horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

山頭火のこと

2002-02-17 22:28:00 | 日記
              うしろ姿のしぐれてゆくか   山頭火

昭和57年10月、「漂泊の俳人種田山頭火展」が熊本市で開かれた。彼の生誕100年(没後42年)を記念してM新聞社が遺墨、遺品、その他参考資料を多量に集めたかなり大きな展覧会で、9月故郷山口を皮切りに、京都、放浪の起点熊本、そして終焉の地松山と巡回していた。

その年の夏、思いもかけぬ突然の発病で熊本大付属病院に入院中の私だったが、これを見逃してなるものかと、外出許可を貰って一人で出かけて行った。そして丸半日、不羈奔放な筆致の自由律俳句の揮毫の数々と日記の原本、生涯を物語る遺品、そのほか様々な資料などをつぶさに見て回り、当時私にとっては大金だった二千円奮発して分厚い図録も買って帰った。この図録、大量の出展品や参考写真に加えて年代順の解説や評伝、年譜なども掲載してあって、句集「草木塔」と共に今なお私の愛蔵書の一つとなっている。

    ”「歩く、飲む、作る」---これが山頭火の三つ物である。”

彼の旅日記に自らが記した一節だが、ひたすら行乞の旅を歩き続け、水飲む如くに酒を飲み、その生きざまから絞り出された自由律俳句は俳誌「層雲」の重鎮たらしめた。その生涯のありようは必ずしも本人の意思するところでは無かったことは、克明に書き続けた日記からも読み取れるけれど、生み出された俳句の中にはその人生の凝縮された瞬時を裁断してみせている。
  
酒も飲めぬ凡人の私が山頭火の句に魅せられるのはここなのだ。
 
           雨ふるふるさとははだしで歩く   山頭火