十二月上旬、私ごとき老人には暗い思いの季節である。
薄い墨色で印刷された葉書が次々に届く。
同級生のご母堂が百四歳で逝去されたなどというのは天寿を全うされたもの、ご冥福を祈るばかりだが、元教え子のご両親などが私と同年輩で亡くなられたというのも来る。
中でもショックだったのは遠く離れて住んでいて、しばらく音信の無かった旧制中学時代の親友の奥さんから、夫が逝去しましたのでという喪中欠礼の葉書が来たことだった。
奥さんは多分年賀状の束の中から私の宛名を見て書かれたものだろう。奥さんとは面識もないわけで。
彼から自分が主宰している素人句会の句集を送ってきて、批評がましい返事を書いたのは今年の夏のことだった。
生意気ざかりの中学生がガリ版刷りの同人誌をつくって、俳句や短歌、随筆などいっぱしの文学青年気取りだった頃から六十年近くの歳月が流れた。戦争が二人を関西と九州に引き離し夫々の道を進ませたのだが「雀百まで踊り忘れず」彼は遂に最期まで俳句を棄てなかった。
離れ住んだまま永の別れをすることもなく彼は逝ってしまった。残った私はなす術も知らず空しくパソコンに向かっている。
薄い墨色で印刷された葉書が次々に届く。
同級生のご母堂が百四歳で逝去されたなどというのは天寿を全うされたもの、ご冥福を祈るばかりだが、元教え子のご両親などが私と同年輩で亡くなられたというのも来る。
中でもショックだったのは遠く離れて住んでいて、しばらく音信の無かった旧制中学時代の親友の奥さんから、夫が逝去しましたのでという喪中欠礼の葉書が来たことだった。
奥さんは多分年賀状の束の中から私の宛名を見て書かれたものだろう。奥さんとは面識もないわけで。
彼から自分が主宰している素人句会の句集を送ってきて、批評がましい返事を書いたのは今年の夏のことだった。
生意気ざかりの中学生がガリ版刷りの同人誌をつくって、俳句や短歌、随筆などいっぱしの文学青年気取りだった頃から六十年近くの歳月が流れた。戦争が二人を関西と九州に引き離し夫々の道を進ませたのだが「雀百まで踊り忘れず」彼は遂に最期まで俳句を棄てなかった。
離れ住んだまま永の別れをすることもなく彼は逝ってしまった。残った私はなす術も知らず空しくパソコンに向かっている。