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植民地主義の克服と「生存権」の問題

2025-02-06 01:06:08 | 時事

韓国の「戒厳令事態」で、尹錫悦の支持者が掲げていたプラカードの中に、「Stop the Steal」というのがあった。あれはトランプの支持者が使った言葉で、 その後2021年1月6日にトランプ支持者による議会襲撃が起きた。「Stop the Steal」というのは、選挙で不正が行われて「勝利が盗まれた」と言う意味である。そもそも「選挙不正」を云々するのならば、民主党リベラルもニューヨークタイムズなどのリベラルメディアと結託して、「ロシアがアメリカの選挙に介入している」「トランプとプーチンが結託している」などというデマを拡げた(ロシアゲート事件)。民主党やニューヨークタイムズなどのリベラルメディアは、トランプ派をアメリカの民主主義を破壊する「過激主義者」「惨めな連中」などと呼んで周辺化しようとしたが、それが出来なかった。議会になだれ込んだ面々は、基本的に右翼だが、ああいう出来事が起こるのには、それだけの理由があって、襲撃自体は「氷山の一角」に過ぎない。よって、韓国の裁判所乱入も、「氷山の一角」と考えざるをえない。問題の核心は経済ーとりわけ「生存権」ーにあると考えられる。

私もかつて使っていたから、あまり人のことは言えないが、今では「ネトウヨ」という言葉を使うことをやめている。「ネトウヨ」なる言葉は、ある種の「マジョリティ意識」の表出であり、問題なのは「トンデモ」な一部であって、「日本という国自体は問題ない」という意味合いを含んでいる。こういうことを言うと、すぐさま「トランプを擁護するのか」などと言い出す人が出てくるが、リベラルはトランプをプーチン、金正恩、習近平と同列に扱っていること忘れてはならない。アメリカのリベラルは、トランプとトランプの支持者を「ネトウヨ」扱いしながら、結局自分たち自身も、その本質においてトランプ派と大差ない存在であることに気づいていなかったのであり、その結果が、トランプのホワイトハウス返り咲きである。同様のことは日本のリベラルにも言える。

「生存権」の問題を「民族」を軸に考えるか、経済を軸に考えるかということだが、経済を軸に考えれば、被差別少数派が、一定の社会進出を果たしてたことを以て、差別の問題は解消したと考える立場がありうる。しかし、植民地主義の問題を踏まえた場合、両者は不可分であり、西側のどの国の社会経済構造も植民地主義の岩盤に乗っかっている。アメリカでは、アフリカ系のオバマが大統領になり、バイデン政権には、アフリカ系など多数の少数派がいて、カマラ・ハリスもアフリカ系で女性なのだから、アメリカにはかつてのような差別はないと主張することが可能で、実際、90年代以降は、人種や民族を軸に差別を語る者こそが差別を助長するレイシストなのだという議論さえ出て来た。要するに、「政治を語る者が、問題を悪化させているのだ」という謬論だが、これ自体が植民者意識の内面化である。「生存権」の問題に着目して現実を見ると、今日でも貧困率は、先住アメリカ人が20%、アフリカ系が18%、ヒスパニックが17%と、白人の7%をはるかに上回る。そもそも、いかに少数派の社会進出が達成されても、アメリカの帝国主義的行動様式にはいささかの変化もない。

日本でも同じことだ。経済を個人の問題として考えれば、例えば孫正義のように、平均的な日本人以上に経済的成功を収めている民族少数派や外国人は存在する。だが、差別問題の本質はその構造的側面にあって、朝鮮学校差別は、国の経済施策から朝鮮学校のみを排除していると言う意味で、経済の問題と民族差別が構造的に結びついていることの証明である。2022年のコロナ感染拡大期に、埼玉朝鮮幼稚園にマスクが配布されなかったという事件が起きた。さいたま市は、各種学校は市の「管轄外」などと言いながら、本来県の監督下にある事業内保育所や私立幼稚園は配布対象に含めていたのである。それを正当化する理由として、さいたま市は、事業内保育所や私立幼稚園は、「市が運営に関与できる」幼保無償化の対象施設であるから配布対象に含まれるが、埼玉朝鮮幼稚園はその対象から外れているので、配布先に含めなかったと言うのである。幼保無償化から朝鮮学校が排除されているという前提条件があって、そのことが「マスク不配布」の問題と結びついているのだ。このことは、コロナウィルス感染拡大期という、住民の生命に関わる重大問題が発生しているときに、幼保無償化からの排除という差別的措置があり、そのことが「マスク不配布」というもうひとつの差別的措置につながったと言う意味で、市職員の差別的意図の有無にかかわらず、「生存権」の否定が、二重に立ち現れていることを意味する。また、幼保無償化の財源である消費税の本質は価格転嫁であり、一般大衆にとっては物価高として現れるため、実質賃金が低下している現状においては、市民生活や地域経済を圧迫することになり、待機児童問題の解消にもつながらない。そもそも、幼保無償化自体が、福祉政策というよりは、女性の就業率を高めるための経済政策であって、この場合の「就業」とは、社会進出などとは無縁の非正規雇用の増加でしかない。日本の非正規雇用率は40%だが、男性の20%に対して、女性が54%であることを忘れてはならない

大西広氏は、近著の『反米の選択』において、第二次世界大戦における日米の戦争は帝国主義間の戦争であり、ベトナム戦争やパレスチナを例に挙げて、被支配民族の「抵抗」としての戦争は「道義」のあるものであって、「反戦」には「『正義の戦争』と『不正義の戦争』を区別する論理が弱く、全てを区別せずに否定してしまう弱点がある」と述べている。この氏の見解には概ね賛成できるが、対米従属を民族としての「日本人」の問題であるとして、かつての「大アジア主義」や「興亜論」のようなものに拠り所を求める見解は俄かに首肯しがたい。「民族の問題を優先する」という立場はありえるが、「大アジア主義」や「興亜論」の本質は日本中心主義であって、それらの終着点が大東亜共栄圏であったのは、歴史が証明している。氏の議論からは、植民地支配責任の問題が欠落しているように思える。「生存権」の問題を「民族」を軸にして考えると、「日本民族主義」のような考え方が立ち上がり、その立場からは、小林よしのりや一水会のような民族右派とも接点を持ちうるということになるのだが(実際大西広氏はそのような議論をしている)、彼らの考え方には、「自主独立」はともかくも、植民地支配責任の視点が皆無である。日本人が、植民地支配責任の克服なくして、自らを「被支配民族」のような位置において、米帝国主義に「抵抗」できる足場を確保できるとは思えず、それだと、現在のアメリカのように、却って排外主義が持ち上がる危険性もある。この点は、主に竹内好への反論として記された梶村秀樹の議論を踏まえるべきである。かと言って、アメリカの民主党リベラルが、現在のアメリカの問題を解決できないのと同じように、「戦後民主主義」という既存のシステムにどっぷりつかった日本のリベラルも、対米従属を打破できる勢力とは思えず、危機的な状況が生じれば、むしろファッショ的な方向に動く可能性さえある。「生存権」の問題において、経済と民族の問題は不可分であるがゆえに、日本の植民地支配責任の問題を踏まえて、「看板に偽りあり」みたいな過去の遺物ではなく、「生存権」の確保を軸に、現行の搾取と収奪の体制の変革ー社会主義的方向性ーを目指し、中国、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)、韓国、ロシアと共存していくことの中に活路を見出すべきと考える。


ドナルド・トランプの就任演説とファシズムの兆候

2025-01-24 08:38:52 | 時事

アメリカの大統領就任演説を、ジョージ・ワシントンからドナルド・トランプまで目を通しているが、就任演説の歴史上、"baby"という単語が出て来たのはこれが初めてだ。もちろん、baby formula(粉ミルク)などのような使われ方ではなく、「カモン、ベイビー」のそれに近い。具体的には、We will drill, baby, drill. の部分である。「イェーイ、俺たちは掘りまくるぜ」というような意味だ。この表現を挟んで、直前に「インフレ危機が過剰な財政支出と燃料費の高騰によって引き起こされている」という文言が出てきて、後段は「我々は、他の製造業国家が決して得られない、地球上のどの国よりも多くの石油とガスを持っている」という文脈だから、「掘る」の目的語が、石油や天然ガスなどの化石燃料やレアアースなどの天然資源をさしているのは明らかだ。「我々」が、アメリカだけを意味しているのかというと、そんなわけがない。トランプは、昨年秋の当選から、正式就任に至る過程で、「グリーンランドの領有」や「カナダの併合」などに言及してきたが、いずれも豊富な天然資源を有し、北極航路の要衝として重要な戦略的意味を持つ地域である。アメリカは、ラテンアメリカを自国に従属する「裏庭」として扱う政策を一環して維持してきたし(モンロー主義)、カナダ併合論は19世紀の膨張主義の時代にもあった。トランプが就任演説で言及した「明白なる運命」は、アメリカの植民地主義と拡張主義を代表する標語である。だから、実際にグリーンランドを「買収」して、カナダを「併合」するかどうかは別にしても、トランプの発言は、これらの地域を抑えて、ロシアと中国を制し、帝国主義国家としてのアメリカの覇権を維持するという明確な意思表示と言える。西アジアにおいても、アメリカはシリアの一部を不法に占拠して、原油を盗掘している。

バイデンは任期終了間際に、キューバを「テロ支援国家リスト」から外したが、トランプはそれを就任直後にもとに戻した。トランプは、第一次政権期も、オバマが「テロ支援国家リスト」から外したキューバを、すぐにリストに戻しているが、バイデンは、任期終了間際までそれを維持していた。このことからも、バイデンの行為自体が、単なる政治的ジェスチャーに過ぎないことがわかる。そもそも、この「テロ支援国家リスト」なるもの自体が、アメリカが政権転覆を目論む国家をターゲットにした、戦略上の都合による政治的なものに過ぎない。

従って、トランプのもう一つのターゲットは、メキシコ、パナマ、キューバ、ベネズエラなどのラテンアメリカである。バイデン政権期から、マジョリー・テイラー・グリーンやリンジー・グラハムらの共和党強硬派が、「麻薬カルテル」の取り締まりを名目にしたメキシコへの軍事介入を煽っていたが、トランプは、「カルテル」を「『外国の支援するテロ組織』に指定する大統領令に署名する」と明言している。第二期トランプ政権の国務長官マルコ・ルビオは、第一次トランプ政権期にベネズエラ侵略を主張した人物だが、第二次トランプ政権のベネズエラ介入工作は激化が予想され、何らかの軍事的介入が行われる可能性も否定できない。また、トランプ政権のラテンアメリカへの介入姿勢は、ラテンアメリカで経済的な影響力を増しつつある中国を抑えるためのものでもある。トランプは、メキシコ湾を「アメリカ湾」に改名すると豪語し、「パナマ運河を運営しているのは中国だ」などというデマを飛ばして、パナマに介入してパナマ運河を掌握する意図を臆面もなく披露した。

歴史的に見た場合、アメリカのこのように動きは、それほど驚くべきものではない。トランプのヒーローは、インディアン強制移住法で有名なアンドリュー・ジャクソンだと言われるが、この度の就任演説では、ウィリアム・マッキンリーを引き合いに出している。アメリカは、マッキンリー政権下の米西戦争(1898年)において、キューバ独立戦争に介入してキューバを保護国化し、ハワイを併合し、グアム、プエルトリコ、フィリピンを領有してカリブ海地域を掌握し、フィリピンを植民地とすることによって、アジアに影響力を拡大する足掛かりを得た。現今、アメリカは、グアムにアンダーセン空軍基地を有し、ハワイに第七艦隊を置き、日本及び韓国を事実上の「兵営国家」として利用し、フィリピンを使って中国に揺さぶりをかけているが、これらは、今日のアメリカが1898年以降の帝国主義的展開の延長線上にあることを意味している。1898年は、アメリカ帝国主義を象徴する年であり、トランプがマッキンリーに言及したのには歴史的な理由がある。

トランプは、2017年の就任演説で、「他国の国境を守って、自国の国境をおろそかにしている」という言葉を使っていたが、この度も似たような文句が登場する。第一次政権時には、これが朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)との交渉となって現れたが、ネオコンの介入に屈して頓挫した。あの当時と現在とでは、国際環境があまりにも違っている。ウクライナ戦争ではロシアが主導権を握っており、そのロシアは朝鮮と強固な関係を築いている。国際社会は多極化への方向へと動いており、経済的重心もG7から中ロを中心としたブロックに移動しつつある。朝鮮も中国も、そのことをよく理解している。あらゆるアメリカの動きは、自国の覇権維持のために、戦略的な意図を持って行われるものである。そのことは、誰が大統領になっても、変わることはない。

英語に、crumbs from the rich man's tableという聖書由来の慣用句があるが、人々が求めているのは、富者の食卓から零れ落ちてくる「パンくず」ではなく、「パン」そのものである。資本主義は本質的に搾取と収奪にもとづく経済システムであり、トランプは、それを明け透けに言っているだけのことで、民主党もその点では大差がない。かりにトランプが、言っていることの全てを実行したとしても、それで一般のアメリカ人が豊かになるわけではないし、アメリカや西側の衰退に歯止めがかかるわけでもないが、弾圧の危険を冒して既存のシステムに挑戦するよりは、おこぼれに預かりたいと思う人が多いわけだし、「持てる者」は、持っているものを手放したくはない。ファシズムは、少数の「悪者」によって成立するわけではなく、それを支える分厚い層があり、それは保守であるとリベラルであるとを問わないのである。アメリカのみならず、西側民主主義国全体にファシズムの兆候が見られる。


「朝鮮派兵説」の虚構

2025-01-10 13:18:33 | 時事

多国間の軍事連携は相互運用性が重要で、高いレベルでそれを達成するためには、度重なる合同訓練が必要だ。米韓が毎年やっているのは、まさにその相互運用性を高めるためで、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)の体制転覆、さらには中国攻撃を想定しているものだ。日本と韓国は、アメリカがアジアで覇権を維持するために必要な事実上の兵営国家であり、アメリカにとっての日韓の存在は、まさにそのためにあるのであって、日韓がその機能を果たさないのならば、アメリカにとっての両国は「有用価値」のないものと言っても過言ではない。米韓は、平壌を狙って日夜合同訓練を重ねているのだから、朝鮮としては防衛態勢を解くわけには行かず、常時即応できる状態にあるのは素人でも想像できることだ。一方、朝ロは包括的戦略パートナーシップ条約の発効(2024年12月5日)により、事実上の同盟関係となったが、これまで合同訓練のようなものを行ってきているわけではなく、相互運用性の面では日韓米に後れを取っているだろう。

以上が、今も流通している「朝鮮派兵説」が虚構である理由のもっともたるものだ。メディアが盛んに喧伝して、今や既成事実となってしまった「朝鮮派兵説」だが、戦争はチェス盤の上のゲームではない。実際に砲弾が飛び交い、命のやり取りをしているわけだから、作戦指揮系統を共有せず、言語も異なり、相互運用性に疑問符の付く外国の軍隊を、重要なクルクスの戦線に投入するなどということはあり得ない。ロシアはクルクス戦線でウクライナ軍を壊滅寸前に追い込んでいるが、クルスクは第二次世界大戦時のナチスドイツとの戦いでも、戦況のターニングポイントとなった、ロシア人にとっては歴史的にも重要な地域であり、外国の軍隊に任せるなどということはあり得ない。

昨年の夏から秋にかけて、米韓は北方限界線に向けて度重なる威嚇射撃を行ったり、ドローンを平壌に飛ばしたり、朝鮮に対する軍事挑発を繰り返したが、朝鮮はその挑発に乗らなかった。こうした「キエフーソウルーワシントン」のラインが行っていることについて、朝ロが緊密に情報交換をしていなかったなどということはあり得ず、朝鮮側は米韓ウの意図を十分見抜いていたと考えられる。「戒厳令事態」で明らかとなったのは、偽旗まで上げて、朝鮮を戦争に誘い込もうとしていたのは米韓であって、朝鮮半島は明日にでもそのようなことが起きうる地政学的なホットスポットなのだから、朝鮮が一万を超える人民軍兵士を遠く離れたヨーロッパの戦場に送るなどということは考えられない。

プーチンが平壌を訪問して、包括的戦略パートナーシップ条約に署名したのは去年の6月19日のことだったが、メディアが「朝鮮派兵説」を流布し始めたのもそのころである。「朝鮮派兵説」が集中的に流され始めるのは、同年の10月以降である。それから、12月3日の「戒厳令事態」に至るまで、「戦闘の拡大を招く重大な行為」「アジアに向けた紛争の輸出だ」(フランスバロ外相、10月19日)、「危険で非常に懸念すべき展開」(米ロバート・ウッド国連代理大使、10月22日)、「他国を巻き込む可能性がある」(米オースティン国防長官、10月30日)「インド太平洋地域のパートナー国と連携を深め、ともに脅威に対抗していく」(NATOルッテ事務総長、11月6日)、「断固とした対応が必要」(米ブリンケン国務長官、11月13日)、「深刻なエスカレーション」(独オラフ・シュルツ首相、11月16日)などと、NATOや西側諸国が段階的に情勢を煽っているのが明らかだ。

一方、ウクライナも、「各国に対抗措置を取るよう訴える」(ゼレンスキー、10月20日)「北朝鮮がロシアのウクライナ侵攻に関与している証拠に背を向けることなく対応するよう求める」(ゼレンスキー、10月22日)、「他国を巻き込もうとしている」(ウクライナ・マトビヤンコ報道官、10月23日)、「不安定化する世界の新たな一ページを開いた」(ゼレンスキー、11月5日)などと煽っており、これはドンバスやクルスクの戦線に韓国を動員しようとする意図にもとづいたものとの合理的推論が可能である。韓国も、「露軍の軍服と武器、身元を隠すためロシアのIDカードを支給された」(黄浚局国連大使、10月22日)、「北朝鮮軍のウクライナからの『即時撤退』を求め、ウクライナへの直接的な武器供給を検討していることも警告」(10月末)、「韓国軍からウクライナに戦況のモニタリングや分析を行う代表団を送る」(金龍顕国防相、10月30日)などと、キエフやワシントンと歩調を合わせて、段階的に行動のレベルを上げようとしていることが伺える。事実、「朝鮮派兵説」にかかわるほとんど全ての情報の発信源が、ウクライナ国防情報総局及びウクライナ国家安全保障委員会所属虚偽情報対策センター、韓国国家情報院で、これらが緊密に連携して「朝鮮派兵説」を拡散し、西側諸国が結託して、「世界を不安定化させているのは朝ロである」とする世論形成を行うと当時に、軍事的なハードも動かす準備をしていたと考えるのが最も合理的だ。

アメリカの関与を否定する言論が見られるが、アメリカが背後で糸を引いていないと考えるのは無理がある。なぜならば、かりに朝鮮が米韓の挑発に応じていたら、米軍は直ちに防衛準備態勢(デフコン3)となり、その瞬間に、韓国軍は米軍の指揮統制下に入るからだ。自動的にそうなるのだから、そのようなことをワシントンの意図に忠実に行動してきたソウルが単独で行うことは考えにくい。アメリカにとっては、アメリカ主導の覇権秩序である「ルールにもとづいた秩序」に背かない限りは、尹錫悦であろうが、「戒厳令阻止」であろうが、「賞賛すべき民主主義」なのである。「ルールにもとづいた秩序」にマイナスに働くような事態が生じてくれば、それはたちまち「従北勢力の浸透」となり、弾圧の対象となる。だから、朝鮮日報や中央日報のような体制派メディアのみならず、進歩的言論機関の「ハンギョレ」が「朝鮮派兵説」を流している状況は、アメリカにとっては、情況の水位を把握する一つの材料である。もちろん、このことは「戒厳令」を阻止した韓国民衆の行動を矮小化するものではない。しかし、そうしなければ戦争になってしまうという、朝鮮半島南北が置かれた構造的な脆弱性があり、その脆弱性を維持し、それを利用して自国の影響力を拡大しようとしているのが、他ならぬ日米なのだと言う事実を閑却した「民主主義」礼賛は些か無責任ではないか。それが証拠に、日本メディアは、西側メディアと歩調を合わせて、「朝鮮派兵説」を既成事実として扱い、「ロシアと北朝鮮の軍事的な協力が深まり続ければ、朝鮮半島情勢にも影響を及ぼす可能性」(『朝日新聞』10月22日)、「参戦が確認された場合、国際情勢への影響は大きい。ロシアとウクライナの対立軸が東アジアにも持ち込まれかねない」(『毎日新聞』10月30日)などと事態を煽ってきた。いわゆるリベラル反戦派も、この点たいして変わらない

朝ロの包括的戦略パートナーシップ条約は2024年12月5日発効したが、「そのようなことがあれば、それは国際法の規範に合致する行動だと考える」(朝鮮外務省キム・ジョンギュ次官、10月25日)の言葉通りに、今後は、他ならぬ相互運用性の強化を目指した様々な訓練や交流が行われる可能性が高い。「朝鮮派兵説」が浮上してから「戒厳令事態」に至るまでのタイミングを見ると、米韓は、そのことを見据えて、先手を打って攻撃を仕かけようとした可能性さえ否定できない。


新たなフロンティアの探求-マレーシア・ロシア関係の未来 (アンワル・イブラヒムマレーシア首相による東方経済フォーラムにおけるスピーチ[日本語訳])

2024-09-15 01:01:12 | 時事

新たなフロンティアの開拓-マレーシア・ロシア関係の未来 (アンワル・イブラヒムマレーシア首相による東方経済フォーラムにおけるスピーチ

ダトー・セリ・アンワル・イブラヒム

マレーシア首相

2024年9月5日(木)、

2024年東方経済フォーラムにて

極東連邦大学

アセンブリーホール

ロシア、ウラジオストク、ルスキー島

賓客の皆様、ご列席の皆様

  1. 何よりもまず、私を招待してくださったウラジーミル・プーチン大統領に感謝の意を表したいと思います。
  2. また、個人的な面でも、このフォーラムは私にとって記念すべきものです、信じられないかもしれませんが、これは私にとって 初めてのロシア訪問なのです。50年以上前、私がまだ 「現役 」のユース・リーダーだった頃、アエロフロート・ロシア航空に乗      り、ベルギーのリエージュに向かう途中モスクワを経由しました。私たちはトランジットのホテルまでしか行くことができませ        んでした。だから、私はロシアの地を踏む機会はなかったのです!
  3. 従って、歴史と進歩がシームレスに融合した、ロシアの広大さとアジア太平洋の無限の可能性が出会う場所であるウラジオスト        クにようやく来れたことは、二重の名誉であり、特権でもあります。商業の交差点として、この街は、ロシアと東アジアの豊か      な伝統を反映し、多様な影響を受けて形成されてきました。ウラジオストクは文化の交差点です。
  4. ウラジオストクは、その経済的な重要性だけでなく、ロシアの歴史において、重要な海港として、また伝説的なシベリア横断鉄        道の東の終着駅として重要な役割を担ってきました。この街はまさにロシアと東洋のつながりを体現しています。
  5. ここに、地理、アイデア、願望、そして未来が交錯する、私たちの集いの力強いシンボルがあります。2015年の創設以来、東方        経済フォーラムには、世界中から先見性のあるリーダーたちが集ってきました。このことは、活気に満ちた経済ダイナミズムと        計り知れない可能性を秘めた地域である、極東ロシアを含む北東アジアに相応しいものです。
  6. 実際、北東アジアは世界のGDPの約5分の1を占めています。私は、プーチン大統領のビジョンとリーダーシップに感謝し、有意        義な対話と協力の促進を継続していきたいと思います。
  7. ロシアは戦略的、経済的に注目されるだけの存在ではなく、文化的、知的、科学的な力として、グローバルな舞台で突出してい        ます。商業や地政学の枠を超えて、人類の歴史と思想に深く浸透しています。
  8. ロシアの卓越性は、軍事力や経済力ーそれらは重要ではありますがーに由来するのではなく、思想の不朽の力、芸術的表現の美        しさ、そして揺るぎない知識の追求に由来しています。
  9. これらの実績は、ロシアの卓越したソフトパワーの基盤となっています。ロシアは世界的な尊敬と称賛を集め、人々の心に影響        を与えています。
  10. 私個人としては、この影響力は文学において最も強く感じられます。初等教育時に英語とマレー文学の源泉を深く味わい、その        後ダンテ、シェークスピア、ミルトンの作品に親しんできた私は、文学なくしては、人生はずっと貧弱なものになると深く信じ      ており、このことを強い信念を持って主張いたします。
  11. この点で、私は、比類ない洞察力で人生の奥深い複雑さを探求し たロシアの偉大な作家や詩人たちを賞賛してもしきれません。        彼らの作品は、私自身の社会と人間に対する理解に永続的な影響を与えました。
  12. 例えば、フョードル・ドストエフスキーやレオ・トルストイの作品は、そのほんの数例です。彼らの作品は、人間であることの        意味を定義する道徳的、哲学的なジレンマに踏み込んでいます。
  13. ドストエフスキーは、信仰と懐疑と人間の魂の複雑な問題に関わることを私たちにいざないます。トルストイは、権力、責任、         時間の移ろいの本質について考えるよう私たちを誘います。ロシア文学の鑑賞は、文学的な意義を越えて、この偉大な国が        世界の思想に与えた影響の深さを示すとともに、より広範な歴史の流れの中での私たち自身の役割を理解するための情報を与え       てくれるのです。
  14. さらに、ロシア文学の魅力と力は、その哲学的な意義にとどまりません。チェーホフ、プーシキン、パステルナーク、ソルジェ         ニーツィンといった作家たちは、日常生活の喜び、悲しみ、葛藤をリアルに表現しており、そのリアリズムは私の心に深く響い        たのです。
  15. 例えば、収監されていた期間、私はときどき、労働キャンプで10年の禁固刑を言い渡された『イワン・デニーソビッチの一日』        のページを時々読み返していました。まあ、私は強制収容所で服役したわけではないとは言え、 10年間の独房生活は、決してバ        ラの花壇ではありませんでした。
  16. 科学技術を通じて人類の知識を発展させる上で、ロシアは極めて重要な役割を担ってきました。宇宙探査における先駆的な取り        組みから、核物理学やサイバネティクスにおける画期的な研究まで、ロシアは常に可能性の限界を押し広げてきました。
  17. これらの貢献は、自然界を理解し極めることへの根強いコミットメントを反映し、人類全体の進歩におけるロシアの重要性を裏        付けています。
  18. 私たちは、世界経済を分断しかねない保護主義の憂慮すべき傾向を目の当たりにしています。世界経済を分断する恐れがある 、        関税、貿易障壁、技術交流の制限は憂慮すべき動きです。
  19. これらの措置は、国内産業や知的財産を保護する必要性によって正当化されることもありますが、保護主義の壁には限界があり        ます。グローバル化の恩恵は、その欠点にもかかわらず、多大なものであり、何百万人もの人々を貧困から救い、前例のない経        済成長をもたらしました。
  20. この点で、グローバル・サウスの台頭は、単に経済力のシフトを意味するのではなく、グローバルな影響力の再構成を意味する        のです。アジア、アフリカ、ラテンアメリカにまたがる国々を包含する「南半球」は、世界経済の未来を再構築する上で極めて        重要な役割を果たす軌道にあります。
  21. 最近の推計によれば、グローバル・サウスは現在、世界の経済生産の約40%を占め、世界人口の約85%が居住しています。2030      年までには、4大経済大国のうちの3カ国がグルーバル・サウスの国々になると予測されています。
  22. この台頭は、課題と機会の両方をもたらす現実でもあります。マレーシアにとって、成長を分かち合い、よりバランスの取れた        世界秩序に貢献するためには、強い絆を築くことが不可欠です。ロシアと同様、我々はこれらの発展途上国に可能性を見出して        おり、相互繁栄を促進できるパートナーシップを育むことにコミットしています。
  23. この流れの中で、マレーシアは、グローバル・サウスにおける機会を積極的に追求し、より包括的で、より公平で、より持続可         能で、より強靭な開発の新しいパラダイムを求める国々と力を合わせています。
  24. 複雑さを増す世界において、私たちの将来の繁栄は、適応し、革新し、伝統的な境界を越えた関係を築く能力にかかっていま          す。グローバル・サウスは台頭しており、マレーシアはそれとともに台頭するつもりです。
  25. 開放経済国であるマレーシアは、全世界とビジネスを行うことに誇りを持っています。マレーシアは、グローバル化したサプラ        イ・チェーンの重要な結節点であることから、大きな恩恵を受けているのです。
  26. この努力の中心となっているのが、わが国にとってより持続可能で包括的な未来の道を切り拓くための構造改革イニシアティブ        を実施してきたMADANI経済の枠組みです。
  27. マレーシアとロシアの二国間関係において、協力の余地がある分野のひとつにイスラム金融があります。マレーシアは、この分        野において、シャーリア原則を遵守するだけでなく、金融イノベーションを推進する活発な組織的環境を有する世界的な        リーダーです。
  28. イスラム教徒人口が多いロシアは、イスラム金融の大きな可能性の入り口に立っています。ロシアは、イスラム金融の導入によ        り、共同プロジェクトを推進し、イスラム教徒が多数を占める国々から大きな投資を呼び込むことができると確信しています。
  29. 農業分野では、ロシアは目覚ましい発展を遂げ、この分野で重要なグローバル・プレーヤーとなりました。世界最大の穀物生            産・輸出国として、世界の食糧安全保障に重要な役割を果たしています。 ロシアの農産物輸出は、サプライ・チェーンの混乱が        続くなか、世界市場の安定化に役立っています。
  30. 教育・研究に目を向けると、ロシアは、特にSTEM(科学、技術、工学、数学)分野において、その卓越性により長年高い評価を        受けてきました。ロシアの大学は常に世界のトップクラスにランクされ、世界トップランクの科学者、エンジニア、研究者を輩        出しています
  31. 最近マレーシアに設立されたロシア・マレーシア・ハイテク・センター(RMHTC)は、技術革新と技術開発を促進するという            我々のコミットメントを強調するものです。
  32. ハイテク・ソリューションの開発、特にエネルギー効率、データ伝送、スマートシティ技術におけるイノベーションの推進にお        いて、私たちは相互の強みを結集することにより、イノベーションを推進し、21世紀の課題に取り組むことができます。
  33. さらに、AIや半導体技術のような最先端の進歩への努力は、人間的で利他的な価値観によって導かれるべきです。技術競争と不          公平が自由貿易の妨げとなり、地政学的景観が分断される結果とならないようにするためです。
  34. マレーシアは、ASEANの次期議長国として、既存のASEANメカニズムや制度を強化するだけでなく、他の地域や主要な対話パー      トナーとの相乗効果を見出し、開発と繁栄を促進します。
  35. このアプローチを推し進める上で、最も優先されるのは以下のことです。メンバー国の有機的な結束軸であるASEANの中心性                という最重要原則を強化することです。
  36. マレーシアはまた、他の諸地域との関与を強化し、ロシアを含む、戦略的パートナーとの関係を活用していきます。この文脈に        おいて、ASEAN-ロシアパートナーシップは、経済成長、安全保障協力、文化交流を促進する上で極めて重要です。
  37. これを踏まえ、マレーシアはBRICSへの加盟申請にあたり、以下を目指します。経済外交努力を多様化し、共有イニシアティブ          と戦略的パートナーシップを通じて、加盟国との協力を強化することを目指します。
  38. この場をお借りして、プーチン大統領のご招待に深く感謝申し上げます。10月にカザンで開催されるBRICS首脳会議に私を招待          してくださったプーチン大統領に深甚なる謝意を表します。このご招待は、BRICSへの加盟という最終目標に向けた大きな一歩          となります。
  39. 私たちは、気候変動という深刻化する存亡の危機に直面して、熾烈な超大国間の競争、世界経済の大激変、そして権力基盤を強        化する「道具」としての貿易と技術に特徴づけられる時代を迎えている。
  40. 我々は共に協力し、声を合わせて、アジアと世界のさらなる平和と繁栄の未来を築くために、戦略的且つ政策的な意見交換を行        うべきです。
  41. 我々が共に進むべき道を描くにあたり、我々のパートナーシップの真の強さは、我々が署名した協定や、我々が共同で実施する        プロジェクトのみならず、私たちを結びつける共通のビジョンと相互尊重にあることを忘れてはなりません。

ありがとうございました。


「被抑圧者の抵抗」と「植民者の意識」ーイスラエルのパレスチナ攻撃とアメリカにおける抗議運動を巡って(2024年5月18日)

2024-05-17 15:49:33 | 時事

 前回は「イスラエルのパレスチナ攻撃とアメリカにおける抗議運動」と題して、アメリカの大学を中心に展開されている「資本引き上げ」(divestment)運動の概略を、アメリカにおける帝国主義批判と植民地主義批判を踏まえて論じた。今回は彼らが、主流マスコミや既存のリベラル勢力が主張する「ハマスの『奇襲攻撃』も悪い」とする議論に抵抗していることについて、彼らの立ち位置と論拠を「被抑圧者の抵抗」と「植民者の意識」という観点から論じると同時に、彼らの運動が抱えている潜在的な問題点についても触れたい。

 2023年10月7日の「ハマスの奇襲攻撃」を巡る議論につていは、2023年11月2日にロンドン・レビュー・オブ・ブックス(London Review of Books)に掲載された、同誌編集長のアダム・シャツ(Adam Shatz)の「報復の病理」(Vengeful Pathologies)と題する論考と、それに対する反論として提出されたアブダルジャワド・オマー(Abdaljawad Omar)による「パレスチナの戦争における希望の心理ーアダム・シャツへの返答」(Hopeful Pathologies in the War for Palestine: a reply to Adam Shats)と題する論考が大変興味深い。オマーは、パレスチナのラマッラーを拠点に活動するライター及び研究者である。

 シャツは、「人種主義、嫌悪、怒り、そして“正当な復讐の欲求”のみでは、解放闘争を生み出すことは出来ない。身体を不穏の領域に投げ込むこれらの意識の閃光は、他者の目撃が眩暈を引き起こし、我が血が他者の血を渇望する、ほとんど夢想状態の心理を呼び起こし、初期段階におけるこの情熱の爆発は、制御されなければ、頽廃するのみである」と言うフランツ・ファノンの言葉を引用しつつ、アルジェリア独立戦争に関するファノンの発言を参照して、「彼(ファノン)はムスリムの同胞と共に、アルジェリアのアイデンティティと市民社会が、民族性や信仰ではなく、共通の理想によって形作られる将来を模索したアルジェリアの非ムスリムにも大いなる敬意を払った。しかし、それが、フランスの暴力とアルジェリア民族解放戦線(FLN)の権威主義的なイスラム・ナショナリズムによって霧散して、アルジェリアがその影響から今日も回復していないのは悲劇である」と語り、ハマスの「奇襲攻撃」を「抵抗」として語るのは、被抑圧者による「報復の病理」であると一蹴する。さらに、ハマスの行為を肯定的に語ることは、民族的部族主義(ethno-tribalism)であるという、パレスチナの歴史家Yezid Sayighの言葉を引いて、脱植民地主義(decolonial)左派の民族的部族幻想は「全く常軌を逸している」と語り、「カルト的な力に乗っ取られた左派の一群は、一般のイスラエル人への共感を欠いている」と結論する。

 これに対して、オマーは、アダムの議論を「西洋知識人がとらわれる大きな知的蒙昧の体現」と呼び、「我々は、あなた方が、奈落の底で、自ら慎み深く悲劇的な被害者であり続ける限りは連帯する」とパレスチナ人に囁きかける、「一種の疑似連帯」だと批判する。さらに、オマーは、「かつて共感に満たされていた集団的な声は、虐げられたものの怒りに接するや、野蛮で、根源的で、右派のファシズムを呼び起こすものに対する警戒の声となって響きわたる」と論じ、「イスラエルの歴史的な語りの迷宮に深く足を入れて見れば、報復は、抽象的で、刹那的な感情などではなく、イスラエルの軍事主義の中枢神経にほとんど深く刻み込まれたものであることが明らかとなる」と続ける。即ち、世界で最も人口密度の高い地域のひとつに一万八千トンもの爆弾を投下するのは、「10月7日」の出来事に対する単なる反応などではなく、「通常の因果の領域を超えて、単に存在しているという理由によって、パレスチナ人の処罰を求める」シオニストの心理そのものに求められるものである。そして、「シオニズムは、パレスチナ人に、『我々か奴らか』というゼロサムゲームを適用しているために、このサイクルを突破するためには、この壁を破壊することが必須となる。それは、構造的で政治的な難局に永遠に軍事的解決を適用しようとするイスラエルの信念に抵抗する」ことに他ならず、「『10月7日』を許容しようが非難しようが、『10月7日』にパレスチナ人は、まさにそれを始めたのだ」とオマーは語る。そして、「10月7日」を評価するにあたっては、イスラエルが過去16年間にわたって行ってきたガザ封鎖と対ゲリラ戦争を考慮にいれなくてはならないとして、2006年にイスラエルがレバノンに侵攻して、1200人の死傷者を出し、膨大な数の民間人の命が失われたことをあげる。イスラエルの部隊が攻撃されたことに対する返礼が、それだったのだ。それこそ、シャツの議論に従えば、正当な軍事的目標だったにも関わらず。さらに、イスラエル軍の兵員ギラド・シャリトの拘束に対して、イスラエル軍は、1200人近くの民間人の死者を出す報復攻撃を行っている。つまり、イスラエル軍に関して言えば、軍事目標と民間人の区別は直ちに消え失せる。シャツは、そのことに部分的に言及しながらも、「行動を動機づける根源的な復讐の病理のようなものを、パレスチナ人のみに適用しているように見える」とオマーは論じる。結局のところ、ヒズボラやハマスが兵士を標的にしようが、民間人を標的にしようが、彼らは「テロ組織」のままであり、「学校、宗教施設、政府インフラを標的にした、民間人に対する不均衡で無差別な武力行使」を意味するダヒヤ・ドクトリンは、ヒズボラによるイスラエル兵士の拘束と殺害への対応として形成されたものであって、今我々が目撃しているのが、まさにダヒヤ・ドクトリンなのだとオマーは言う。換言すれば、「標的の対象が何であれ、あらゆる形式の抵抗が、他でもない空からの焦土作戦という返礼を受ける」ことになる。イスラエルは、パレスチナ攻撃の際に、自国兵士の損失を最小限にして、軍事目標と民間人の区別などなく、相手に最大限のダメージを与える方法をとってきた。

 パレスチナの抵抗勢力は、軍事作戦を練るにあたって以上のような条件を考慮せざるを得ず、また、「10月7日」の方向に事態を押し進めた社会的且つ政治的な諸力についてオマーは語る。その最もたるものが、ガザ地区の生活状態の改善が遅々として進まなかったことと、事態打開のための明確な政治的筋道が描かれなかったことである。2018年と2019年に行われた、「帰還大行進」(the Great March of Return)に対するイスラエルの報復も圧倒的に非対称的で破壊的なものであり、数百人のデモ参加者がスナイパー狙撃の標的となった。これらのことは、イスラエルが、誰からの処罰も受けることなく、これらの行為を行える「国際的地位」を有していることを示している。アメリカは、イスラエルの指導者が国際刑事裁判所(ICC)で有罪判決にならないようにICCに圧力をかけてさえいる。ヨーロッパも、パレスチナの地位を認めず、イスラエルに制裁をかけることすらしない。これらの事実の示すところは、「国際社会」は、パレスチナ人に次のようなメッセージを送っているも同然だということになる。即ち、「いかなる法的考慮も、政治的救済もなく、あるのは、非暴力にたいする限定的な支持と、イスラエルが犯罪行為を犯していると認識された場合に沸き起こる定期的な非難のみである」

 オマーは、「10月7日」の出来事について、シャツが主流マスコミが流す情報に迎合していることも指摘する。この点については、既に多くの報告があるので、詳細はオマーの原文にあたっていただきたいが、要点のみ述べれば、西側メディアが喧伝したような、「ハマスの無差別殺戮」のごときものは起きておらず、あまつさえ、「赤子の首を切って並べた」などと言う事実は全くないということである。イスラエル居住区での民間人の死者も、むしろイスラエル軍が、人質の交換交渉よりも、南部地区のGaza Envelopeを奪い返すことを優先して居住区を銃撃したことにより、民間人を巻き込んだことが、難を逃れたイスラエル人の証言によっても示されている。もちろん、このことは、ハマスの戦士が、命令通りに規律を持って動いたことや、ハマスの攻撃による民間人の死者が出なかったことを意味しないが、こういう場合、常に詳細の把握は重要(Details matter)なのである。にもかかわらず、西側の政治家やメディアは、ハマスの「残虐性」と「野蛮性」をことさら強調して、これをイスラエルの焦土作戦を正当化する根拠として戦略的に使っており、ウィキペディアにおいても、「(ハマスが)数百人を殺害し、老人、子供、赤ん坊、妊婦を含む数百人を誘拐し、甚大な被害をもたらした」ことが既成事実として記載されているのである。

 さらに、オマーは、シャツのフランツ・ファノンの援用も批判する。オマーは、「(ファノンが)暴力の心理的有用性の虚無的な称揚に注意を促し、それが暴力を行使する者に有害な影響を与える危険性に警告を発していた」のは事実であるとしながら、同時に、ファノンが「民族意識の幻想に警告を発するだけでなく、より人間的で社会主義的な地平への弁証法的転換を支持していた」ことを指摘する。そして、ファノンが、暴力を「植民地支配の構造を解体するために必要な政治的且つ戦略的な手段であり、植民地支配の枠内において必要不可欠なものであると見なしていた」と論ずる。ファノンの暴力批判は、「反植民地闘争が持つ陥穽や潜在的力を照射した内在的なもの」であり、「入植者植民地主義から自らを解放するのみならず、植民地帝国中枢の自己解放さえ射程に入れていた」と論ずる。その上で、オマーは、「パレスチナ人は、西洋の知識人が敷いたあらかじめ決められた運命を受け入れよと言うのか。もしそうであるならば、西洋の知識人は、そうはっきり言う勇気を持つべきだ」と問いかける。

 さて、以上のような議論を踏まえて、現在大学のキャンパスを中心に展開しているアメリカ合衆国での抗議運動を考えた場合、その潜在的可能性に期待を寄せると同時に、結局のところ、権力機構の一部であるアカデミアを越えて、労働者階級との接点を見つけて行けるかどうかに、その成否がかかっていると思う。ファノンの言葉を借りれば、パレスチナの解放はアメリカ合衆国の解放であり、後者を目指すことなく、前者が達成されることもまたないということである。両者は相互排他的ではなく、不可分なのだ。被抑圧者の側は、支配者が善意や慈悲心から彼らを解放してくれるなどという幻想は持っていないであろうし、そのようなことが歴史上起きたためしもない。学生の運動がパレスチナ解放を達成したり、それによってのみアメリカが変わるなどということもまたない。ベトナム戦争時にも、大学のキャンパスを中心に反戦運動が起きたが、それ自体がアメリカを変えるなどということはなかったし、ベトナムからフランスやアメリカを追い出したのは結局のところベトナム人自身であった。

 また、アメリカの学生は、大学にイスラエルと関係を持つ企業からの「資本の引き上げ」(divestment)を要求している。イスラエルとアメリカの軍産複合体が結託して、それによって生み出される武器がパレスチナ人を殺しているというのが彼らの理由である。そうであるならば、自国がウクライナに武器を投入し続ける行為も批判しなくてはならない。もし、前者を批判して、後者を批判しないのならば、それは「パレスチナ人の命は大事だが、ウクライナ人やロシア人の命は大事ではない」という二重基準となるからだ。ウクライナ戦争とパレスチナの問題は、とどのつまり、アメリカの帝国主義的世界戦略の問題であり、問題の本質を捉えているかどうかが重要である。さもなければ、結局、帝国の論理に回収されて終わりとなろう。一瞥した限りでは、彼らは、少なくとも、ウクライナやイスラエルを巡る自国政府やメディアの「二重基準」は見抜いており、権力が自らに加える弾圧が、そのことに関する彼らの確信をさらに強くしているように思える。また、コロンビア大学の「アパルトヘイトからの資本引き上げを要求する連帯行動」(Columbia University Apartheid Divest [CUAD])の声明の中に、パレスチナ解放には直接関係のない「トランスナショナル・フェミニズム」や「反クイアフォビア」のようなテーマも入っているのは、それらのテーマ自体は肯定できるものであったとしても、注意すべき点である。トランスナショナリズムは、アメリカを中心とした西洋の学問トレンドであり、これを水平的に適用した場合、西洋人の視点で物事を判断することとなり、イランやアフガニスタンのような国を、「女性を差別するアパルトヘイト国家」扱いして自家撞着に陥り、帝国主義支配層に足元をすくわれることにもなりかねない。とはいえ、この度の学生の行動が、アメリカの語る「民主主義」の欺瞞性と暴力性を暴くことに貢献しているのは確かである。

 アダム・シャツが、「民族的部族主義」や「民族主義幻想」、さらには「権威主義」などと言う言葉を弄して、「10月7日」に何らかの意味を見出そうとする議論を封じ込めようとすることがひときわ注意を引く。この事実は、近代主義的植民者が最も忌避するもののひとつに、「部族性」(tribalism)があることを想起せずにはいられない。入植者植民地主義は、アメリカ合衆国の所謂「西部開拓」にそのプロトタイプを見出すことが出来るが、これに関して、先住アメリカ人について語る、アメリカ合衆国第三代大統領トーマス・ジェファーソンの言葉を以下に引用する。

・・・・・

 私はこれらの国の原住民を、彼らの歴史に鑑み、憐憫の情をもって見てきた。人間の能力と権利を与えられ、自由と独立を熱烈に愛し、彼ら自身の国で、干渉を受けないことだけが彼らの望みである。しかし、他の地域から溢れ出る人口の流れがこの地域に向かい、彼らは、迂回する力も、対抗する習慣もなく流れに圧倒され、あるいは押し流がされてきた。狩猟民族にとっては、あまりにも狭い土地に押し込まれた今、人類は彼らに農業と家事労働を教えるよう我々に命じている。そのため、われわれは彼らに家事や家庭道具を惜しみなく与え、生活の術を教える指導者を彼らの中に配置し、われわれ自身の中からの侵略者に対しては法の庇護を与えている。

 しかし、彼らに、現在の人生の歩みに待ち受ける運命を啓蒙し、理性を働かせ、その命令に従わせ、状況の変化に応じて追求するものを変えるように仕向けようとする努力には、強力な障害が立ちはだかる。彼らの身体の習慣、心の偏見、無知、高慢、そして彼らの中に存在する利害関係を持つ狡猾な人々の影響力によって、彼らは闘わされているのだ。彼らは、現在の物事の秩序の中において、自分自身を何ものかであると感じ、それ以外のものになることを恐れている。このような人々が、先祖の慣習に対する尊大な敬意を教え込む。先祖が行ったことは、いつの時代もそうでなければならない。理性は偽りの道しるべであり、肉体的、道徳的、政治的な状態において、その助言のもとに前進することは危険な革新である。彼らの義務は、創造主が彼らを創ったたままにとどまることであり、無知は安全であり、知識は危険に満ちている; 要するに、友よ、彼らの間には、良識と偏見の作用と反作用が見られる。彼らにも反哲学者がいて、物事を現状のままに維持することに関心を見出し、改革を恐れ、理性を向上させ、その命令に従う義務よりも習慣の優位を維持するためにあらゆる能力を発揮するのだ。(1805年3月4日)

・・・・・・

 ジェファーソンとアダム・シャツの議論に、200年の時を隔てているにも関わらず、共通する植民者の意識を見出すのは難しいことではない。近代主義者にとって、民族なるものは、彼らの中に「根源的な恐怖」を呼び起こすものとして、常に制御されなくてはならないものなのであり、この制御と馴致のプロセスを、我々は「文明化」と呼んでいる。

 以上述べたことの全てが、日本とアジアの隣国の関係に当てはまる。パレスチナ人は、彼らを解放することを我々に要求しているのではない。彼らは、パレスチナの現状を規定する帝国の物質的条件を変更せよと我々に迫っているのだ。それは、とどのつまり、我々自身を規定する物質的条件を変更せよということである。そのことを見据えない、いかなる「パレスチナ連帯」の言葉も虚しいだけである。帝国主義を押し返す抵抗の力が、西アジアにおけるアメリカとイスラエルの立ち位置を困難なものにする中、イスラエルはNATOの戦略資産に益々依存するようになっている。そうであるのに、日本のリベラル言論を代表する新聞が、このような議論をしているのである。「ああ、『戦後民主主義』とはこのようなものであったのか」と慨嘆する以外に何が出来ようか。