アメリカの大統領就任演説を、ジョージ・ワシントンからドナルド・トランプまで目を通しているが、就任演説の歴史上、"baby"という単語が出て来たのはこれが初めてだ。もちろん、baby formula(粉ミルク)などのような使われ方ではなく、「カモン、ベイビー」のそれに近い。具体的には、We will drill, baby, drill. の部分である。「イェーイ、俺たちは掘りまくるぜ」というような意味だ。この表現を挟んで、直前に「インフレ危機が過剰な財政支出と燃料費の高騰によって引き起こされている」という文言が出てきて、後段は「我々は、他の製造業国家が決して得られない、地球上のどの国よりも多くの石油とガスを持っている」という文脈だから、「掘る」の目的語が、石油や天然ガスなどの化石燃料やレアアースなどの天然資源をさしているのは明らかだ。「我々」が、アメリカだけを意味しているのかというと、そんなわけがない。トランプは、昨年秋の当選から、正式就任に至る過程で、「グリーンランドの領有」や「カナダの併合」などに言及してきたが、いずれも豊富な天然資源を有し、北極航路の要衝として重要な戦略的意味を持つ地域である。アメリカは、ラテンアメリカを自国に従属する「裏庭」として扱う政策を一環して維持してきたし(モンロー主義)、カナダ併合論は19世紀の膨張主義の時代にもあった。トランプが就任演説で言及した「明白なる運命」は、アメリカの植民地主義と拡張主義を代表する標語である。だから、実際にグリーンランドを「買収」して、カナダを「併合」するかどうかは別にしても、トランプの発言は、これらの地域を抑えて、ロシアと中国を制し、帝国主義国家としてのアメリカの覇権を維持するという明確な意思表示と言える。西アジアにおいても、アメリカはシリアの一部を不法に占拠して、原油を盗掘している。
バイデンは任期終了間際に、キューバを「テロ支援国家リスト」から外したが、トランプはそれを就任直後にもとに戻した。トランプは、第一次政権期も、オバマが「テロ支援国家リスト」から外したキューバを、すぐにリストに戻しているが、バイデンは、任期終了間際までそれを維持していた。このことからも、バイデンの行為自体が、単なる政治的ジェスチャーに過ぎないことがわかる。そもそも、この「テロ支援国家リスト」なるもの自体が、アメリカが政権転覆を目論む国家をターゲットにした、戦略上の都合による政治的なものに過ぎない。
従って、トランプのもう一つのターゲットは、メキシコ、パナマ、キューバ、ベネズエラなどのラテンアメリカである。バイデン政権期から、マジョリー・テイラー・グリーンやリンジー・グラハムらの共和党強硬派が、「麻薬カルテル」の取り締まりを名目にしたメキシコへの軍事介入を煽っていたが、トランプは、「カルテル」を「『外国の支援するテロ組織』に指定する大統領令に署名する」と明言している。第二期トランプ政権の国務長官マルコ・ルビオは、第一次トランプ政権期にベネズエラ侵略を主張した人物だが、第二次トランプ政権のベネズエラ介入工作は激化が予想され、何らかの軍事的介入が行われる可能性も否定できない。また、トランプ政権のラテンアメリカへの介入姿勢は、ラテンアメリカで経済的な影響力を増しつつある中国を抑えるためのものでもある。トランプは、メキシコ湾を「アメリカ湾」に改名すると豪語し、「パナマ運河を運営しているのは中国だ」などというデマを飛ばして、パナマに介入してパナマ運河を掌握する意図を臆面もなく披露した。
歴史的に見た場合、アメリカのこのように動きは、それほど驚くべきものではない。トランプのヒーローは、インディアン強制移住法で有名なアンドリュー・ジャクソンだと言われるが、この度の就任演説では、ウィリアム・マッキンリーを引き合いに出している。アメリカは、マッキンリー政権下の米西戦争(1898年)において、キューバ独立戦争に介入してキューバを保護国化し、ハワイを併合し、グアム、プエルトリコ、フィリピンを領有してカリブ海地域を掌握し、フィリピンを植民地とすることによって、アジアに影響力を拡大する足掛かりを得た。現今、アメリカは、グアムにアンダーセン空軍基地を有し、ハワイに第七艦隊を置き、日本及び韓国を事実上の「兵営国家」として利用し、フィリピンを使って中国に揺さぶりをかけているが、これらは、今日のアメリカが1898年以降の帝国主義的展開の延長線上にあることを意味している。1898年は、アメリカ帝国主義を象徴する年であり、トランプがマッキンリーに言及したのには歴史的な理由がある。
トランプは、2017年の就任演説で、「他国の国境を守って、自国の国境をおろそかにしている」という言葉を使っていたが、この度も似たような文句が登場する。第一次政権時には、これが朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)との交渉となって現れたが、ネオコンの介入に屈して頓挫した。あの当時と現在とでは、国際環境があまりにも違っている。ウクライナ戦争ではロシアが主導権を握っており、そのロシアは朝鮮と強固な関係を築いている。国際社会は多極化への方向へと動いており、経済的重心もG7から中ロを中心としたブロックに移動しつつある。朝鮮も中国も、そのことをよく理解している。あらゆるアメリカの動きは、自国の覇権維持のために、戦略的な意図を持って行われるものである。そのことは、誰が大統領になっても、変わることはない。
英語に、crumbs from the rich man's tableという聖書由来の慣用句があるが、人々が求めているのは、富者の食卓から零れ落ちてくる「パンくず」ではなく、「パン」そのものである。資本主義は本質的に搾取と収奪にもとづく経済システムであり、トランプは、それを明け透けに言っているだけのことで、民主党もその点では大差がない。かりにトランプが、言っていることの全てを実行したとしても、それで一般のアメリカ人が豊かになるわけではないし、アメリカや西側の衰退に歯止めがかかるわけでもないが、弾圧の危険を冒して既存のシステムに挑戦するよりは、おこぼれに預かりたいと思う人が多いわけだし、「持てる者」は、持っているものを手放したくはない。ファシズムは、少数の「悪者」によって成立するわけではなく、それを支える分厚い層があり、それは保守であるとリベラルであるとを問わないのである。アメリカのみならず、西側民主主義国全体にファシズムの兆候が見られる。