3.取敢えずの401(k)論
●取敢えずの401(k)論
この度のアメリカ旅行で奇妙な印象として残ったことに、「YesではなくOK! 」というのがあります。飛行機の中でもプレゼンテーションでも街中でも、聞こえてくるのは男女を問わず「OK! 」という短い叫びのような言葉。
考えてみるに、日本人は「Yes」とは「はい」ということですと教えられてきました。
しかし、「Yes」と言って立ち上がる人はいないが、「OK! 」は次の行動の予告といいますか、「OK! 」と言う人は、そう言うと同時にもう向こうへ行ってしまっています。
スピードがまったく違う。「Yes」の場合は、直ぐに行動が伴いません、或いは遅れて行動が出てくる、最悪の場合はただ聞き置くだけで一切行動が生まれないこともあるようです。
この違いは、何なのでしょう?
現在の日本で「OK! 」と言う人はいるのでしょうか。1億総「Yes」マンなのでは
ないのか。日本語になっている「イエスマン」はどういう人間か別にして、行動しなくなってしまった日本人、本来の意味の行動、自己のポリシーで動く人がいなくなってしまったのではないでしょうか。明治の人間、それに戦争直後の経済的混乱期の人間に「OK! 」と言う人がいたのではないでしょうか。
今の日本人は「Yes」と答えて、深く沈潜してしまい、マイナーなものに呪縛されて身動き出来なくなっているのだろうか。そうであっても、マイナーなものはいつの世にも何処にも必ず在るものですが、それを巻き込んでプラス思考を更に一層拡張・拡大・展開していくのが、「OK! 」という言葉の意味なのではないでしょうか。
立ち止まることを知りません「OK! 」という文化は、マイナーなものをロスカットし
置き去りにして、次から次へと切磋琢磨の試行錯誤を繰り返して新規のベターなものを創り上げるべく動きまわることになります。これが<アメリカン・スピリッツ>の背景にある個人の十全な開花に神の意志を見る個人主義(Individualism)の神髄ではないのでしょうか。
401(k)プランはこのような土壌の上に、米国政府の小さな政府を目指す社会保障費削減策とDBの積立不足に苦しんだ企業のリストラ策とが<Individual>をキイタームにして集約されましたフレーム・ワークでしょう。その上、401(k)プランは個人ベースのテクノロジー開発と政府・企業によるインセンティブ付与が相まってプラン発展のエンジンが高速回転することになったようです。
この辺の好循環を『負けない年金』(http://www.nenkin.co.jp)の「日本版401(k)プラン構築に向けて」で、村田純一氏は次のように見事にまとめています。
「トータルベネフィットの中の401(k)プラン」という企業のべ
ネフィット戦略は、課税繰り延べの支援策をうけて、従業員報酬水準
の維持=国際競争力獲得=企業業績向上=マッチングインセンティブ
強化=従業員モラル向上=生産性向上といった、楽しい循環をもたら
しているのではないか。
おそらく、米国の企業は1980年代のDBの積立不足という苦い経験をした上に、資本の効率性の観点でDBのコストが「顔の見えない」コスト、金を注ぎ込む割には従業員が余り承知しない制度であることに対しても苦い経験をしたのでしょう。DBのフレーム・ワークがDCに比してハイコストであることを、ちょうど日本の代行型の年金給付が加算型のそれに比してハイコストを含有していることを経験・認識させられるように、制度そのものが持つ経済効率上の欠陥に気がつくことになったのではないでしょうか。
DBとDCで、同じ「金」の経済効果が明らかに違う場面に遭遇すれば、資本は自然に有利な方に流れていくでありましょう。DBの<顔の見えない>全体資産管理方式では資本は吸い取られるばかりで効果が余り表に出てこないのに対して、DCの<顔の見える>個人勘定というフレーム・ワークは金を入れれば入れただけの見返りがただちに表面化するのです。DCの器であれば、企業のマッチング拠出、ストック・オプション、自社株取得推奨、報酬の市場調達、株式連動報酬、寄贈基金等が、インセンティブ手段として機能することになり、DBのコントリビューション・ホリデイーによる余資もそれに振り向けることも出来るようになります。
要するに、401(k)プランは<Individual>をキイタームに、インセンティブ付与がダイナモとなり、個人ベースのテクノロジーとエデュケーション(教育・啓蒙の戦略)が相まって高速回転エンジンと化すのです。その結果、経済が活性化されるという循環が成立することになります。
図表19 401(k)プランのエンジン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3f/476ee7fcd926a9a3a77103ffb6edd6b7.jpg)
これが現在アメリカをエキサィテングにしている401(k)エンジンの仕掛けでしょう。
401(k)の金は「資本」となって1万ドル株式市場に活況を提供し、経済全般の好循環を作りだしています。 これに対して日本人風にマイナス思考を作動させて、「危惧」を考えれば、株式市場崩壊の時にしたたかさがどれほど組み込まれていますかであるが、それは一にエデュケーション次第であるといいます。
この401(k)エンジンの今一つの凄味は、この仕掛け全般が「民間活力」で行われているということです。官僚の口出しは優遇税制の一点のみであり、他は全て社会全般を巻き込んで民間の智恵・技術・インフラ・民意等によって<民-民の圏内>で達成されているということです。役人嫌いのアメリカ人のアメリカン・スピリッツが十全に開花した仕掛けとなりおおせていると言えるでしょう。
ことによると、「民間活力」という概念は抽象的な役所言葉であって、インセンティブ(誘発、刺激、動機、誘導策、優遇策・・・・・・・という言葉の方が的確な現実的概念であるのかも知れません。1週間のアメリカで「インセンティブ」は何10回となく聞いたが、一度たりとも「民間活力」とは聞かなかったのは、そういうことを意味しているのでありましょう。
●取敢えずの401(k)論
この度のアメリカ旅行で奇妙な印象として残ったことに、「YesではなくOK! 」というのがあります。飛行機の中でもプレゼンテーションでも街中でも、聞こえてくるのは男女を問わず「OK! 」という短い叫びのような言葉。
考えてみるに、日本人は「Yes」とは「はい」ということですと教えられてきました。
しかし、「Yes」と言って立ち上がる人はいないが、「OK! 」は次の行動の予告といいますか、「OK! 」と言う人は、そう言うと同時にもう向こうへ行ってしまっています。
スピードがまったく違う。「Yes」の場合は、直ぐに行動が伴いません、或いは遅れて行動が出てくる、最悪の場合はただ聞き置くだけで一切行動が生まれないこともあるようです。
この違いは、何なのでしょう?
現在の日本で「OK! 」と言う人はいるのでしょうか。1億総「Yes」マンなのでは
ないのか。日本語になっている「イエスマン」はどういう人間か別にして、行動しなくなってしまった日本人、本来の意味の行動、自己のポリシーで動く人がいなくなってしまったのではないでしょうか。明治の人間、それに戦争直後の経済的混乱期の人間に「OK! 」と言う人がいたのではないでしょうか。
今の日本人は「Yes」と答えて、深く沈潜してしまい、マイナーなものに呪縛されて身動き出来なくなっているのだろうか。そうであっても、マイナーなものはいつの世にも何処にも必ず在るものですが、それを巻き込んでプラス思考を更に一層拡張・拡大・展開していくのが、「OK! 」という言葉の意味なのではないでしょうか。
立ち止まることを知りません「OK! 」という文化は、マイナーなものをロスカットし
置き去りにして、次から次へと切磋琢磨の試行錯誤を繰り返して新規のベターなものを創り上げるべく動きまわることになります。これが<アメリカン・スピリッツ>の背景にある個人の十全な開花に神の意志を見る個人主義(Individualism)の神髄ではないのでしょうか。
401(k)プランはこのような土壌の上に、米国政府の小さな政府を目指す社会保障費削減策とDBの積立不足に苦しんだ企業のリストラ策とが<Individual>をキイタームにして集約されましたフレーム・ワークでしょう。その上、401(k)プランは個人ベースのテクノロジー開発と政府・企業によるインセンティブ付与が相まってプラン発展のエンジンが高速回転することになったようです。
この辺の好循環を『負けない年金』(http://www.nenkin.co.jp)の「日本版401(k)プラン構築に向けて」で、村田純一氏は次のように見事にまとめています。
「トータルベネフィットの中の401(k)プラン」という企業のべ
ネフィット戦略は、課税繰り延べの支援策をうけて、従業員報酬水準
の維持=国際競争力獲得=企業業績向上=マッチングインセンティブ
強化=従業員モラル向上=生産性向上といった、楽しい循環をもたら
しているのではないか。
おそらく、米国の企業は1980年代のDBの積立不足という苦い経験をした上に、資本の効率性の観点でDBのコストが「顔の見えない」コスト、金を注ぎ込む割には従業員が余り承知しない制度であることに対しても苦い経験をしたのでしょう。DBのフレーム・ワークがDCに比してハイコストであることを、ちょうど日本の代行型の年金給付が加算型のそれに比してハイコストを含有していることを経験・認識させられるように、制度そのものが持つ経済効率上の欠陥に気がつくことになったのではないでしょうか。
DBとDCで、同じ「金」の経済効果が明らかに違う場面に遭遇すれば、資本は自然に有利な方に流れていくでありましょう。DBの<顔の見えない>全体資産管理方式では資本は吸い取られるばかりで効果が余り表に出てこないのに対して、DCの<顔の見える>個人勘定というフレーム・ワークは金を入れれば入れただけの見返りがただちに表面化するのです。DCの器であれば、企業のマッチング拠出、ストック・オプション、自社株取得推奨、報酬の市場調達、株式連動報酬、寄贈基金等が、インセンティブ手段として機能することになり、DBのコントリビューション・ホリデイーによる余資もそれに振り向けることも出来るようになります。
要するに、401(k)プランは<Individual>をキイタームに、インセンティブ付与がダイナモとなり、個人ベースのテクノロジーとエデュケーション(教育・啓蒙の戦略)が相まって高速回転エンジンと化すのです。その結果、経済が活性化されるという循環が成立することになります。
図表19 401(k)プランのエンジン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3f/476ee7fcd926a9a3a77103ffb6edd6b7.jpg)
これが現在アメリカをエキサィテングにしている401(k)エンジンの仕掛けでしょう。
401(k)の金は「資本」となって1万ドル株式市場に活況を提供し、経済全般の好循環を作りだしています。 これに対して日本人風にマイナス思考を作動させて、「危惧」を考えれば、株式市場崩壊の時にしたたかさがどれほど組み込まれていますかであるが、それは一にエデュケーション次第であるといいます。
この401(k)エンジンの今一つの凄味は、この仕掛け全般が「民間活力」で行われているということです。官僚の口出しは優遇税制の一点のみであり、他は全て社会全般を巻き込んで民間の智恵・技術・インフラ・民意等によって<民-民の圏内>で達成されているということです。役人嫌いのアメリカ人のアメリカン・スピリッツが十全に開花した仕掛けとなりおおせていると言えるでしょう。
ことによると、「民間活力」という概念は抽象的な役所言葉であって、インセンティブ(誘発、刺激、動機、誘導策、優遇策・・・・・・・という言葉の方が的確な現実的概念であるのかも知れません。1週間のアメリカで「インセンティブ」は何10回となく聞いたが、一度たりとも「民間活力」とは聞かなかったのは、そういうことを意味しているのでありましょう。
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