そのとき父は私の為に菓子を買っていたときでしたから、その人は金銭を受けるのを好まないが、さぞ御菓子なら喜んで受けるであろうと心の中に思い、すぐにその人のもとに駆けて行こうとしましたが、そのうちに何か遠慮したのか、気恥ずかしかったのか、ついに機会を失って御菓子を持って行く勇気が出ませんでしたから、胸がいっぱいになって涙を流すほどでした私は「初聖体を受ける時には、天主様にいかなる恵みを願っても聴き入れてくださる」という事を、かねて聞いていた事を思い出し、すぐにその時私は六歳であるに拘わらず初聖体の時にはきっとこの老人のために祈祷を捧げましょうと決心して慰めを得ました。五年後、初聖体を受けました時、私はこの事を忘れずに祈り、その後この老人のために祈ったことは必ず聖主が聴き入れてくださったばかりでなく、私個人のためにも良い報いを与えてくださったという事を深く信じております。
私は成長するにしたがい、ますます天主様を愛するようになり、母に教えられた祈りを唱えて、度々私の心を捧げました。そして何事を為すにもイエズス様の聖心にかなうようにと努め、これに背いた罪を犯すようなことは、決してしないと注意しておりましたが、次に記すところの一つの過ちを致しました。これを思いますと、私はへりくだり完全に痛悔しました。これは私の六歳の年の五月(聖母の月)で、姉達は祈りのために毎夜近くの聖堂に行かれ、私と乳母のヴィクトリアとが家に残っていた時の事です。いつも二人で皆出た後で、私の作った小さな祭壇を飾り、その前で乳母と祈りをするのです。そして花も燭台も小さく、ろう燐寸(まっち)の火で充分明るいくらいですが、乳母は燐寸を残すため、ときどきロウソクの燃え残りを与えていました。
一晩、いつもの通り二人は祭壇の前に跪きました。その時、私は乳母に「いま火をともすから、その間もあなたは「慈悲深き童貞マリア(聖ベルナルド 聖母に祈る文)の祈りをしなさい」と申して燐寸をともしましたが、乳母は始めようとする真似をして、後から私の方を向いて大笑いしました。私は手にしている燐寸の日が燃え尽くそうとしていているので「早く唱えなさい」と申しましたが、乳母はなおも大声で笑っておりますので、平素おとなしい私も腹が立ち、強く床板を踏みながら大きな声で「ヴィクトリア、けしからぬものだ」と怒りました。すると乳母は私の勢いをみて、笑う事を止め少し心配する態度をしながら、前掛けの下に隠し持っていた短いロウソクの燃え残しを二つ見せましたが、もはや怒りの涙を流した後で、熱い痛悔の涙へと変わりました。そして私はこの時になんとなく面目を失ったような気がして、また再び怒らないと堅い決心を致しました。
その後まもなく私は告解に行きました。誠に喜ばしい記念です。親愛なる母様、あなたからたびたび「テレジア、告解の時には人に向かって罪を白状するのではなく、天主様に向かって白状するのである」と言い聞かされておりました。私はこれを少しも疑いませんでしたから、私は天主様にむかって話しするのに、あれはその代理である司祭に向かって「私は心の底からあなたを愛します」と言わなければなりませんか」と真面目に訊ねました後、告解の順序がよく分かりましたので、告解場に入り司祭(ドゥセリエ師、1917年リジュー市聖ペテロ大天主堂の受持神父)を眺めつつ、罪を告白し、司祭から贖宥される時から、かねて、あなたから「その時には、幼きイエズスの涙から私の霊魂を清めてくださるのである」と教えられた事を思い出し、熱き信仰をもって心の底から痛悔しました。
このとき、神父さまから、聖母マリアに対して信心の務めをすべき、良いお勧めを受けました。私はこれを忘れず今までよりも、なお一層聖母を熱く厚く愛し敬うようになりました、告解が済みますと、前に頂いていた、ちいさなコンタツに贖宥をつけて貰い、告解場から出ました。その時から身体が何となく軽くなったように覚え、今までになかった私の喜びを感じました。そして私はガス灯の下に佇んで、贖宥を受けた小さなコンタツを袂から出して見ておりますと、ポリナは肩越しに覗いて「何を見ているの?_」と尋ねましたので「贖宥の附いているコンタツとはどんなものであるかを見ているのです」と答えましたが、この無邪気なことを聞いていた姉達は、みんな面白がりました。私はこの日に受けた御恵みを永く忘れず、そのときから大祝日には必ず告解しましょう、という望みが起こり、告解するごとに愉快な気が増してくるよう覚えました。
読んでくださってありがとうございます。yui
私は成長するにしたがい、ますます天主様を愛するようになり、母に教えられた祈りを唱えて、度々私の心を捧げました。そして何事を為すにもイエズス様の聖心にかなうようにと努め、これに背いた罪を犯すようなことは、決してしないと注意しておりましたが、次に記すところの一つの過ちを致しました。これを思いますと、私はへりくだり完全に痛悔しました。これは私の六歳の年の五月(聖母の月)で、姉達は祈りのために毎夜近くの聖堂に行かれ、私と乳母のヴィクトリアとが家に残っていた時の事です。いつも二人で皆出た後で、私の作った小さな祭壇を飾り、その前で乳母と祈りをするのです。そして花も燭台も小さく、ろう燐寸(まっち)の火で充分明るいくらいですが、乳母は燐寸を残すため、ときどきロウソクの燃え残りを与えていました。
一晩、いつもの通り二人は祭壇の前に跪きました。その時、私は乳母に「いま火をともすから、その間もあなたは「慈悲深き童貞マリア(聖ベルナルド 聖母に祈る文)の祈りをしなさい」と申して燐寸をともしましたが、乳母は始めようとする真似をして、後から私の方を向いて大笑いしました。私は手にしている燐寸の日が燃え尽くそうとしていているので「早く唱えなさい」と申しましたが、乳母はなおも大声で笑っておりますので、平素おとなしい私も腹が立ち、強く床板を踏みながら大きな声で「ヴィクトリア、けしからぬものだ」と怒りました。すると乳母は私の勢いをみて、笑う事を止め少し心配する態度をしながら、前掛けの下に隠し持っていた短いロウソクの燃え残しを二つ見せましたが、もはや怒りの涙を流した後で、熱い痛悔の涙へと変わりました。そして私はこの時になんとなく面目を失ったような気がして、また再び怒らないと堅い決心を致しました。
その後まもなく私は告解に行きました。誠に喜ばしい記念です。親愛なる母様、あなたからたびたび「テレジア、告解の時には人に向かって罪を白状するのではなく、天主様に向かって白状するのである」と言い聞かされておりました。私はこれを少しも疑いませんでしたから、私は天主様にむかって話しするのに、あれはその代理である司祭に向かって「私は心の底からあなたを愛します」と言わなければなりませんか」と真面目に訊ねました後、告解の順序がよく分かりましたので、告解場に入り司祭(ドゥセリエ師、1917年リジュー市聖ペテロ大天主堂の受持神父)を眺めつつ、罪を告白し、司祭から贖宥される時から、かねて、あなたから「その時には、幼きイエズスの涙から私の霊魂を清めてくださるのである」と教えられた事を思い出し、熱き信仰をもって心の底から痛悔しました。
このとき、神父さまから、聖母マリアに対して信心の務めをすべき、良いお勧めを受けました。私はこれを忘れず今までよりも、なお一層聖母を熱く厚く愛し敬うようになりました、告解が済みますと、前に頂いていた、ちいさなコンタツに贖宥をつけて貰い、告解場から出ました。その時から身体が何となく軽くなったように覚え、今までになかった私の喜びを感じました。そして私はガス灯の下に佇んで、贖宥を受けた小さなコンタツを袂から出して見ておりますと、ポリナは肩越しに覗いて「何を見ているの?_」と尋ねましたので「贖宥の附いているコンタツとはどんなものであるかを見ているのです」と答えましたが、この無邪気なことを聞いていた姉達は、みんな面白がりました。私はこの日に受けた御恵みを永く忘れず、そのときから大祝日には必ず告解しましょう、という望みが起こり、告解するごとに愉快な気が増してくるよう覚えました。
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