「みんなの年金」公的年金と企業年金の総合年金カウンセリング!                 

このブログ内検索や記事一覧、カテゴリ-等でお楽しみください! すると、あなたの人生が変わります。

「人様のお金」OPM(A4・224頁)  連載 11

2013年03月11日 | 厚生年金基金
ホ.基金問題のインパクト
少子高齢化を迎えましたストック経済時代の要請は、積み上がった蓄えの効率化を最大の目標とすることになりましょう。


「身分契約へ」ではなく「身分契約と信認へ」──情報資本主義の下、私たちは
今、契約と信認という二つの異質な人間関係を軸とする、新たな市民社会像を構築
する必要に迫られている。それは同時に、国家なるものに対して、個人の自由な活
動の場の保障という消極的な役割だけではなく、信認関係の法的な規制という積極
的な役割を与えることでもある。

岩井克人『二十一世紀の資本主義』
「契約と信認」―市民社会の再定義


基金自体に30年余かけて営々と積み上がりました<人様のお金>は、積立不足があり積立水準をクリアーしていないという問題を抱えてはいますが、資産額としては企業資産に追いつき、追い抜く場面を迎えており、愈々ドラッカーの言う「見えざる革命」が日本においても現実のことになりつつあります。積み上がりました<人様のお金>が各方面に与えるインパクトは量り知れず、日本の経済・社会の編成替え、再構築を強要し始めています。
その展開をさらに一層促進するのが2000年度の国際会計基準採用に伴う退職給付債務(PBO)の企業会計への計上です。 そこから、政府においても財政の面からも国民の意識の面からも肥大は許されず<小さい政府>が求められ、企業活動もEVA等の評価指標で量られ費用対効果の最大化を要求されるでしょうし、運用機関はローコスト・ハイリターンな高資質サービスを負託され、基金には受託社責任を全うしました一層卓越した経営が求められるようになるでありましょう。これら各種の要請が相俟って、ストック経済時代の社会保障スリム化というシナリオを成就させることになるのでありましょう。

金融技術や情報技術は、資本の効率性を促進し、グローバル化した世界の資本市
場において資本の最適リスク配分を可能にする。実際、この二つの技術は、金融の
機能(ファンクション)や資本市場の機能を高め、業態を中心とした金融システムからリス
ク配分機能を中心とした金融システムへの移行を促している。

刈屋武昭『金融工学とは何か』―「リスク」から考える


このような世の中一般の編成替えの時に、厚生年金基金制度も当然変貌していくことになりましょう。変貌もままならぬと言うことであれば、確定拠出型年金に席を譲って<退場>するしかないでしょう。それも一つの選択肢ではありますが。そうではないとすれば、雇用の流動化にどう対応するのか、制度のフレキシビリティをどのように確立していくのか。社会保障スリム化にどう貢献できるのか、国際会計基準下の日本企業に効率的な社員老後資金システムを提供できるのか。<顔の見える基金>にどう変貌するのか。資産運用文化形成にどう貢献できるのか、確定給付型年金は正念場を迎えているということでしょう。


   (3)<人様のお金>が変える日本のインフラストラクチュア

イ.日本型資本主義の組成
軍国国家主義で戦った第二次世界大戦で、全面降伏させられ海外への拡張路線を断たれました日本が、再び徳川300年の鎖国状態と同じ様な場面に引き籠もらざるを得なかったのは幸いでしたと考えるのは50年余の時の経過の然らしめるところでしょぅか。
ポツダム宣言により戦犯裁判、軍隊解体、財閥解体、集中排除法、戦時賠償等と共に民主体制の確立を要請された日本でしたが、新しい日本のインフラストラクチュアを構築すべき政財界の主要な人材は追放され、御用学者は言わずもがな、わずかに満州経験者の大陸浪人たる官僚が残されているだけでした。
 時の世界的な政治情勢は、戦後の長期支配体制に膨張しつつあった米ソ冷戦構造の厳然たる現実でした。連合国体制、なかんずくアメリカにとって、日本は共産主義勢力に対する封じ込め戦略の地形上再重要な国ですと同時に、経済的な復興や民主体制確立も必要不可欠不可避な国でもありました。占領政策実施の時、呼び出されたのは大陸浪人の一団であり、彼らは、占領軍から示された勧告、フレーム・ワーク等を日本に土着化させるに際して、背景、根拠としたのが満州帝国管理の統制手法でした。それは、欧州大陸法のような始めに理念有りきの大上段の構えを特徴とする思考方法でした。外枠を押さえられた中での内側で大陸浪人達は知恵をだし鎬を削ることになりました。占領軍に頭を押さえられているので、法律事項は総論のみで構成し、実務・細部は裁量のままとする裁量行政の手法をこうして徐々に形成し確立していったものと考えられます。この背景には、占領軍の暗黙の了解として日本に対する監視型政治の内側の裁量を許容する戦略が透けて見えていました。そこに憲法の空洞化を許容せざるを得なかった現実政治のパワーポリティックが介在しましたことも事実としてあったのでしょう。

ごく最近までアメリカの制度は、部分的で断続的かつ間接的な政府介入を受けな
がら、民間企業が信用を創造し、取引するものだった。一方で日本の制度は、管理
された市場から民間の利害がしだいに利益機会を得られるようになったとはいえ、
国家が信用創造と信用の価格を管理する統制制度だった。

S.ストレンジ『マッド・マネー』
―世紀末のカジノ資本主義


一夜にして成るものは子種の仕込み位いのもので、結果論的見地から見ると強固堅固な仕組みもその形成過程においては、「もっとも、現実とはこんなものかも知れません。何らかの偶然の積み重ねで、まるで設えたかのような堅固な制度・構造が出来上がる、ということです。」(JMM2000/04/19配信・北野一) 50年余を経て裁量行政に凝縮しました日本の官僚の手法もその拠って立つ基盤が始めに理念として確立していたのではないのでしょう。様々な条件が、例えば連合国の要請、満州の経験、ファシズムを脱した人々の軽やかな心情等々が複雑に絡み合って都度都度の成果がおもむろに組成して成ったものでしょう。同様に、日本型と言われる資本主義の特殊なインフラを作り上げた戦後日本経済も、官民共同による統制経済システムを都度の問題クリアーの積み重ねの延長線の上に結果しましたものでしょう。
しかし、戦後50年余の統制経済実験はソ連型の政府が直接関わる直接統制も日本の官民ぐるみの間接統制も共に失敗に終ったということは動かしがたいことです。ただ、日本型の間接統制はソ連のストックもフローも崩壊した事例と異なり、ストックだけは積み上げるのに成功しています。何れにしても、人心の荒廃という点では統制経済の実験は失敗と断罪できるでありましょう。この点、人心の荒廃という点では不幸なほどに日本人にその意識も認識もない点が不気味です。
それでは、この国民の不気味さ、生身の人間のドメスティックな声の圧殺、大義(会社主義)への順応等は、戦後どのように形成されてきたのでしょうか。国民の声は戦後圧殺されたばかりではなく、前史として背景として土壌として戦前の皇軍国家主義の右傾化、ファッシズムにその起源をもつのでしょう。沈黙が知恵でしたファッショの時代から沈黙が美徳になりました戦後の経済体制では官民ぐるみで経済復興の美名を掲げてきたのです。
日本型資本主義のフレーム・ワークを形成する数々のインフラは、政府による信用創造、信用配分、与信拒否等の統制管理経済指向に始まり、銀行による間接金融奨励、業態間規制、産業資本配備、護送船団方式、PKO、中央集権装置等として徐々に形を与えられ、局面の国際環境、ヘゲモンを詐称する官僚のケイジアン的管理指向、民間の官依存体質等々によって50年余かけて組成されてきたのです。




ロッキィーズ物語

・少年たち

仏さんのように優しく、アメリカでホームランを打ってきたM、市一番の投手と
騒がれたH、市の大会で選手宣誓をしたM、甲子園出場の夢を語ったS、父親の転
勤でロッキー山脈の麓から帰ってきてロッキィーズに入った大人F、アメリカン・
フットボールに鞍変えしたS、ピッチャーとして保土ケ谷球場で投げていたN、天
才と期待されたMにY、左ピッチャーのKにYにN。ヘナヘナピッチャーのN、小
柄な大投手だったN、利かん気の強かったNとO、父親譲りのセンスのI兄弟、
私の子供もふたり、市の理事に注目されたN、スラッガーのG、ぶきっちょなU、
O、E達、……とにもかくにも、一人一人の少年たちは、全員それぞれの
個性を発揮してロッキィーズを卒業していった。今、それぞれが各々の場面で活躍
していることだろう。少年時代の一時、ロッキィーズで野球をやったという子供が
  180人もいることになる。



かたや、財閥を解体され経営と資本の分離を強要された日本企業は、相互に株式持ち合いを促進し、株式の流動性を抑圧して資本の効率性を次善策とし株主の力を空洞化するという方法で略奪し、企業防衛を図ると共に、土地本位制をべースにした法人資本主義を形成しました。
こうして形成された日本型資本主義は、株主議決権の制限、キャピタルゲイン指向の低配当政策、身内監査、専門経営者を排除する身内の成り上がり経営者とそれをバッファーするゼネラリスト集団等々、資本を資本家から掠めとり、法人・会社の<自分たちの金>にしてしまう巧妙な仕掛けを、含み益会計操作、負債性資本(引当金)依存経営、過少自己資本経営、三種の神器の組合せによる低コスト賃金、費用認識の飛ばし等々の多様な詐欺的インフラを駆使して強固磐石なシステムに作り上げたのです。そうして、終に法人主義、会社主義の制覇によって「人間が法人の一器官と化して法人に隷属する」(岩井克人)という逆転を招き、法人という抽象観念のファッショがブラックホールのように生身の人間のドメスティックな声を飲み込んだのです。息詰まるような窒息感が日本の企業を被っているのはここに人間疎外が極まったということでしょう。
とは言え、これは当初、戦後のドサクサに政治家や官僚や民僚の理念として存在していたのではなく、局面での対応の結果、組成されてきたのです。その場面での、当事者や一般国民の資質に民意度が低く依存体質が強く統制に都合のよい土壌でしたということだけは言えるでありましょう。
この間、日本の<人様のお金>の命運は、基金事務所の片隅に据え置かれたまま顧みられることもなく営々と積立てられているばかりでした。偶々企業サイドの目に触れる別途積立金が基金の資産に生じた折には、企業人は全面的に<自分たちの金>であることをつゆ疑わず企業サイドへの一方的な略奪・還流を旨としたのです。というのも株主の資本さえ<自分たちの金>扱いする日本型資本主義の法人資本主義の世界ではそれは当然の論理展開でしたし成り行きではありました。また、平成に入ってからの政府の低金利政策によって積立不足が発生してきた折には不謹慎にも身勝手な代行返上を主張する体たらく、ルール無視・義務の放棄・権利の乱用という傲慢の極みを何も意識・認識することなく無知をさらけ出して発言するに至ったのです。これは端なくも、日本型資本主義の内実の暴露となってしまったのです。
これだけのことではなく、本邦金融界の政府・官僚・財界を巻き込んだ金融パニック、金融不祥事、特に大蔵省がらみのそれは、本来<人様のお金>であるものを傲慢にも<自分たちの金>として各々が各々の領分で裁量しました結果、発生したのです。政治家は選挙資金とし、官僚は統制的産業資本配備金とし、企業人は資本家の金を略奪してほしいままにローコストの設備投資資金としたのです。末村篤をして「「エリサ」はおろか「ペコラ」も飛ばしたままでは心もとないこと甚だしいです。」(「証券アナリスト・ジャーナル」 2000.3 「人本主義」から「資本主義」へ )と言わしめる所以です。
金融恐慌まがいの日本型資本主義の様々な末期症状がここ10年ほど繰り広げられましたが、この間の逸失利益を別にして幸いなことに関係者の懸命な努力で基金資産の元本だけは保全されたと言えるでしょう。新しく導入されました非継続基準等による積立水準をクリアー出来ていない積立不足基金も数多くあるとはいえ、事前積立方式で積み上がった年金資産は50兆円時代となり、個々の基金でも母体企業の株主資本を上回り、或いは上回るほどになってきました。このことは、基金事務所の片隅に捨て置かれていました基金資産が日本経済に対してして、或いは個別企業に対して物申す時代に変わってきたということです。積立不足は即、日本経済・個別企業への負の要因となり、無視しえないインパクトを政治・官僚・経営に与えるようになってきたのです。マネーのパワーは従来型のインフラストラクチュア、政・官・財のフレーム・ワークにドスを突き付け始めたのです。無血革命が静かに始まっているのです。


強い個人と、柔らかな国家と企業の組合せが、しなやかで相対的に安定した社会
への王道といきなり言われても、企業に隷属することで安寧を得てきた日本人が直
ちに「はいそうですか」といくわけもない。……・気の遠くなるような作業も必要
になるだろう。
末村 篤:「人本主義」から「資本主義」へ
「証券アナリスト・ジャーナル」 2000.3


日本人は、ここに戦前の皇軍国家主義のファッシズムと戦後の日本型資本主義=会社主義の実験・経験を踏まえて、<国家―企業―個人>の経路を求めていくことになるのでしょう。心もとない民意度の状態ですが。それでも、2000年4月に日本型資本主義に対する退職給付債務の<PBO爆弾>が投下されました。<自分たちの金>から<人様のお金>へ、代理人契約から信認契約へ、大陸法から英米法へ、法人から個人へ、時代は急激に動きだしたところです。


ロ.フローからストックへ
P.ドラッカーが1976年に『見えざる革命』(The Unseen Revolution)を出版しましたときのアメリカ経済では、GM等の企業年金の拡大を通じて「勤労大衆という普通のアメリカ人が企業の所有者として登場する」(末村 篤:年金が企業経営を変える Fund Management 1997.春.夏季号)と言われ、それにつれて伝統的な価値観は変容を迫られ新しい資本主義、すなわち<年金社会主義>が誕生すると予言されました。
一方、日本では株主資本を上回るほど積み上がった企業年金の資産が『見えざる革命』の現実を人々に突き付け始めたころ、戦後50年余かけて組成された特異な日本型資本主義の実態が次々に露呈し、官も民もとても変容を迫られるというレベルではなく、<断罪される>という場面を迎えているように考えられます。
アメリカの<穏やかな変容>と日本の<全面的な断罪>というインパクトの違い、アメリカのUnseenではなく日本の場合は目に見えて<強制される革命>と言えるほどの場面を迎えているのです。つまり、同じ、企業年金資産の積み上げの意味するところが日米では相違するということ、日本では短期に急激にドラスティックにフレーム・ワークとインフラストラクチュア等の刷新・構築が大々的に求められています。ドラスティックな少子高齢化時代に突入しましたという日本特有の時代背景もありますが、積み上がった企業年金資産の社会に与えるインパクトはアメリカの比ではないのです。


株式会社とは資本主義の生みだした最大の発明のひとつである。株式会社という
制度を抜きにして、現代資本主義の発展を語ることはできない。そして、まさにこ
の発明のなかに、法人否認説を実践するアメリカ資本主義と法人実在説を実践する
日本資本主義という、資本主義の二つのタイプを生みだす仕掛けが仕組まれていた
のである。

岩井克人『二十一世紀の資本主義』
「ヒト、モノ、法人」


そのインパクトの強さは、次のような日本の資本主義の特異な性格形成のためですと考えるのは妥当なことでしょう。復興期の日本経済は国民の貯蓄を「銀行を柱とする金融システム(間接金融システム)」 (井手正介:年金社会における効率性、公平性と資産運用サービス「証券アナリスト・ジャーナル」 2000.3 )に集中し、低利の産業資本を製造業等に提供し、三種の神器で低コストの雇用を確保しつつ競争力をつけ、長年の外貨不足を黒字化してストックの積み上げに成功してきました。この間、日本経済の復興というインセンティブを与えられた国民は、官僚の統制経済手法(法治国家にあらざる裁量行政)を許容せざるを得なかったと言えるのでしょう。秩序撹乱的なドメスティックな声は無用とされたのです。横並びで順応していなければ弾き出されていたのです。


ロッキィーズ物語

・感動をくれた少年たちへ

コーチ達はそれぞれの生活のドブ泥にまみれて、毎週土曜日にグランドに立つ。
そんなコーチ達に少年たちはピュアなもので挑んで来る。どのコーチも少年達に
かなわないというのが通り相場。
とてもひ弱に見える少年たちが試合で示す頑健な自己主張、驚愕させられる方法
で点を取って来るその現実主義、前の打席でホームランを打ち、次の打席ではぶき
っちょなFがスクイズを決め、それがツーランとなる。うるさい母親やコーチがい
ないかのような態度、自由な立ち居振舞い、ふてぶてしい少年たち。
サラリーマンのコーチ達はそんな少年たちに圧倒されて、惚れ惚れと縦横無尽に
動きまわる彼らを見やり、白昼のグランドに立ちつくす。



その結果、出来上がった日本の資本主義はソ連の共産主義以上に直接統治型の共産主義の典型と成りおおせてしまったのです。本来の株主を抹殺しました法人資本主義を形成しますことで、逆説的ではありますが、満州浪人があるいは夢見ましたのではないですかと考えられる<ピュアな共産主義>の一モデルを作ってしまったのです。<歴史の核融合現象>と言うものがあるとすれば、2000年という年の日本に今それが生じているという認識は奇抜なものでしょうか。といいますのも、戦後50年余の日本型資本主義の形成を経てきました今、その発展の頂点に達して一路瓦解に向い始めたとき、フロー経済の多大な犠牲の上に積み上がりましたストックで少子高齢化の年金社会を生き延びざるをえなくなり、併せて特異な日本型資本主義の鎖国政策が国際会計基準へのシフトでグローバル世界へオープンすることになってきたのです。ここに歴史の核融合が生じて、別の角度から見ざるをえなくなったときにゼネラリスト逹が気付かされるのは<自分たちの金>呼ばわりしていた金が、実はまったく全面的に<人様のお金>だったという大きなショックです。こうして核弾頭にも匹敵するPBO爆弾<人様のお金>が出現したのです。つまり、アメリカの<穏やかな変容>に対して、日本のそれは社会のべーシックな枠組みそのものの<急激な変容>を求められているのです。

数分後、修正ずみの標準契約書式、つまり、最小限に簡略化された信認契約書を
手にしてもどってきた。契約書は三ぺージにわたるもので、その条文の大半が、依
頼人は、自分の金に何が起ころうと、信認代理人に対してけっして償還請求を行わ
ないことに同意する、という定めにあてられている。また、こうした厳粛な誓約が
あるにもかかわらず、やぼな依頼人が代理人にたいして法的訴訟を起こそうとする
ときには、チューリッヒ州の裁判所のみがその争いに関する裁判権を有する旨もう
たわれている。もっとも、そうした不満を抱いた依頼人が勝訴した例は、チューリ
ッヒ州の歴史始まって以来一度もない、といった事実にはこの契約書は触れていな
い。

P.アードマン『無法投機』
(原題:The Set‐Up )


ハ.インフラストラクチュアの再構築
ストックの積み上げである年金マネーの膨張は、単なる国内問題に留まらず一国の壁を軽々と瞬時に飛び越えて活動する場面を創りだし、それが『国家の退場』(S.ストレンジ)という無国家時代の到来を招き、国際政治までも左右する程になってきたというのが現実です。地球規模の観点からのシステムとそのインフラストラクチュアの構築が問題になりつつあるということでしょう。
そのような視野の下、当面日本の<人様のお金>を担保するインフラは、日本型資本主義の破綻ということ、即ち従来型の官僚統制インフラの機能不全と官僚統制にマッチングして創出された株式持合い構造による擬似資本主義の破綻が明らかになったところで、どのような形のものになるのでしょうか。右に倣うというマイナス思考ではなく、せめてキャッチ・アップのプラス思考だけは不可避でしょう。
国民の金(税金)並びに株主資本を<自分たちの金>にしていた日本型資本主義下のインフラ、つまり統制的な政府による信用創造、業際障壁による与信の配分、産業資金配分のための間接金融システム、銀行の株式保有・生保の政策運用等による株式市場のPKO、企業の株式持合い構造による経営の保身、政府の統制に対する協力の一環である米国債投資、証券会社の推奨販売等による反市場行動等々は、市場操作のPKOに最も象徴的に現象していると考えられますが、本来<人様のお金>であるものを全て<自分たちの金>にすり替える操作、オペレーション、管理を主眼としましたケイジアン的手法でした。
それは、経験を度外視しました始めに理念有りきの思考スタイルをべースにした手法であり、英米法理(エクィティ裁判)ではなくドイツ風大陸法理、帰納論ではなく演繹論です。具象でもなく抽象です。ドメスティックなものの管理、つまりドメスティックなものの統制・支配を旨とする思考スタイルです。ソ連の崩壊に続いた日本の破綻は、共に統制経済の機能不全という点では同列の事象であって、このことは併せてドメスティックなものの統制・支配を旨とする思考スタイルそのものの敗北を意味しているということになりましょう。つまり、<人様のお金>のパワーエンジンが点火されたということです。
ということは、新たなインフラストラクチュアはドメスティックなものの試行錯誤な切磋琢磨によってしか構築し得ないのでしょう。ドメスティックなもののバイタリティに負託することになりましょう。


ごく最近までアメリカの制度は、部分的で断続的かつ間接的な政府介入を受けな
がら、民間企業が信用を創造し、取引するものだった。一方で日本の制度は、管理
された市場から民間の利害がしだいに利益機会を得られるようになったとはいえ、
国家が信用創造と信用の価格を管理する統制制度だった。

S.ストレンジ『マッド・マネー』
―世紀末のカジノ資本主義


日本型資本主義における<自分たちの金>の世界でメイン・インフラとなっていたのは、大陸法理をバックとした自己責任を強く要請する契約概念でした。そうではありましたが、日本型資本主義は法人化(組織)という手法で巧妙にこれをすり替えてしまい、誰も責任をとらなくてよい構造を組成し、野村、住専、山一、大和銀行等の事件で明らかになりましたように関係した官民共に責任感も倫理も地に堕ちてしまい、結果的に組織的な詐欺集団となりおおせてしまいました。性悪説に基づく自己防衛を基本理念とする<契約概念>は、本来厳しい自己規律が求められるところですが、これらの事件が自分に甘くなってしまえばどうにも打つ手のなくなるひ弱なインフラであることを図らずも明らかにしてしまったのです。つまり、日本の法理における契約概念には、法理としての厳密さが欠け、勝手な解釈を許容する曖昧さが含有されているうえに、互いに互いの善意にもたれ合う相互依存によって形成されていたのです。島国の同一文化圏に生活する者の<和をもって貴っとしとする>心情が個別事項の確認を羞恥・逡巡させ、性善説の依存によって曖昧なまま放置するのです。本来、契約概念は性悪説で構成・構造化されるところを性善説の日本人の契約概念には論理性、合理性等の観念が希薄でしたと言えるでしょう。
一方、一般事業会社においても、株式持合い、含み益経営、三種の神器による低コスト化等々のアンフェアな契約に反する得て勝手な法人行動で、本来株主の金や従業員の金である<人様のお金>を<自分たちの金>に勝手に読み変えて契約を反故にして無法状態を作り出してきたのです。とは言え、契約が当事者間の自立した自己責任で文字通り構成されているのであれば、裁判とか賠償とかということになるのでしょうが、日本型資本主義の世界ではそれをさえ巧妙に法人組織の構造にすり替えてしまっていますので、契約本来の機能が完全に不全状態にされているのです。「法すらない日本」ということでしょう。

日本社会は官僚を頂点とした管理社会だ。内向きな管理社会からオープンな自立
的社会に転換しなければならない。米国経済をみればいい。レーガン政権時代、も
ともと日本よりはるかに少ない規制を全部、取り払い、大減税もした。税金という
のは『官』が個人の収入の一部を召し上げるわけだから、減税は『官』が管理する
パーセンテージを低くするということだ。可処分所得を大きく増やすことで個人の
自立的な経済活動の範囲が広がる。

小沢一郎:「小沢自由党首に聞く」
日本経済新聞 平成12年4月30日 朝刊


つまり、日本は官僚と法人がつるんで契約も無い法理も無視の無法状態を組成した統制統治国家となってしまったのです。民間人が法人という蓑を被って、中央統制の統治を目論む官僚に迎合している不様な国民国家に成り下がってしまったのです。実に、明治は遠くになりきです。
ここに日本型資本主義は個の完全な隠蔽を成就したのです。その手法は、官僚・法人の文脈への強制的ないざないと村八分、そのために強制されるドメスティックなもののひたかくし、つまり遮蔽の一事につきるでしょう。その結果、押さえ込まれ窒息した個が奔流となって想像もし得ない社会的事件・社会現象を引き起こしていると言えるでしょう。


二十世紀が「国家の世紀」「組織の世紀」だったとすれば、二十一世紀は「個人
の世紀」になるというのが一般に共通した見方だ。もたれ合い型ではなく、多元的
な価値観にもとづく自立した「個」による自己決定・自己責任型の経済社会であ
る。

芹川洋一:21世紀へ憲法改革を
日本経済新聞 2000/5/3 朝刊


このような無法状態の中で、<人様のお金>をどう保全し、どう効率運用したらよいのか。うかうかしていると、又いつ何時<自分たちの金>にすり替えられるかもしれないのです。こういうのを年金資産運用保全の本当のリスクというのでしょう。これほど大掛かりな一網打尽に仕掛けられるリスクは他に余り例が無いでしょう。カントリーリスクとか政治リスクもこれに比べれば一過性のリスク、テクニックレベルのリスクに過ぎやしません。
幸いなことに、このような日本型資本主義の敗北が明らかになったころ、嫌々ながらの応諾ではありますが、国際会計基準に添うことが本決まりになりました。新たに時価会計、連結決算、キャッシュフロー計算書、退職給付債務等々のインフラが採用されることになり、アンシャンレジームの断罪と編成変えが強要されることになってきました。



ロッキィーズ物語

・優勝したら温泉招待!

文字通り、「ひょうたんから駒」だった。冗談に少年たちと話していたことを
彼らは現実にしてしまったのだ。あわてたのはコーチ達。5万円ほどの少年たちの
宿泊代をどう捻出するか、ドタバタが始まった。
というのも、6年生たちに、「優勝したら温泉招待!」だと言ったのだから、冗
談か約束か別にして、優勝したからには心意気上、これはMUSTの世界だと観念
してコーチ達で分担し合い、少年たちの温泉招待が実現した。
少年たちと180度眺望のきく白濁した温泉に入りながら思うに、「現実」の荒
々しさを少年たちは見事に導きだしたということ、これを成し遂げたという一事に
静かに感動しつつ、こういう経験をさせてくれた少年たちに感謝するだけだった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿