
名古屋駅の高島屋で行われていた河合寛次朗展‐生命の歓喜‐に行って来ました。
生涯一陶工となっていますが作品は陶器だけにあまらず彫刻や真鍮などの金属作品、詩などの言葉の書作品など多岐に渡ることに驚きました。また日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用することを目指した民芸運動の中心者としても知られていて社交的な人であった一方で文化勲章を辞退するなど一工とし生きることを貫いた軸のある人だと感じました。 詩集なども残されており、相田みつをさんなどにも通ずるようはっとさせられるなことばが残されています。
表題の心刀彫身は自分自身を形作るのは自分の心の刀でしかないということ。何を残して何を削ぐのかそれを彫刻にたとえてます。
こんな言葉もありました。
・「手考足思」頭で考えるだけでなく手足を動かして試してみよということでしょう。
・{過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今」≒因果応報。未来のために何が出来るか? 種、そしてつぼみを常に育てていかねばいけないということかと思います。
生涯一陶工となっていますが作品は陶器だけにあまらず彫刻や真鍮などの金属作品、詩などの言葉の書作品など多岐に渡ることに驚きました。また日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用することを目指した民芸運動の中心者としても知られていて社交的な人であった一方で文化勲章を辞退するなど一工とし生きることを貫いた軸のある人だと感じました。 詩集なども残されており、相田みつをさんなどにも通ずるようはっとさせられるなことばが残されています。
表題の心刀彫身は自分自身を形作るのは自分の心の刀でしかないということ。何を残して何を削ぐのかそれを彫刻にたとえてます。
こんな言葉もありました。
・「手考足思」頭で考えるだけでなく手足を動かして試してみよということでしょう。
・{過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今」≒因果応報。未来のために何が出来るか? 種、そしてつぼみを常に育てていかねばいけないということかと思います。
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