました。
更に、平成11年の厚生省年金局長通知、いわゆる厚生年金基金の「凍結通知」が決定的に作用しました。それらに加えて、退職給与引当金限度額の再々の引き下げ(将来的には廃止)や平成12年の退職給付会計の新ルール(退職給付債務を貸借対照表に退職給付引当金=時価ベースで計上すること)採用で、企業と厚生年金基金は未曾有の事態を迎えました。
ここにきて、日本の年金制度の抜本的見直しが必要という声が高まり、平成13年、確定拠出年金法、平成14年、確定給付企業年金法が相次いで成立しました。
平成14年4月施行の「確定給付企業年金法」により、厚生年金基金は厚生年金保険の代行部分を国に返上し、プラス・アルファ部分のみを確定給付企業年金(代行なし企業年金)へ移行することが可能となりました。
この法律の施行に伴い、大企業厚生年金基金を中心に、一気に660基金の「代行返上」が始まりました。しかし、巨額な積立不足金を抱えた一部総合型厚生年金基金では代行返上も解散もままならず、従前の厚生年金基金にそのまま積立不足金を抱えたまま残っています。
こうして、日本の企業年金は、確定給付型年金(厚生年金基金・規約型企業年金・基金型企業年金)と確定拠出型年金(企業型確定拠出型年金・個人型確定拠出型年金)に整備されることになりました。ここでは、退職金の①年金化と②外部保全は織込み済みとされ、新たに①受給権保護と②受託者責任が規定されました。その中で、厚生年金基金(昭和41年成立)は<代行なし企業年金>の成立(平成14年)をもって、およそ36年間の関係者の切磋琢磨の末にその役目を果たし終えることになりました。
しかし、厚生年金基金は退職金の①年金化と②外部保全を目標に実施・実行された政策であり、60兆円の資産規模で、1200万人が関わって、36年間にわたって、都度の社会状況の変化を受けて政策の点検を新しい方法(時価会計・賃金後払い説退職金・事後監視型行政・パブリック・コメント方式・官僚排除意識・帰納法・英米法・信認・受託者責任・ストック・マネジメント重視の年金社会等)で行いつつ、制度改善をしてきたのです。
これは<初めに理念ありき>の大陸風観念論ではなく、どちらかというと英米法の経験論の方法です。つまり、グランド・デザインは形成されるものなのです。筆者は、先に「戦後日本経済を推進してきたケインズ主義的マクロ政策主導の基本理念であります大陸法の硬直的なシステムに対して、英米法の柔軟さのほうがフレーム・ワーク等の構造を構築するとき、より現実にフィットしたものになるでありましょう。(野義博著「人様のお金」p.16 平成12年)と述べております。つまり、<ドメスティックなものの中のマドリング・スルーな活動>が、次の光明をもたらすということです。
一方、昭和27年以降、中小の企業は税制優遇を受けつつ退職給与引当金を維持し続けたまま年金のない企業が数多くありました。一部に年金化された企業もありましたが、大部分の企業では退職金のままでした。この退職給与引当金の税制優遇も50年の時を経て平成14年に廃止になりました。また、同じように50年の時を経て適格退職年金も平成24年に廃止されようとしています。ここにきて、企業は、税の優遇のない退職金を維持するか、優遇のある確定拠出年金か、または確定給付企業年金かの選択を迫られています。
振り返れば、厚生年金基金に関する一つ一つの改革は、まるで壮大な制度実験だったかのように見えるのです。その間に、社会状況の変化があり、幾つかの混乱と痛みがあり、政治・官僚バッシングと身勝手な経営者と繰られるままの国民を見てきたわけです。
そういうドタバタの中から、①受給権保護と②受託者責任がその実験結果として到来したのです。年金資産(Other people's money)を<人様のお金>に組成する枠組みが、平成13年、確定拠出年金法、平成14年、確定給付企業年金法によって成立したのです。
これから若い人たちが加入する「確定拠出年金」の画期的な点は、日本の年金制度を呪縛してきた<年金数理>が不要な「個人勘定」(自分年金)の仕組みが誕生したということです。
何が画期的かと言えば、老後の生活保全の方策として、厚生年金基金制度下の統制計画経済手法による政治や官僚や企業や業者等に掠め取られない仕組みであるということです。
とは言え、問題を多数抱え込んでいるのも事実です。たとえば、加入者への投資教育、拠出限度額の拡大、各種管理機関や資産運用会社手数料の減額、ポータビリティの整備等々があります。これらの細部は、これからドメスティックなものの中のマドリング・スルーから立ち上がってくるでしょう。
そして何よりも重要になってくるのは、年金の歴史や将来を見据えて、政府や企業や業者に頼ることなく、柔軟に辛抱強く、ご自分の老後生活保全に取り組む、自立した個々人の覚醒した意識・行動・考え方になるでしょう。
退職金の①年金化と②外部保全の方途は厚生年金基金に用意されましたが、しかし現実の展開は遅々たるものでした。
退職金原資を厚生年金基金に移管するのは、経営の裁量を狭めることになるので、経営者の消極姿勢を強めました。また、厚生年金基金は厚生年金を代行するという構造でしたので、その積立金の資産運用は規制によって役人が遠隔操作することになり、充分な展開を果たせないまま推移し、資産運用規模(60兆円)の拡大に伴うリスクの増大も足を引っ張ることになりました。
更に、平成11年の厚生省年金局長通知、いわゆる厚生年金基金の「凍結通知」が決定的に作用しました。それらに加えて、退職給与引当金限度額の再々の引き下げ(将来的には廃止)や平成12年の退職給付会計の新ルール(退職給付債務を貸借対照表に退職給付引当金=時価ベースで計上すること)採用で、企業と厚生年金基金は未曾有の事態を迎えました。
ここにきて、日本の年金制度の抜本的見直しが必要という声が高まり、平成13年、確定拠出年金法、平成14年、確定給付企業年金法が相次いで成立しました。
平成14年4月施行の「確定給付企業年金法」により、厚生年金基金は厚生年金保険の代行部分を国に返上し、プラス・アルファ部分のみを確定給付企業年金(代行なし企業年金)へ移行することが可能となりました。
この法律の施行に伴い、大企業厚生年金基金を中心に、一気に660基金の「代行返上」が始まりました。しかし、巨額な積立不足金を抱えた一部総合型厚生年金基金では代行返上も解散もままならず、従前の厚生年金基金にそのまま積立不足金を抱えたまま残っています。
こうして、日本の企業年金は、確定給付型年金(厚生年金基金・規約型企業年金・基金型企業年金)と確定拠出型年金(企業型確定拠出型年金・個人型確定拠出型年金)に整備されることになりました。ここでは、退職金の①年金化と②外部保全は織込み済みとされ、新たに①受給権保護と②受託者責任が規定されました。その中で、厚生年金基金(昭和41年成立)は<代行なし企業年金>の成立(平成14年)をもって、およそ36年間の関係者の切磋琢磨の末にその役目を果たし終えることになりました。
しかし、厚生年金基金は退職金の①年金化と②外部保全を目標に実施・実行された政策であり、60兆円の資産規模で、1200万人が関わって、36年間にわたって、都度の社会状況の変化を受けて政策の点検を新しい方法(時価会計・賃金後払い説退職金・事後監視型行政・パブリック・コメント方式・官僚排除意識・帰納法・英米法・信認・受託者責任・ストック・マネジメント重視の年金社会等)で行いつつ、制度改善をしてきたのです。
これは<初めに理念ありき>の大陸風観念論ではなく、どちらかというと英米法の経験論の方法です。つまり、グランド・デザインは形成されるものなのです。筆者は、先に「戦後日本経済を推進してきたケインズ主義的マクロ政策主導の基本理念であります大陸法の硬直的なシステムに対して、英米法の柔軟さのほうがフレーム・ワーク等の構造を構築するとき、より現実にフィットしたものになるでありましょう。(野義博著「人様のお金」p.16 平成12年)と述べております。つまり、<ドメスティックなものの中のマドリング・スルーな活動>が、次の光明をもたらすということです。
一方、昭和27年以降、中小の企業は税制優遇を受けつつ退職給与引当金を維持し続けたまま年金のない企業が数多くありました。一部に年金化された企業もありましたが、大部分の企業では退職金のままでした。この退職給与引当金の税制優遇も50年の時を経て平成14年に廃止になりました。また、同じように50年の時を経て適格退職年金も平成24年に廃止されようとしています。ここにきて、企業は、税の優遇のない退職金を維持するか、優遇のある確定拠出年金か、または確定給付企業年金かの選択を迫られています。
振り返れば、厚生年金基金に関する一つ一つの改革は、まるで壮大な制度実験だったかのように見えるのです。その間に、社会状況の変化があり、幾つかの混乱と痛みがあり、政治・官僚バッシングと身勝手な経営者と繰られるままの国民を見てきたわけです。
そういうドタバタの中から、①受給権保護と②受託者責任がその実験結果として到来したのです。年金資産(Other people's money)を<人様のお金>に組成する枠組みが、平成13年、確定拠出年金法、平成14年、確定給付企業年金法によって成立したのです。
これから若い人たちが加入する「確定拠出年金」の画期的な点は、日本の年金制度を呪縛してきた<年金数理>が不要な「個人勘定」(自分年金)の仕組みが誕生したということです。
何が画期的かと言えば、老後の生活保全の方策として、厚生年金基金制度下の統制計画経済手法による政治や官僚や企業や業者等に掠め取られない仕組みであるということです。
とは言え、問題を多数抱え込んでいるのも事実です。たとえば、加入者への投資教育、拠出限度額の拡大、各種管理機関や資産運用会社手数料の減額、ポータビリティの整備等々があります。これらの細部は、これからドメスティックなものの中のマドリング・スルーから立ち上がってくるでしょう。
そして何よりも重要になってくるのは、年金の歴史や将来を見据えて、政府や企業や業者に頼ることなく、柔軟に辛抱強く、ご自分の老後生活保全に取り組む、自立した個々人の覚醒した意識・行動・考え方になるでしょう。
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