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氷月神示 その18

和宮(16才は数えなので満15才)のお嫁入りの行列は、反対派の襲撃を避けて中山道を通り、従者人足を含めて3万人、50kmの長さに及び、通過するのに大変時間がかかった

沿道には多くの藩が警護に出、輿の中の和宮は主要な宿場の名主の家に泊まった

ほとんど初めて都の外に出た和宮には、不安の方が大きかったろう

彼女は結婚を決意した時、こんな歌を残している

惜しまじな君と民とのためならば

身は武蔵野の露と消ゆとも

(兄の天皇と国民を救うためならば、この身は遠い関東の地で朽ち果ててもかまいません)

当時外国人がいて不穏な町で風習も違う武家に嫁ぐことは、相当な勇気がいった

又、彼女は旅の途中でこのような歌も詠んでいる

落ちてゆく身と知りながらもみぢ葉の

人なつかしくこがれこそすれ

この「人」とは都の人々のことなのでしょうか

いろいろな解釈があるそうです


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