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素材抜粋-13 市場対国家

2010年05月25日 | 読書
市場対国家

世界を作り変える歴史的攻防



ダニエル・ヤーギン:ジョゼフ・スタニスロー著

山岡 洋一訳

日本経済新聞社 1998年





日本の読者へ



 『市場対国家』は、「考え方」の変化が極めて大きな力をもちうると論じている。





 そのような世界では、日本の旧来の体制は、これまでどれほど効率的ではあったとしても、うまくは機能しないだろう。政府が経済を指導する体制では、世界市場の現実には対応できない。意思決定を分散しなければならない。





はじめに――フロンティアにて



 ハーバード大学のケインズ流「新経済学」は1960年代、ケネディ政権とジョンソン政権で圧倒的な力を持っていたが、90年代に世界的に影響力を誇っているのは、シカゴ大学の自由市場派である。





 アメリカではリベラル派(リベラリズム)とは、政府が経済に介入して積極的な役割を果たすべきであり、経済での政府の関与と責任を拡大するべきだとする立場を意味する。ところが、アメリカ以外の各国では、「自由主義(リベラリズム)」はほぼ正反対の立場を意味している。





 世界を支配しているのは、考え方以外にないといえるほどである。

                                  ケインズ   





 「自由主義」は国の役割を減らし、個人の自由、経済面の自由を最大限に認め、市場を最大限に活用し、意思決定の分散を図るよう主張している。ジョン・ロック、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミルらの思想家の流れをくむ考え方である。



第1章 栄光の30年間――ヨーロッパの混合経済



 第二次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパでも世界の大部分の地域でも、今日では創造が難しいほど、資本主義は信頼を失っていた。





 第二次大戦の直後、労働党は官制高地を制圧するために、当時、国内のエネルギーの90パ-セントをまかない、多数の中小企業に分かれていた石炭産業を国有化した。





第2章 巨大さという問題――アメリカの規制型資本主義



 有名な著書のタイトル、(ルイス・ブランダイスの)『他人のカネ――銀行はそれをいかに使うか』がすべてを物語っている。





 ブランダイスの著書『他人のカネ』にしたがって、ロ-ズベルト大統領は、「他人のカネを扱うものは、他人のためにつくす受託者であるべき」だという原則を打ち立てた。





第3章 神がかりの修道士――イギリスの市場革命



 マーガレット・サッチャーとキース・ジョセフが追求していてたのは、合意に基づく政治ではなく、信念に基づく政治である。





 本人によれば、集産主義の「流れを逆転させる」キャンペインである。混合経済を支えている合意のすべてに兆戦しはじめたのだ。ケインズ流の需要管理によって完全雇用を目指すのではなく、通貨供給量を安定させてインフレを抑制することに焦点をあてるべきだという点が、主張の中心であった。





 考え方を変えた点で決定的だったのは、完全雇用というケインズ主義の目標を基本的な誤りだとして拒否したことである。





 ゆりかごから墓場までの「甘やかし」を特徴とする「乳母国家」を捨て、リスクと報酬という「自由企業」の文化の厳しさを取り入れることを望んでいた。政治とは「哲学を行動に移したものだ」というエドマンド・バークの言葉を好んで引用した。





 何年にもわたって、サッチャリズムはほとんどあらゆるところで、疫病神のように思われていた。しかし1990年代には、サッチャーの影響で、世界各国の新しい経済政策が確立されるようになっていった。





 「いまでは、法のもとでの自由と企業活動の方が、産業と国民に対する政府の大がかりな介入より良いことが理解されている。新しい労働党は、社会主義がなんであり、どのように失敗したかを理解しており、まず富を創造しなければ再配分もできないことを理解している。社会主義は、富の創造の前に、再配分からはじめる」

                                サッチャー





 「そう、出発点は考え方、信念だった」。しばらく間をおいて、(サッチャーは)こう続けた。「そう、信念を出発点にしなければならない。すべては信念からはじまるのだ」





第4章 信認の危機――世界的な批判



 モデルと呼ぶこともできるし、偶像と呼ぶこともできる。20世紀を魅了した魔法だともいえる。20世紀の歴史のかなりの部分は、マルクス主義によって形作られ、マルクス主義に魅了された人たちとそれを拒否した人たちの間の戦いによって、そして、選択の余地もなくこの戦いに巻き込まれた人たちによって形作られてきたからである。





 わたしが学生に強調したのは、見えざる手が隠れた手よりはるかに強力なことだ。命令や管理や計画がなくても、ものごとは見事に組織化されて進んでいく。これが経済学者の間で共通した見方になっている。ハイエクが残した教訓だ。





第5章 奇跡を越えて――アジアの勃興



 55年体制によって、日本はおそるべき競争力をつけてきたし、当初には考えられもしなかったほど生活水準が高まった。しかし、国が市場を「指導」した時代、通産省が「管制高地」そのものであった時代はあきらかに、はるか以前に終わっている。将来はどうなるのだろうか。国と市場の戦いが、今後何年かにわたって、日本の社会にとって中心的な課題になるだろう。この戦いは、政治の場で繰り広げられるだけにとどまらず、国民の心をめぐっても繰り広げられることになるだろう。





第8章 許認可支配の後に――インドの覚醒



 インド政府は、ソ連型の中央計画経済にならって重工業に資源を集中させようとした。決定的に誤っていたのは、投資の生産性や製品の質や価値ではなく、投資そのものを重視した点である。





 この結果できあがった経済体制には、自滅をもたらす三つの特徴があった。第一の特徴は、「許認可による支配」であり、生産、投資、貿易のすべての段階を複雑で非合理的、ほとんど不可解といえるほどの管理と認可で支配する制度である。・・・・・・・。

 第二の特徴は、企業の国有を強力に志向した点である。・・・・・・・。

 自滅をもたらす第三の特徴は、貿易を拒否したことである。





 インディラ・ガンディーは、父、ネルーがしいた経済政策路線をほとんど変えようとしなかった。





 何十年もの間、インドは、最初は日本で起こり、その後、虎と呼ばれるようになったアジアの諸国で起こった「経済の奇跡」を無視してきた。





 チダムバラムは言う。「サッチャ-政権の動きには仰天し、目を開かされた。」





第9章 ルールにのっとったゲーム――中南米の新しい潮流





 30年近く後の1980年代半ばになって、ゴニは別のシナリオを書くことになる。いわゆる「ショック療法」のシナリオである。ただし映画のためではない。国家主導型経済から市場経済への大規模で急激な(ほとんど一夜といえるほどの)移行計画のシナリオである。ショック療法は、いまでは世界各国で実施されてきたが、その発祥の地は中南米であり、ゴニは原作者と呼ぶにふさわしい。しかも、きわめて短期間のうちに書いている。締め切りを課したのは映画会社ではない。迫り来る危機だった。





 1990年代後半、こうしたモデルは崩壊しつつある。代わりとなるシステムが確立したとはいえ、基本的な方向は明白になっている。市場を自由化し、政府の役割を縮小して見直す。民営化によって生産から撤退し、政府支出を削減してインフレを抑制し、関税を引き下げ、政府はこれまでの活動を手放す。この過程で、かっては軍事独裁が当たり前だと思われていたこの地域の大部分の国で、民主化がめざましく進展している。





 中南米諸国に広まっていた国家統制主義政策は、「ディペンデンシア」、すなわち従属理論から多大な影響を受けている。従属理論は輸入障壁の構築、閉鎖経済、市場の軽視など、国による支配を根拠づける理論である。1940年代末から80年代まで、この従属理論が中南米の常識となっていた。





 ショック療法を実施する決意を固めたカバロ経済相は、さまざまな領域で、ただちに行動を開始した。第一に、貿易障壁を取り払い、改革を導入し、競争と輸出を促進した。第二に、アルゼンチン通貨をアメリカ・ドルに連動させた。通貨兌換法によって、中央銀行がアウストラルを固定レートでアメリカ・ドルに交換することを義務付けている。これによって、通常の国家主権の一部が明確に放棄された。





 カルドゾ大統領の行動は、中南米諸国の新自由主義の旗手のようにみえるが、大統領の発言には、そうした面はみられない。その主張は、いまだに社会民主主義者のもので、貧困の撲滅と平等の実現を政策目標としている。しかし現在、モデルとして掲げているのは、「規制された自由市場」と西欧型の混合経済である。従属理論は、世界経済の変化や技術進歩、競争の中で廃れていった。政府は、自信過剰になり、非効率になり、介入しすぎて、経済の問題を解決するのではなく、原因そのものになっていた。





 10年以上も前にショック療法を生み出したボリビアでは、最近、市場経済への移行に対する国民の支持を強めるために、最新の手法を開発した。1993年から97年までボリビアの大統領をつとめたゴンサロ・サンチェス・ロサダと改革チームは、各国の民営化の方式を検討し、違う方式をとることを決めた。エネルギーや通信などの主要な国有企業を売却するのはおなじだが、その方式が独特だ。アンデス山中の先住民が地主と小作人の間で作物を分配する際に使っている方法に注目し、民営化にその手法を取り入れたのだ。国有企業を売却する際、政府が入札方式で、戦略的パートナー(典型的には、その分野で経験豊富な外国企業のコンソーシアム)を選ぶ。パートナーは、50%の株式を所有し、経営権を握る。

 ボリビアが開発した手法では、残りの50%の株式を年金基金に譲渡し、その経営も民営化する。年金基金は、毎年度末に、民営化された企業からの収益を使って、65歳以上のボリビア国民すべてに配当を支払う。配当は、一人当たり250ドルという少額から始まったが、これは一人当たり国民所得の10%以上に相当する額だ。





 大統領は、この計画を民営化とは呼んでいない。民営化という言葉はあいまいで、政治面で否定的な意味合いが強いと考えたからだ。代わりに、サッチャ-首相や世界各国で民営化を推進した人びとが避けてきた言葉、「資本化」を採用した。この言葉は、市場の自由化と福祉の著しい向上が両立することをあらわそうとしている。年金基金を活用するのは、ふたつの基本目標を達成するためだ。第一は、経済成長の成果を幅広い国民に分配することだ。国民が企業の株を保有し、その業績から直接、利益を得るのである。第二は正統性の問題だ。この方式では、企業のかなりの部分が「国民」の手に残る。





 市場が立て直されれば、政府の再発見が課題になるだろう。経済を管理し、国民を苦しめる政府ではなく、公正な規制者として適切な役割を果たし、国民の二ーズに応える能力のある政府だ。このシナリオは、まだ完成していない。







第10章 市場行きの切符――共産主義後の旅路





 1991年11月、ガイダルは副首相兼経済財政相に就任した。就任の以前にも、きわめて重要な任務を果たしている。91年10月、エリツィン大統領が大規模で急速な経済改革を進める基本的な意思を表明した演説を起草したのだ。「小さな段階を踏んでいく時期は終わった。改革を一気に進める突破口が必要になっている」。そして、8月のクーデター

未遂事件をこう総括した。「われわれは政治の自由を守った。つぎは経済に自由を与えなければならない。官僚制度の圧力を取り払い、事業活動と企業活動の自由に対するすべての障壁を取り除き、国民が労働の成果を受け取れるようにしなければならない」





 ガイダル、チュバイスらにとって、民営化には中心的な目標がひとつあった。チュバイスはこれを「幅広い民間所有者層」を作り出すことだと表現している。言い換えれば、改革路線と共産主義体制の終焉を「逆戻りできないものにする」ことである。要するに、資産を所有する人たちを大量に作り出し、これらの人たちが市場経済に利害関係を持つようにして、経営管理者、官僚、旧共産党幹部、怒れる民族主義者、将兵、懐古派らの対抗勢力になるようにすることが目標であった。この目標が民営化の過程全体の原動力になり、反対や障害を乗り越える粘り強さを改革派に与える力になった。





 ロシアは民営化にあたって、欧米型の慎重な方法をとることはできない。一件づつ慎重に評価し、事業再編を進めた後に民営化するような時間はない。慎重に進めていけば、22世紀になってもまだ民営化が終わっておらず、官僚の支配が続き、経済は停滞から抜け出せていないだろう。それまでの間、共産主義への逆戻りをこころみる余地がいくらでもあることになろう。





 連帯(ポーランド)は経済顧問として、中南米での活躍で国際的に高い評価を得ているハーバード大学のジェフリー・サックス教授を迎えていた。・・・・・・・。数時間にわたる

白熱した議論のすえ、教授は単純明快にこう勧めた。やるしかない、権力を握るべきだと、連帯の指導者は大きなため息をついた。「今日の議論には、心から落胆している。教授の言われることは正しいと思うからだ」





 連帯の指導部はサックス教授と同僚のデービッド・リプトン教授に、経済を一気に変革する総合的な計画の概要を書くよう依頼した。「概要は、『この計画で、ポーランドは市場経済に飛躍する』という言葉からはじめてほしい。改革は急速に進めたい。それが唯一の道だからだ」。アメリカに帰って、リプトン教授とふたりで計画を書き上げようとサックス教授は答えた。いや、そんな時間はない、明日の朝までに必要なのだと、連帯の指導部はいう。ふたりはその夜、徹夜で概要を書きあげ、翌日、グダニスクに行って連帯の幹部に会い、説明した。





 1989年8月、タデウシュ・マゾビエツキが非共産勢力からのはじめての首相に選任された。首相はどのような経済政策をとるべきかはわかっていなかったが、急速に動くことを望んでいた。サックスとリプトンのふたりの教授が示したような計画を実行できる人材を求めていた。そして、「ポーランドのルードビッヒ・エアハルト」を探したと、首相は語る。

 マゾビエツキ首相は、ポーランドのエアハルトになる人物として、経済学者のレシェク・バルツェロビッチを選び出した。





 バルツェロビッチはこのときのために、20年にわたって準備を続けてきた。ニューヨーク市のセントジョーンズ大学で2年間、経済学を学んだ後、韓国と台湾の高度経済成長をもたらした要因を研究した。一時期、西ドイツに行って1948年のエアハルトの経済改革を研究している。・・・・・・・。中南米各国の安定化政策についても根気強く研究し、どのような政策が成功し、どのような政策が失敗したかを検討してきている。





 1978年からはワルシャワで、「バルツェロビッチ・グループ」と呼ばれるようになる研究グループを主宰し、社会主義の「問題」、ポーランド経済の改革の方法を長期にわたって研究してきた。財産権、経済における国の適切な役割、インフレーション、社会主義のほんとうの意味での特徴として浮かび上がってきた「不足」の問題など、基本的な問題に焦点を合わせてきた。





こうした研究の積み重ねで、バルツェロビッチは「斬新的な改革」はかならず失敗すると確信するようになる。広範囲な改革を急速に実施しなければ、経済の方向を変えられる「臨界量」には達しない。経済学者にはめずらしく、バルツェロビッチは社会心理学にも関心を持っていた。とくに、認知的不協和の理論に強く引かれている。経済改革にあたって認知的不協和が重要な要因になると説明している。「改革が段階的に実施される場合より、経済環境を抜本的に変化させるような改革が実施され、後戻りがきかないとみられた場合の方が、人びとが態度と行動を変える可能性が高くなる」





 第12章 遅れて起こった革命――アメリカの新たな均衡



 全米レベルで、政府が福祉に果たすべき役割がとくに重要な問題になるのは、高齢者福祉に対する責任の分野だと思える。今後、6~10年以内に、おそらく2005年ころには、社会保障基金は、破綻につながりかねない重大な危機に直面すると予想されている。この対策として、社会保障信託基金の一部を株式に投資すべきだという主張や、民営化し個人が管理する年金基金に振り返るべきだという主張が出され、議論されている。しかし、問題ははるかに深刻かもしれない。問題は財政の動向だけでなく、人口動態にかかわる根本的なトレンドにあるからだ。全人口に占める高齢者の比率が急速に上昇していくので、現行の賦課方式のもとでは、少ない労働人口で、多くの高齢者を支えなければならない。





第13章 信認の均衡――改革後の世界



 世界の各地域にはそれぞれ独自の課題があるとはいえ、国から市場への移行に関して共通の疑問がある。この移行は永続するものなのか、それとも一時的なものにとどまり、国と市場の境界を見直し、再調整する動きが起こって、政府の役割と責任がふたたび拡大するのだろうか。これはまさに、本書の締めくくりにふさわしい問題である。しかし、こうはいえる。人びとが信じるものと世界を解釈する方法、つまり人びとが受け入れる考え方と拒否する考え方が、今後、この問いへの答えがどうなるかを決める大きな要因になるだろう。





 市場の重視は、一部の人たちにとって信仰に近いものになっている。しかし、こういう人たちは少数派であり、現実を見つめて、いくつもの選択肢を比較検討した結果として、市場を重視する人の方がはるかに多い。シンガポ-ルの現代化の父というるリー・クアンユー上級相が、この点をうまくまとめている。市場を重視するようになったのはなぜかとの質問に、「共産主義は崩壊した。混合経済は失敗した。ほかになにがあるのか」と単純明快に答えているのだ。結果が重要である。市場重視の新しい合意は、それが生み出す結果によって判断されるだろう。





 以下にあげる五つの点が、市場に関する人びとの見方と判断を左右する要因になると思われる。

 成果を挙げているか

 公正さが保たれるか

 国のアイディンティティを維持できるか

 環境を保護できるか

 人口動態の問題を克服できるか





 しかし、民営化を支える要因には、別の強力なトレンドがある。世界的に、資本市場で根本からの変化が起こっており、所有権が分散してきているので、民営化がもっとも受け入れられやすくなるだろう。年金制度が変化しており、政府が勤労者から社会保障税を集めて高齢者に分配する賦課方式から、貯蓄を年金基金に積み立てていく積み立て方式に移行している。このため、民営化された企業は大部分、巨額の富を持つ一族や大物実業家によってではなく、老後に備えて蓄積された貯蓄によって所有されることになろう。年金基金が株式市場を通じて、あるいは直接に、民営化された企業に投資するようになる。したがって、民営化の正当性を支える根拠が、四半世紀前にはなかった点にまで拡大している。



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