Takekida's log

千里の道も一歩から

江戸時代を覗き見

2008-07-12 16:40:34 | Books
外は真夏の状況。練習も長時間のものはなるべく涼しい時間帯へ逃げています。 
朝は3時間ほどBIKEへ。

今シーズン最大の目標である佐渡の日本選手権に対して練習中です。

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書 1947)
堀井 憲一郎
講談社

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落語を通して200年前の江戸の暮らしを少し覗いてみましょうというノリの本。もちろん世の中ははるかに便利になり、自由になって人生の選択肢が増えたのは間違いないけどそれが幸せに直結しているかというとどうなのか、江戸の視点でいうと今が不思議なのか、それとも江戸時代が不思議だったのか?そんなことを考えさせてくれます。


筆者もあとがきで書いているのですが落語がすごいのは200年も前の昔の生活が活き活きと現代まで語られていること。とても貴重な存在なのだと改めて感じます。


■誕生日
誕生日が個人で祝うようになったのは近代になってからのこと。
だからこそ昔は満年齢でなく数え年が重要だった。社会に参加してから何年が経っているのかが重要。
■時刻
昔は昼と夜を2分してそれぞれで9つから四つまで約2時間おきに区切っていた。
夜明けも日暮れも6つで普遍だった。西洋時間だと時刻が動かずに夜明けや日暮れが移動していくのでやや自然を無視した感がある。
■名前
名前は社会的責任と共に継ぐものであり個人をイメージしていなかった。
今では名前は個人のものとなった分、自己同一性を模索し、自分探しを強要されるのかも。
■銭と金
金銭は不浄のものであるので固執をしてはいけない(金銭忌避)、宝なので大切にしなくてはいけない(金銭信仰) ある意味二律背反な価値観を叩き込まれているのは今も昔も同じ。昔はお金の流通が少なかった。実際の価値の無い貨幣を流通させるには今のような情報、空想の共有が必要であり、その分貨幣の感覚は今に換算することは難しい。 
■走るように歩く
今の感覚から言うと歩く旅というのはのんびりしているようにも思えるけども歩く手段しかなかった人にとっては大変でものんびりしているわけでもない。
昔は一日40km~60kmを歩いたという。
■ナンバ
 昔の人は手は振らなかった。手を振るというのは振り子になるので余計な体力を消耗してしまう。
■共同体の生贄
昔話に生贄が語られるのは自然の中に生かされていて共同体を作らないと生きられなかった人間の弱さを示していたのかもしれない。
■近代の消した世界
 昔と比べると現代は大道芸とか見世物小屋とか世の中の外れたところで生きている人たちを排除してきた。社会の余裕の無さ。
■結婚
 昔は自由な恋愛などはほとんど無く、独り者は良くないという社会のコンセンサスで結婚させられていた。今は「お互いが選択した」ということが重要な要素。選ぶ、選ばれないと個人として否定された気になってしまうから。
■左利き
 江戸時代は左利きの侍はいなかった、というより右利きに強制させられていた。それは生きるか死ぬかのギリギリの世界で社会コストのかかることは出来なかったからである。死の隠蔽と個性の尊重は表裏にあるものである。

Comments (2)    この記事についてブログを書く
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2 Comments

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結局 (ikumu)
2008-07-12 17:14:09
日本選手権の方にしたんだっけ?出遅れると暑くて練習になりません。っていうか自転車が入院中(^_^;)
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Unknown (takekida)
2008-07-13 20:10:01
そうなんです。B-Typeの締め切りに遅れたというのが最大の理由なんですが… 

まったく東海は暑いですね。仙台は夏は非常に過ごしやすかったと感じます。
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