アレコレ着る人委員会「平成きもの白書」

委員会は、着る人にとって好ましい商品やサービスや環境を積極的に情報発信し、快適なきもの環境を作ることを目指します。

着る人が主役になってきた(2)アンケート②

2012-07-12 21:10:49 | 第4回アンケート

高評価いただいたアレコレイベント

今回のアンケート、ゴールデンウィークの最中ということも影響したのか、回答数は全委員の約3分の1の51でした。この1年以内で「きものや和の展示会、イベントに出かけた」方は90%の46人。「余りにも多くてどれにしたらよいか迷ってしまいます」という方がいる一方、「催しやイベントには参加していません」という方も5人。46人が上げた展示会やイベント数は90。

 ♥以前アレコレさんでやったユザワヤ巡りや半衿づくりなどきものまわりの手仕事に関するものや、様々な生地を実際に見て、出来れば触れるようなもの。その他/アレコレさんの時代小説朗読会+深川町歩きも素敵でしたが呉服屋さん探検隊は自分がアンケートに書いた内容が反映されたという点が嬉しかったので今回はこちらを挙げました。(41歳、きもの歴3年、派遣社員)

♥アレコレイベントのように、着る人、作る人、売る人が本音を言い合える場はとても新鮮でしたし、これからもっと必要になってくると思います。現場の職人さんの話を聞く機会があればいいですね。(53歳、きもの歴4年、ポーセリンアーティスト)

(例)1/ついこのあいだの、5-9きものお披露目イベント、都合がつかず参加できませんでしたが、動画を見て、ほんとうに参加したかったとつくづく思いました。新作の発表にときめく。帯結びの披露にときめく。気仙沼橋さんの下着の講義、言葉がありません・・5-9着物の制作側のかたたちの声が新鮮でした。実はこういうイベントにお誘いし、二つ返事で一緒に行こうといってくれる友人は今のところいません。この回のイベントでは親睦タイム(?)もとって下さったと記憶しています。参加していたら何人かに声をかけることができたかもしれない・・・そこもたまらなく魅力でした。

(例)2/ 勉強会。着物関係のことなんでもいいです。みやざ様をはじめきものプロの方、ぜひいろいろなお話を聞かせてください。受講料少し高くてもいいです。和裁や小物創作でも。そして親睦タイム・・

(例)3/大販売会 古いもの、新しいもの、めずらしいもの、手作りのもの、何でも・・

(例)4/ 工房見学 何か小さいものでも創ることができればなおよし!(ハンカチなんてイヤですが・・)

(例)5/月並みですが歌舞伎や能、日舞、文楽などの鑑賞(できればレクチャーやワークショップつきで)。できれば親睦タイムも・・・。

(例)6/月並みですが、美術館、博物館等での(和関係の)催し物鑑賞。そして親睦会。(55歳、きもの歴5年、パート)

90のイベントの中で複数の委員が上げたイベントがアレコレのイベント。中でも「着る人、売る人、着る人が一堂に会した「コレド室町の着る人委員会特別イベント」は6人。次いで各地の「キモノジャック」が5人、5―9きものの発表イベント、染織こだまさんの展示会が各4人の順でした。

 

 


着る人が主役になってきた(2)アンケート①

2012-07-11 20:53:46 | 第4回アンケート

きもののイベントを俯瞰して見たとき、久保田一竹の一竹辻が花展、池田重子の日本のおしゃれ展など、社会現象となったきものイベントがあります。最近でその可能性を持つイベント言えば、2010年に京都の若手和装関係者が立ち上げた「キモノジャック」があります。「きもので集まって、ある場所をきもので埋め尽くそうよ」。というコンセプトで、参加表明不要、自由集合、自由解散というゆるいルールが人気で、あっという間に名古屋キモノジャック、埼玉キモノジャックなど県単位で広がっています。

 ♥着物でジャックはTwitterで参加者さんのコーデを眺めるだけでも楽しいですね。各地の好み(?)が、わかるようで着物好きといっても、日本の芸能が好きな人、アンティークのお姫さまチックなコーデが好きな人、着物生活に憧れて木綿やナチュラルな着物の好きな人、裁縫好きな人といるし、すべての人と仲良く出来るわけではないので。ジャックの「歩くだけ」付かず離れずの距離感が好きです(^-^)(30歳、きもの歴3年、呉服店勤務)

♥着物やそれにかかわることについて、時間を忘れてプロ・アマ、様々な人とお話を楽しめるもの。ジャックはとにかく着物を着て集まること、なので当然なのですが、せっかく業界の人がいても、これといった話をするでもなく、ちょっと物足りないと感じました(タダ単に控えめな人ばかりだったからかも ^^;)(41歳、きもの歴7年、農業)

♥キモノでジャックは1回目は一人で参加しましたが、現地で友達になり、2回目以降は行けば必ず知り合いが居ます。(44歳、きもの歴12年、会社員)

♥呉服業界の催事と言われる物に1度だけ見に行ったことありますがやはり取り囲まれてウンザリした記憶があります気軽に色々話せる・聞ける事ができ、いろんなパターンの着物や小物が揃っているイベントに参加したいです。あと、各地のジャック参加者さんがどんなコーディネートをしてくるのか勉強できる様なイベントを期待しています。(44歳、きもの歴6年、会社員)

 キモノジャックは、きもの振興という業界的な思惑を超えて「着る人が支持、参加」し、着る人たちが主役に舞台に躍り出てきた」、という意味で象徴的なきものイベントといえます。ただ残念なのは名古屋を除いては、呉服店や業界関係者が盛り上げるより、どこか微妙な距離感を保ちながら参加するか、スルーする傾向があることです。その一因は、きもの業界が「お客様は買う人」という一方的で、固定的な自己都合の視点でイベントも企画し、お世話する意識が全面に出て、「着る人」と一緒にきものを着て楽しむ、という想いに欠けていることがあるように思います。

 表1・この1年で印象に残った「和のイベント、展示会」はー

カルチャー系

 

 

 

 

 

19

池田重子さんのおしゃれ展②/「織」を極めるー北村武資展覧会②/江戸美人の化粧術 ICU大学/社団法人全日本きもの振興会主催 「きもの文化検定工房見学会」京友禅工房見学コース/香り かぐわしき名宝展/山本能楽堂でのイベント「3代目桂春蝶と毛利ゆき子の京都花街の文化とその衣装~舞妓はんが来ますえ~/呉服店での型絵染めのワークショップ&美術館&ランチ/KIMONO熱中塾/銘仙ファッションショー/真夏の夜の落語会」呉服屋主催/「中国人留学生が日本の着物を体験する」という授業のお手伝い/京都染色美術展/京都伝統産業の日/京の小袖展/小袖の染色史/結布着屋さんの表参道での結城紬展示会(結城紬機織り体験つき)/日本の夏じたく展木村孝のきものおしゃれ塾(トークショー)

展示会系

27

染織こだま展示会④/一衣舎展③/三橋工房の日本橋三越での帯の即売会/銀座松屋さんの新春きもの市/新之助上布展@銀座・松屋/新宿伊勢丹での居内商店の展示会/中野スズミさんが出展された「鳥グッズ」展(大阪・阪神百貨店)/札幌「島屋」さんでの『新作大島紬と全国珍品紬の求評会』/呉服店での型絵染めのワークショップ&美術館&ランチ/蒲田のひつじ屋さんの新春のイベント/東京手描き友禅コンクール 第50回記念展「染芸展」/和コモノ咲イタ/あづまやさんの沖縄展/着楽会(着物屋なでしこ主催展示会)/河嶋織物 展示会/友禅染展示会/着付け教室(ハクビ着物教室に通っております)で行なわれる展示会/友人のさをり織りの個展/2月13日の石川県の伝統工芸フェア@後楽園プリズムホール/着付け教室で開催された東レシルック展/きくちいまさんトークショー/日本橋高島屋での若手工芸士展

手作り系

季楽(投扇興と和菓子づくり)/万華鏡カフェ/がまぐちバッグを作る@向島カフェ・イッカ

講習系

着物の仕立てを学ぶ会/松屋銀座での帯の前結び実演/結ばない帯結び講習会(リサイクル着物屋 和楽市主催)

お出かけ系

12

祇園祭/地元の呉服店7社と合同で開催した、第2回着物の集い(ホテルでお食事して、地元の歌手のショーを楽しむ。)/山口県 萩市で毎年10月に開催されている「着物ウィークin萩」。着物で城下町の萩市内を散策、写真を撮ってもらったり、和小物を作ったりしました/地元のきもののリサイクルショップ主催のお食事会。毎回装いのテーマがあるんです/神楽坂きものフリマ/ゆかた祭り(ショッピングモール主催)/ただ、きもので町を散歩する。と言うもの/着物フリマ「うつぼパークサイド市」/上賀茂神社「きもので集う園遊会」/黒留ナイト/きもの結びチャリティ着物バザー/染の小道

新イベント系

13

キモノジャック④/井戸端着物マーケット③/トリノホッカムリ展③/きもの☆カーニバル③

アレコレ系

13

12月「アレコレ」着る人委員会特別イベント⑥/5-9きもの発表会④/呉服屋さん探検隊(月刊アレコレ主催)②/歌舞伎の楽しみ 人形町アレコレ

参加してない

 

注*③は3人が参加。○囲み数字以外は、1人です。


着る人が主役になってきた(1)問屋の時代②

2012-07-10 08:54:35 | 第4回アンケート

ホテルを会場にした展示会&イベントは、多くの集散地問屋(札幌、東京、名古屋、京都、大阪、福岡)が積極的に仕掛け、一大ブームとなりました。1テーブル8人前後を集客単位として、時には1回に100~300人を集める呉服屋さんや地方問屋もあって、バスを連ねて参加しました。

1泊2日のケースでは、午後に先ずホテルに着くと、最初に展示会場に行き、お見分け、きものや帯を購入します。企画する方は1客20万だ、30万だと目標を設定していますから、事前にお客様の欲しいきもの情報を会場内のマネキン(販売員)に伝えておき、販売がスムーズになるように工夫しておきます。でも、当時は会場で囲む、囲まれるなどと言うことはなく、お客様も一堂に様々なきものが見られることが出来るのを楽しんでいました。時にはこの販売会場に女優さんが参加し、ちょっとしたきものトーク(長くなると商売の邪魔になるので…)やお客様のお見分けのお手伝いなどします。大体2~3時間で販売会が終わると、展示会場の受付で、それぞれの宿泊ルームのカギが渡され、お食事までお部屋や三々五々にホテル内で時間を過ごします。

夜は当然みなさん、きものをお召しになってメインイベントに参加します。大体ディナーショーが多かったのですが、例えば五木ひろしや八代亜紀、森進一など当時の人気歌手たちのショーで、多いときには昼と夜の2回、ショーを行うこともありました。そして翌日はバスで都内観光や新橋演舞場、歌舞伎座での観劇など、さまざまにきものを着て、きものを買い物して、というパッケージでした。

この流れを見て、鹿児島の産地買継ぎが大がかりに企画し、仕掛けたのが産地でのきもの販売ツアー。一流ホテルに泊まり、産地見学、ファッションショー、さらに豪華なショー。1週間に1万人近くを動員した大がかりな企画で、松竹、松竹芸能と提携し、岡田真澄、岩下志麻、島田陽子、岡田茉莉子や歌舞伎役者、落語家など一流の出演者が、きものトークやお笑い、唄などをバラエティー豊かに組み合わせたもので、1週間続き、まるで”興業”のようなでしたが、抜群の人気でした。当時はナマで女優さんに会える、なんていうのが稀少だったんですね。呉服業界は京都が中心で映画も京都で発祥しましたから、衣裳提供など何かと映画関係者との関係は深く、アルバイト感覚で販売会に女優さんが出る、という慣習がありました。はあった用です。何しろ前日女優さんが着ていた、ウン百万円もする大島紬がかんたんに売れた時代でしたから、今から考えて不思議な時代でした。その後は沖縄旅行を加えるなどバリエーションが増え、数年続く人気企画でした。

旅行やイベントに無料招待(1部負担、実費負担などバリエーションはありましたが…)参加すれば、経費の1部は当然商品代にオンされている、と考えますよね。また経費の1部は実際にオンされていましたが、それでもはるかに良心的でした。実際経費の1部はオンされていました。それを「騙されて」なんて言う方もいますが、お店とお客様の間に、暗黙の了解、節度というものが確実にありました。

このビジネスモデルが大きな問題なのは、この経費のことよりも「商品を仕入れないで商売」出来る仕組みを作ってしまった、ということです。それまで呉服屋さんは1軒1軒問屋さんを回り、お客様の顔を思い浮かべ、1点1点仕入れていました。あらゆる面で商品の目利きでなければ、いい物をいい値段で仕入れられないので、それだけに問屋も呉服店も真剣勝負でした。またそれだけ商品が動きましたから、昭和30年代は問屋さんの利益はわずか数%、特殊な物でも10%程だったといいます。しかし、商品を問屋さんが用意して展示し、お客様が買った物だけを仕入れ?、帳合いすればいいのであれば、自然に商品に対して甘くなります。呉服店にとっては、売れ残るコトがないわけですから、楽です。それでも昭和40~50年代は、大型催事、といわれるものだけでしたが、やがて悪貨が良貨を…ではありませんが、ジワジワと普段の呉服ビジネスにも悪影響を及ぼし始めてきました。

 


着る人が主役になってきた(1)問屋の時代①

2012-07-06 19:15:07 | 第4回アンケート

 第4回アンケートは、この1年間であなたが参加した「きもの&和のイベント」について教えて下さい。また印象に残ったものも…。呉服屋さんはじめ、インディーズや着る人、そしてアレコレのイベントも含め、多くのイベントが上げられましたが、全体の流れは「きものを着る人が舞台の主役になってきた」ことです。「きものを着る人が企画し、着る人が参加し、参加した人がさらに互いに盛り上げ、盛り上がり、楽しむ」イベントがこの1~2年、急速に増してきました。

では現在に至るまで「きもののイベント」はどのような推移をたどってきたのか。大きな時代として[きものの黄金期=問屋の時代」があります。しかし皮肉なことにこの黄金期を謳歌した主役の問屋は、その99%が倒産してしまった、という過酷な現実です。

黄金期のスタートは昭和39年の東京オリンピック。高度成長が始まり、右肩上がりで収入が増え、その収入は大きく「きもの」へと流れ込んで行きました。結婚式と言えばきもの、黒留め袖や訪問着が当たり前で、お見合いから嫁入りまで一式きものを揃えるのは、普通の家でも親心として当たり前の時代。ハレの場や喪の装いもきものが普通の時代でした。その背景には戦争中で、華やかなきものを着ることが出来なかった親の「娘には」という思いや食料に替えてしまった数々のきものを新たに取り戻そう、という悔しさ…など、親世代(いまの80~70歳)のきものへの憧れ、思いがあり、その対象となる団塊世代の市場の中途半端じゃない大きさ、がありました。そして、この親世代が呉服業界を支えてくれた、上顧客でもありました。

そして昭和39年は、いままでの宿泊だけのホテルから都市型ホテル、ニューオータニ、ホテルオークラ、高輪プリンスホテルなど、多くのレストランやバー、コンベンションホールを備えた、いまでいうアミューズメントパークのようなホテルが出現し、庶民の憧れの場、新しいハレの場として注目を浴びます。

この2つの時代の流れをチャンスとして呉服ビジネスに取り入れたのが、名古屋、京都の新興問屋(ほとんどは倒産してしまいましたが…)、そして新潟県十日町市の新興買継ぎ(産地問屋で、やはりいまはそのほとんどが倒産してしまいました)です。最盛期にはニューオータニを全館貸し切り、2日間では7,500人もの集客を誇りました。ビッグイベントを開かれる一方、春や秋の新作シーズンには都内の大きなホテルで毎週展示会、イベントが開かれる有様でした。。特に十日町の買継ぎは果敢でした。十日町は奈良時代から麻織物の産地として有名で、越後上布や小千谷縮など高級麻織物を生産してきました。しかし昭和40年代前半に織物の産地から一気に染めの産地へと変貌して行きます。そのきっかけが戦後のベビーブーム、団塊世代が成人式を迎え、振袖の一大マーケットの出現です。同じ呉服業界にいながら、企業として飛躍するには織りではなく、染め、それも振袖産地に変身することが第一と、先取の気質、冒険心に富んだ若い経営者が率先して動き、十日町は染めの産地に変身します。

十日町は京都に比べ歴史や伝統では追いつきませんから、対抗軸としてファッションとしてのきものの可能性を追求します。そのためモノ作りも昔ながらの分業生産から、デザインから最後まで一貫して1ヶ所での作る生産システムを完成させます。しかも、まったくのゼロから染めの技術を学び、磨き上げました。同時に山本寛斎はじめ多くのデザイナーを登用し、きものをファッションとして仕掛けて行きます。その狙いは振袖で大成功を収めます。さらに生産規模を拡大し、黒留め袖や色留め袖、訪問着など次から次へとヒットを続けます。一方京都もピエールカルダンなどヨーロッパのデザイナーを起用するなど、いままでの伝統的なモノ作りに加え、ファッション路線を加え、市場は大きく広がってゆきます。昭和50年代、まさに呉服業界は黄金期でした。

この好景気、新しい豊富な商品群を背景に「もっと効率よく販売して行きたい」。さらに新興ゆえにインパクトのある商品と販売企画を提案し、旧来の流通から呉服店を奪いたい、新しい流通システムを作りたい、という思いがあって生み出されたのが「ホテル展示会+イベント」という新しい販売スタイルです。