Takekida's log

千里の道も一歩から

35歳からの飽きることのない娯楽

2015-01-25 00:58:42 | What`s new ?
気持ちの良い冬の一日。まだまだ寒いですが公園では蝋梅が咲き始めてました。

35歳からの勉強法 (日経ビジネス人文庫)
クリエーター情報なし
日本経済新聞出版社


勉強はしておいて損はない、勉強しておかないと社会人になってから後悔する、とよく言われますが本当に必要な時期には逆に強制力の強い状態でモチベーションがわかなかったというのは多くの人が感じているのでは? 筆者が指摘するように30代に入って仕事も家庭もひとまずがむしゃらな時期を過ぎると「このままでいいんだろうか?」というような内面からの疑問が生まれてくるというのは事実だと思います。その際に何かをクリアするための勉強ではなく人生を豊かにするため、人間としての幅を身に着けるための勉強欲というのが湧いてくるものです。この本はそんな内面からの衝動にどのような分野で興味を落としていったらよいかと指南している本です。 ただだからと言って仕事や日常生活に役に立たないものというわけでなくまわりまわって「文脈力」「視点移動能力」「柔軟な思考能力」「発問力」といった能力を鍛えることが出来るというわけです。

筆者が具体的に勧めているものとしては「マイ古典を持つ」ということです。古典は古来の知識や知恵を凝縮されたものではあるのでいわゆるエッセンスが凝縮されている最小公倍数みたいなイメージなわけです。なので潰しがきくというか昔の人の視点をそのまま自分の今の行動に対比させることが可能となり、その分、行動の幅を広げることが可能になるわけです。筆者は古典と手引書を同時に読むこと、バイブルとすることを勧めています。
その他の分野の取りかかり方に関しても
・趣味から興味を広げる
・文学を評論を含めて読む
・芸術を謎解きから学ぶ
・観光地に行く前に予習する
・対談本に着目する
などが紹介されています。

ただ忘れてはいけないのはこの本でも紹介されている
「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」
という教訓です。(どんなに勉強しても、自分で考え、研究しないかぎり本当の知識とはならない。しかし、自分で考えるだけで人の知識や経験を学ぼうとしなければ独善におちいる。)
レッスンとかでもなんでもそうなのですが結局は自分の立場に置き換えてみた時、何が言えるのか。何に役立てるのかという思考が無ければただ頭の中を抜けていくだけになってしまうと思います。今後は学んで行動にフィードバックするというアウトプットをするというのを前提に考えていきたいです。

かくいう自分としては古典で言えば孫子、音楽であれば三味線、芸術であれば日本画が個人的な興味が集中しているところです。勉強とは一生飽きることのない娯楽であると筆者は言ってますが確かにその通り。知識欲というのは究めれば何にも勝るものだと思います。なんでも興味を持つ子供を看ながら人間の元来の欲なんだと改めて感じる日々です。

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2 Comments

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35歳 (まっつん)
2015-01-25 11:50:32
 35歳ともなると経験済のことが増え、新鮮な感動というものが薄れていくのは事実だと思います。

 転職や配置換えは、なれない仕事で苦労するしストレスもありますが、自分の立場で無理考えさせられる環境になるので、勉強の実体験としては有効かなと思います。

 もちろん、安定した環境で何かを究める人になるのが理想ですが・・・・。
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Unknown (たけきだ)
2015-01-25 23:51:39
まったくですね。世の中の情勢を考えると仕事で同じことを10年と続けられるなんてことは無いわけで常に学ぶ姿勢がないと一線で仕事をしていくのは無理なのだと思います。 自分としては今のところ1年の単位では何かしらPhaseが変わってくる仕事はしているのでそういった意味では荒目にしごかれているのかと思いますが。

たしかに安定した環境も魅力だと思いますが頭は後退しそうな気もします。
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