ピンポン外交(ぴんぽんがいこう、乒乓外交)とは、1971年(昭和46年)に日本の愛知県名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権の裏で、アメリカ合衆国と中華人民共和国との間で交わされた外交のことである。
って皆さんご存知でしたか??
すいません、私は今回初めて知りました。。そもそもピンポン外交ってこの時のことを言うとは!?
かなり驚きです!
話が突然始まりましたが。。
今回の出張中に初めて知ったことでしたのでご報告しておきます。
中国人の年配者にとっての名古屋は印象深い都市?だそうなんです。
(いや、、たまたま今回仕事関係で最初に名古屋の会社の人に何人か会ったので、、そういう話題になりました)
今回私も初めて知ったことなのですが、、年配者うーん、、50代後半以上の人になるのかなぁ?にとっては「名古屋」という年は東京よりもずっと早く名前を認識した印象深い都年らしいです。
1971年4月6日に第31回世界卓球大会が名古屋で開催され中国チームも参加したらしいです。
その際にアメリカチームに訪中の招待をしたらしいです。それがきっかけで実際にアメリカ卓球チーム等(記者)が中国訪問を実現し、中国が1949年に成立してから初めてのアメリカ人が中国国内に入国した。アメリカ中国の民間交流に一役買ったとのことで、すぐにアメリカは反対に中国チームに御礼の招待をしそれが翌年実現したという話らしいです。
これに関連していろいろな逸話があるようでとても興味深いです。
つまりピンポン外交によって20年来交流が絶断していた中米関係和解に歴史的突破をもたらした!みたいな感じらしいです。。
まぁ、、、、実際は中米関係回復のよいお話ですが、そのきっかけが名古屋での卓球大会とは、、
不思議なものですね。
彼ら曰く、当時はだれも東京の名前なんて知らない、、でもこの大会のおかげで名古屋は誰でも知っていたそうです。。。ははは。。その時名古屋も何か活躍出来ればよかったですね。。
その中で一番印象深い日本人選手は木村選手だとも言っていました。(木村興治選手)
なんせ日中国交回復のしばらく前の話ですからね。
やっぱり中国と日本はいろんなところで歴史的にも繋がりがあるものなんですね。
ちなみにその時から3大会連続で中国チームは優勝を飾ったそうです。
私が個人的に興味を持ったこのピンポン外交のきっかけをつくった選手「荘則棟」
のちに苦労して日本人女性と結婚し大変な結婚生活の後卓球クラブを設立したりされたそうです。
一番驚いたのはその彼は2013年2月10日に北京で亡くなっておられるってことです。(72歳没)
ええ?半月前ですか??なんだかすごいです。
ぜひ彼の波乱万丈の人生を読んでみたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます