三月一日が定例の卒業式だった。
その前後に大学入試があって卒業生には必ずしもいい日程とはいえなかったのだが。
通算すれば三十数回臨席していることになる。
三年間というと長い期間のようにも思えるが、過ぎてしまうとあっという間のことであった。私にしてみれば三分停車の特急を見送る駅員のごときもの、彼らの行く先に幸あれと祈るのみ。やがて次の列車が来る。
その後期末考査、成績作成と多忙、すぐに入学試験があり採点、合格発表まで激務が続いた。そして終業式、月末には定期異動が発表になる。学校の春はせわしないものなのだ。
そのような三月から別れて二十年の歳月が流れた。いまはもう不毛の生活をただ送るだけの我が身。
その前後に大学入試があって卒業生には必ずしもいい日程とはいえなかったのだが。
通算すれば三十数回臨席していることになる。
三年間というと長い期間のようにも思えるが、過ぎてしまうとあっという間のことであった。私にしてみれば三分停車の特急を見送る駅員のごときもの、彼らの行く先に幸あれと祈るのみ。やがて次の列車が来る。
その後期末考査、成績作成と多忙、すぐに入学試験があり採点、合格発表まで激務が続いた。そして終業式、月末には定期異動が発表になる。学校の春はせわしないものなのだ。
そのような三月から別れて二十年の歳月が流れた。いまはもう不毛の生活をただ送るだけの我が身。
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