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人様のお金-厚生年金基金は何になるのか No.27

2010年10月02日 | 厚生年金基金
④老後資金システム再構築の手法

これまで筆者は、無数・多様な材料の収集の上に、様々な切り口、様々なステージから<厚生年金基金って、何んだ?>と問うてきました。それは<人様のお金>であったり、<顔の見えない基金>、<死に体>、<ミイラ>であったり、掛金収納マシーンであったり、政府の社会保障の代行であったり、企業の退職金支払団体であったり、年金支払機関、機関投資家であったり、金融子会社であったり、・・・・・・多様な顔を持つ際限のない述語探しを行ってきました。

この論理の延長上にはおそらく<述語は永遠に溢れる>というシジュホスの神話の繰返しの責め苦が待っているだけなのでしょうか、それとも希望の持てる展開が控えているのでしょうか。<決める>のではなく、<決まる>のを待つのか。ブレイクスルー思考の合理性(マトリックス上にシステムが出現するのか)で探求すべきなのか。天才を待望すべきなのか。政府提供のインフラ(4省案401(k))で足りるのか、民間構築のインフラで立ち向かうべきなのか。大陸法から英米法、自己責任から他者依存、契約から信認なのか。為替・株価の価格形成のようなA.スミス見えざる手への委託か、社会保障か個人口座か。パブリッ
ク・コメントや住民投票に賭けますか。WWWの空間に解決策が隠されているのか。<家族
→政府・企業→個人>というのが経路なのか。



歴史的パースペクティブで物事を捉えようとすると、今、我々が目撃しつつある
のは、かたくな政治的、理念的ドグマを物事の判断基準にした時代から、経済的
リアリティを判断基準にする時代への速やかな移行である。
人間が作った理念が、経済的現実(市場)の前には無力であることを今ほど思い
知らされる時代はない。

若林栄四/佐中明雄『大円高時代』
「はじめに」若林栄四



 どんな手法が、どんな思考スタイルが、ふさわしいのか。多分、それは事前にこれと指定出来ないような性格のものであり、気がついたときには確立しているようなものではないでしょうか。少なくとも理念先行の統制手法ではありえないでしょうし、現実との格闘を切磋琢磨な試行錯誤によって展開することになるのでしょう。


⑤選択肢

とは言え、選択肢は多様に考えられるでしょう。多様なことが時代のニーズです。しかも、一の形で全てのニーズを汲み上げるのは出来がたいのですから、複合型というのが現実的なのかもしれません。

①完全民営化
②厚生年金基金の廃止
③代行分の返上
④確定拠出型年金への切り替え
⑤ハイブリッド型等への変更
⑥個人口座型年金
⑦適用除外方式年金
⑧事後監視型年金
⑨Bアカウント年金
⑩年金基金


   
   ⑥「年金基金」というビジョン

右肩上がり経済の頓挫と超少子高齢化のプレツシャーが要請する公的年金のスリム化と退職給付債務会計導入に伴う退職金の後払い賃金化に議論が落着してきましたという国民コンセンサスとは別に、筆者は、官民共に統制手法により<自分たちの金>扱いしてきた金が実は<人様のお金>でありましたという発見について述べてきました。

ここから導きだされるのは、厚生年金基金の政府と企業からの分離独立という経路、統制手法からの分離独立という経路でしょう。それは、おそらく統制離れした<人様のお金>の「年金基金」という次ぺージのビジョンに落着するのではないでしょうか。

 政府の統制手法(国家の義務という大義名分での統制)で構築されている代行部分と、一般的に功労報奨的退職金(民間の統制手法・個を許容しない会社主義統治)の移行により設計されている加算年金部分とによって厚生年金基金は形成されてきましたが、そこに積み上がりましたストック(平成12年3月末で60兆円)を政府も企業も各々が<自分たちの金>扱いしてきた事情については上述してきたとおりです。その<自分たちの金>の内実が統制手法によって積み上げられてきたという事実も繰り返し述べてきたとおりです。

 グローバルスタンダードとPBO爆弾により政府・企業の統制という汚れた手を洗い流してみると、積み上がりましたストックが実は<人様のお金>であったという発見についても述べ終わったところです。





 ここからの経路は、<人様のお金>である「年金基金」は自身自らが統制色を払拭しました構造に生まれ変わらなければならないということになりましょう。人様の顔がありありと見える構造に。ということは、徹底した情報開示が必須のことになりましょう。それを可能にするインフラとノウハウはかなり蓄積されています。後は、人々の意識を、積み上がったストックを<自分たちの金>とみなすことから<人様のお金>であるという認識に変えていくことであります。とはいえ、それは恣意的な操作によってではなく「年金基金」というフレームワークが自から生みだしていくのでしょう。



金利は本来、自由に「決まる」ものであり、中央銀行が「決める」べきものでは
ない。欧米先進国ではみんなそうなっているのに日本は例外で、金利は<統制価格>
となっている。

西山千明編著『M.フリードマンの思想』



ここにきて、次ぎのような議論を読者はどう読まれるでありましょうか。

2階部分の報酬比例部分は、発足当初は国庫負担というものがあったが、現在は
どちらかというと拠出建てに近い性格のものになっている。拠出時に給付が決まる
部分だから、所得再分配の機能は、絶無とはいわないまでも、きわめて乏しい。そ
ういう部分が現在は代行制度の対象になっている。ですから、これを代行どころか
民営化しても、所得再分配という点ではさほど大きな問題はないと考えられる。
また、この部分を民営化しても、賦課方式のものを積立方式にするわけではな
いので、移行コストというか、現在年金を受け取っている高齢者のための拠出もし
ながら自分の老後のための積立てもするという、いわゆる二重の負担の問題も、あ
まり考えなくてすむ。

厚生年金基金連合会編『21世紀の企業年金』1997
基調講演:船後正道「企業年金の将来像」



船後正道 21世紀研究会では正面からこうした問題を取り上げてはいないが、
認識は十分にある。そのうえでスライド・再評価を除く報酬比例部分の民営化を提
案した。イギリスのように適用除外要件を逐次緩和し、最後に給付面で公的年金と
のリンクを切断すれば民営化は可能である。

厚生年金基金連合会編『21世紀の企業年金』1997
パネルディスカッション


矢野氏 異論がある。・・・・・・たくさん保険料を納めると、ある程度たくさんもら
える仕組みを残した方が、年金制度に加入するインセンティブにつながる。
小塩氏 そもそも意見の違いは、社会保障の仕組みにどこまで所得再分配を期待
するかという点だ。・・・・・・しかし報酬比例部分は所得再分配と切り離していい。所
得再分配という機能を期待するから、政府がやらないといけないという理屈になる。

矢野朝水/小塩隆士:けいざい闘論「公的年金の民営化論」
日本経済新聞 2000/5/22 朝刊


矢野氏 いまの日本の経済・財政事情から見れば、(二重負担の問題は)具体的
な解決策はない。だから民営化論は現実的な選択肢としてはあり得ない。
小塩氏 二重の負担は非常に誤解されている。賦課方式は負担を将来世代にどん
どん先送りする仕組みだ。問題は積立方式に移行することで負担が顕在化すること
よりも、賦課方式で順々に先送りしていることにある。・・・・・・。
矢野氏 ・・・・・・。もちろんほっておくと二重の負担はますます大きくなる。そこ
で将来に向けて給付をスリム化し、負担を軽減するための今回の法改正をした。一
挙に手荒なことをやるのでなく、いまの枠組みを維持した上で現役世代と将来世代
が痛みを分かちあって公的年金の守備範囲を縮小することが、現実的なやり方とし
て国民の理解が得やすい。

矢野朝水/小塩隆士:けいざい闘論「公的年金の民営化論」
日本経済新聞 2000/5/22 朝刊


 政府の年金局長が一般紙に出て考え方を発言することは、「知らしめず、依らしむべし」の従来の官僚の観点からすると<革命的な行動>と評価出来ますが、議論の争点は、「所得再分配」や「二重負担の問題」でしょうか。それでは実務者の技術論のレベルではないでしょうか。それとも、ここでは技術論をこそ議論しているのでしょうか。それとも、技術論の議論にフレームワークの哲学が介在しているとでも言うのでしょうか。問題は、技術論の背景であるグローバルな状況における日本の経済・社会のビジョンをどう創りだすのか、統制ファッショ下の国家依存・会社依存の国民意識をどう革新するのか、イニシアチブに溢れた国民による経済・社会の活況をどう生み出すのか、ということではないのでしょうか。この視点からの議論こそ緊急な要請でしょう。


⑦<人様のお金>のインフラ革命パワー

戦後、憲法第25条に明記されました「国民の幸福」は、産業振興と福祉国家建設の計画の影の下に“官制”の「国民の幸福」として一応達成されましたが、その内実は官民の統制手法ゆえに民主主義の空洞化と倫理の崩壊と個の抹殺をもたらしました。

この事実は、政治パワーを二分していた冷戦構造の崩壊により有無を言わせず確証されました、と同時に、地球レベルのグローバル化の進展と共に、日本の世界にも稀な少子・高齢化の急激な進展をまともに浴びることによっても確認させられたということです。それは、別の言い方をすれば積み上がったストックが、実は、<人様のお金>だったという発見により、次々とこの事実が指弾され始めている、ということでもあります。

憲法のポツダム支配、議会制民主主義に対する内閣法制局の暴挙等の反民主主義的行動、
法制の理念デッチ上げ的大陸法主義、官僚の理念思考型統制手法、法人資本主義の株式持合い等の反市場主義な民間の統制手法、金融機関等の官僚迎合的経営と大量の株式保有による流動性阻止構造等々の、日本の旧体制一般の統制手法に対して、速効性は持ち合わせていないが、必ずや<人様のお金>のインフラ革命パワーが統制手法そのものを断罪し、フレームワークの刷新を促すことになりましょうということです。しかも、その効能は、真綿で締め上げるようなおもむろさで致死的に「決まっていく」のです。誰も「決めない」が自から「決まる」のです。

このことのシナジー効果は、旧体制の統制システムを追放し、統制ファッショに取り抑えられていた国民意識の覚醒を促し、個の確立・自我の誕生をもたらすときに表面化し、それが更に新規のインフラストラクチュアの構築を突き進めるという<循環>を生みだしたときに最大化されるのです。即ち、そのとき<人様のお金>がエンジンと化すのです。


もう一つの希望は第三勢力と化した機関投資家が、資本市場における株価形成を
カジノにさせないように「革命の前衛」として機能する可能性にある。個人的には
この回路こそ21世紀のモデルを構築しえるように感じる。

三ツ谷 誠:JMM 00/05/01 No.060 Monday edition

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