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年金=「人様のお金」→第4章 (4)<人様のお金> ②人様のお金 1

2008年11月04日 | 厚生年金基金


『人様のお金』
Other People‘s Money
厚生年金基金って、何んだ?

平成12年8月脱稿
高野 義博

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第4章 厚生年金基金経営上の諸問題

(4)<人様のお金>

②人様のお金 1
「・・・・・・・アメリカのお金USドルにはコインでもお札でも必ず "In God We Trust" と書かれていることをご存じだろうか。これは日本語にすれば「富を神に信託する」という意味になるでしょう。」と、大場昭義氏は『資産運用ビッグバン』で指摘しています。

日本人にとって「神」は別にしても「 Trust 」は研究するに値する概念でしょう。発祥は14世紀以来の英国封建時代の領主と領民との争いの判例の積上げで生み出された信託法のようです。
1933年米国ル-ズベルト大統領の「今われわれが必要としているのは、他人の財産を預かって運用する銀行や企業、その他機関のマネジメントの責にある人々は、資産を預けた人々の『受託者(trustee)』の立場にあるという、古来の真理を再確認することなのです」(日本経済新聞平成11年11月19日夕刊十字路:井手正介・学び忘れた「受託者責任」)という言葉で信託ということが意識され、1960年にハルブレヒトが『年金基金とその経済的な権力』を著し、1974年にエリサ法成立、1976年にドラツカ-『見えざる革命』出版、1986年に英国ではIMRO成立、そしてついにこの日本で1997年厚生省の「受託者責任ガイドライン」が成立し、1998年には厚生年金基金連合会から「受託者責任ハンドブック(理事編)」が追加され理事の行動指針が示され、「受託者責任ハンドブック(資産運用機関編)」も2000年4月に発刊の運びとなってきたところであります。年金法の確立はまだ数年先のことでしょうが、遅れること米国に60年余、エリサ後でも20年余、英国に10年余でようやく研究が始まったばかりです。

日本のtrusteeまたはfiduciaryの観念が育まれていなかった過去の30年余に、厚生年金基金は企業と加入員の拠出金(掛金)を預かって、加入員・年金受給者、それに受給待期者に帰属する資産を資産運用機関と資産保管機関(日本では通常この2つの機能を総幹事会社がはたしている)に預けて管理してきましたが、政府の超低金利政策だけで資産保全が図れなかったのではなく、年金積立金に対する様々な見解の相違によって積立金の保全が達成されなかったのも事実です。それは、日本型資本主義(統制・計画経済手法、株式持ち合い体制、含み資産経営、ゼネラリストの法人代表というフィクション、本来の株主不在、三種の神器等によるインナーサークルに限定された家族主義的資本主義)の「和」に埋没しました「個」の平安という価値観、あるいは個の十全な展開を旨とする欧米風自由主義の効率性とは相違しました「和」の観点から全てを取り込む際の効率性等によって、年金積立金の保全は次善のテ-マ煮され、ないがしろにされてもきたのです。つまり、日本型資本主義は別の文脈に作り替えるというか、独自な文脈を創造したのであって、西欧風資本主義とは意味の異なる別の言語を生みだしたのです。

このため、日本型資本主義には理念としての法の精神や会計原則、年金受給権などという考え方は問題にもならなかったし、日本型資本主義のロジックには<人様のお金>という観念は当初から存在しなかったのです。株主の金でさえも自分たちの金にしてしまいます<横領>を官民ぐるみで構造化しましたインフラストラクチャ-を仕組んでいたほどであるのですから。この意味では、法人株主とか金融機関の株式保有などという実態には、巧妙なからくりが仕組まれていますと言えばよいのか、とてつもない知恵が含まれていると言えばよいのか、一義的に判断出来ないのかもしれません。

先にも触れましたように、基金の年金積立金、つまり加入員・年金受給者、それに受給待期者に帰属する資産を、功労報奨的退職金と考えたり、社会保障の一環と位置付けたり、法的な信託資産・保険資産と解釈したりしてきたのです。さすがに、基金の役職員には、年金積立金を基金のものですとあからさまに主張する人はいなかつたようですが、実際の運営の場面ではそのように曖昧な帰属のために、自分の金だとか、会社の金だとかという認識で傲慢になったり、勝手な法解釈を強引に展開したり、保身のために経営サイドに提供しましたり、危うい場面が幾つもあったことも事実ですし、現に今でも<危うい常務理事または理事長>が散見します。要するに、ゼネラリストやテクノクラ-トの恣意的行動が許容されてしまう程度のインフラしか現在のところは確立していないのです。

功労報奨的退職金からすれば会社の金ですと言う発言も納得出来ますが、退職金の位置付けが一旦後払い賃金ということになれば、またはその一部でも基金の加算型に組み込まれました部分は会社の金ですと言うわけにはいかないでしょう。それでは適格年金はどうかと言えば、会社の金になるのか。通産省なら、そう言うでしょう。それもこれも、退職金の位置付け次第でしょう。これらの混乱の上に代行分の位置付けも曖昧になっているわけです。

世界の常識からすれば、退職金は後払い賃金として確定しているようですが、日本もいよいよ国際会計基準の導入、退職給付債務の採用で、有無を言わせず<後払い賃金>説で新しいフレームワークを構築せざるを得なくなってきているのでしょう。ということは、そういう考え方の背景にある世界観の、哲学の変更を求められているということです。


一般に、ケ-ス・メソッドを行うことによってえられる教育効果は、(1)概念化
能力(Conceptual Skill)、(2)分析能力(Analytical Skill)、そして(3)コミュ
ニケ-ション能力(Communication Skill)の三つだとされている。

和田充夫『MBA』-アメリカのビジネス・エリ-ト


ところで、日本で<人様のお金>と言えば否定的に使われる「人の金」という言い方は別にしましても、また、英語の Other People's Money の文脈(レバレッジを効かしたときに生まれる金? OPM)はいざしらず、<徒や疎かにできない人様のお金>と形容されるのが一般的です。

 ここには長い時間をかけて形成されてきた日本人の倫理観、宗教心、商道等の神髄が表明されていると考えても間違いではないでしょう。と言うのも、我々日本人は聖徳太子のころから、農耕的風土を背景に狩猟民族とは違い人をあやめてはならないと言われるより、人様のものをくすねてはいけないと、ことある毎に教育されてきたのであり、<徒や疎かに>してはならないと、父母からきつく言われ続けてきたのです。これが日本人の心性の基盤を形成しているし、形成してきたのです。

つまり、trusteeやfiduciaryの外来観念で考えるまでもなく、日本語の語感、倫理感覚で<人様のお金>と言えば、含有蓄積された文化・歴史・慣習等から日本人の哲学、宗教、倫理、道徳の神髄に触れる或る規範が自ずと浮上してくることになるということです。ことによると、trusteeの神髄は<人様のお金>なのかも知れません。

例えば、エリサ法における404(a)(1)の忠実義務の条文にある「基金の受託者は基金の加入者及び受益者の利益においてのみ任務を遂行しなくてはなりません。」という規定は、<人様のお金>から考えると至極当然のことで新ためて取り上げるまでもない事柄です。ここから、原資産保全や機関投資家としての行動が始まるのではないでしょうか。プル-デント・マンからプル-デント・インヴェスタ-へ。

ところが、どうでしょう。日本ではこの心性はバブル経済によって麻痺しましたという以前に、戦後の経済復興を果たす過程で組織的・構造的に奪取されてしまったのです。日本の金融秩序は大蔵省の金融行政とそれに絡まり付いていました銀行、生保、証券、事業法人等によってインモラルの極みに達してしまったのです。<倫理>などという言葉は久しく聞いたこともなく、<倫理>などと言うものなら、坊主臭いとかで村八分にされるのがおちであります。ましてや、<徒や疎かにできない人様のお金>などというフレ-ズは死語になってしまっていたのです。恐らく、現在でも大蔵省や銀行、生保、証券、事業法人等の面々にこの言葉はナンセンスそのものであり、この言葉をかけられても能面のような死に顔を返すだけのことでしょう。人の心の琴線に触れさせるためにも、お蔵入りになっている<人様のお金>という言葉、活字を巷に溢れかえすことも必要かもしれません。新車の売出しのように金融業が軒を連ねる道路に幟を建てますとか、インタ-ネツトにバ-チャル広告を縦書きで何気無く流すとか・・・・・・・。


それはいわば「沈黙の規範」とでもいうべきものです。しかし、その「沈黙の規
範」としてのアイデンティティさえも失われれば、その社会の経済は、グロ-バリ
ズムの「浮遊する金融」によって翻弄される以外にない。個人の生もこの「浮遊す
るもの」の中で浮沈を繰り返すだけである。市場の運動には容易には取り込まれな
い、また侵食されない「沈黙の規範」だけが、人々をかろうじて「確かなもの」に
つなぎ止めるのではないだろうか。「自立した個人」とは、この「沈黙の規範」つ
まりその内面にアイデンティティを自覚した者でしかないと思われるのである。

佐伯啓思『幻想のグロ-バル資本主義』下巻ケインズの予言








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