大祝日、この唯一の言葉の中にはどれだけ良い感じがし、また、姉達からも大祝日ごとにその祝う理由を聞いておりましたので、実際この大祝日はこの世の日でありますが私にとっては天国の日に代わってしまったような気がしておりました。殊に聖体の大祝日に私は行列に加わって、聖体の中に在すイエズス様の前に花を撒くのはいかにも楽しく、高く投げた花びらが顕示台に当たった時には、実に何とも云われないほど愉快でした。
大祝日は数が少ないのではなはだ待ち遠しく感じました。毎週、私の愛する祝日が毎日曜日に来ます。それは何ですか?日曜日のことです。いかにも美しい楽しい日でありました。即ち天主さまの祝日で私らの休みの祝日であります。この日、家族一同は聖堂に詣ってミサ聖祭にあずかります。私は父と共にいつもは児の方でミサにあずかり、説教が始まると演壇の下に近寄るのでありました。ときどき信者が大勢で近寄りがたい時もありますが、この小さきテレジアが手を引かれて通る際には、人々は快く皆席を譲ってくれました。叔父もまた二人の通るのを持て喜び、私を指して「この児は父を照らす太陽の一光線である」と云い、尊敬すべき老人が小さき女の子の手を取る姿を見ると何とも言え良い感じを与えると申しておりました。
私は人々から顔を覗かれても頓着せず、落ち着いてよく説教を聴いておりました。最初に解って深い感動を受けた説教は「聖主の御苦難について」のお話しでありまして、その時は5歳6ヶ月でした。そしてそれから後の説教は、あらましの意味が分かり、これを味わうことも出来ました。聖女テレジアのことについて話が出ますと、父は私の方に首を傾け、低い声で「我が小さき女王よ、よく聞きなさい。いま、お前の保護の聖女のお話しであるから……」と申されましたので、私は喜んで耳を傾けましたが、しかし有り体に申しますと、私はいつも説教をされた神父様のお顔よりも、父の立派な顔つきが私に多く語るようでありました」父はときどき説教に感じて涙が流れようとするとき、強いてこれを流すまいとしようとする風や、また未来永遠の真理についてのお話を聞いて、自分はこの世界に住んでいるという事を忘れ、もはや未来に行ったように見えておりましたが、慈しみ深き聖主は、その全能の御手をもって、この忠実なる僕の苦しい涙をぬぐい、美しき楽しき天国に遣わされるまでに、なおも辛く永い月日を送らねばならぬようにお計らいくださったのです。
日曜日の話しに立ち戻りましょう。私はこの愉快な主日が、至って早く過ぎ去るような心地が致しました。この日は午後の聖体降福祭の時までは、まことに愉快でありますが、それから後は少し憂いの思いが起こるのであります。なぜならば、翌日からは又普通の日で、日々宿題とか復習とか、その他いろいろと世間的な務めを始めなければなりませんでしたからです。それゆえ、私はこの世間におるのが、ちょうど島流しに合うようなものであるという事を深く感じ、早くこの世を去って天国に行き、終わりのない、真の本国の楽しい主日を望むようになりました。
ブイソネに帰るまえに、私の叔母が日曜日の夜は私らを代わる代わる招いていたので、私の順番が来るのを非常に喜んでおりました。私は叔父の話されるすべての事はいかに真面目な事であっても、たいへん愉快に聞いておりました。その会話は私にとっては非常に趣味がありました。恐らくそれほど注意して聞いていたという事を叔父が思わなかった。ときどき私の喜びに恐れが交じりました。叔父は私の小さな身体を片膝の上に乗せて何とかという歌を歌われる時は、私を乗せたまま、膝で強く調子を取りながら、大きな声を出されるので、私はその度に、ひやひやと心配したのです。
大祝日は数が少ないのではなはだ待ち遠しく感じました。毎週、私の愛する祝日が毎日曜日に来ます。それは何ですか?日曜日のことです。いかにも美しい楽しい日でありました。即ち天主さまの祝日で私らの休みの祝日であります。この日、家族一同は聖堂に詣ってミサ聖祭にあずかります。私は父と共にいつもは児の方でミサにあずかり、説教が始まると演壇の下に近寄るのでありました。ときどき信者が大勢で近寄りがたい時もありますが、この小さきテレジアが手を引かれて通る際には、人々は快く皆席を譲ってくれました。叔父もまた二人の通るのを持て喜び、私を指して「この児は父を照らす太陽の一光線である」と云い、尊敬すべき老人が小さき女の子の手を取る姿を見ると何とも言え良い感じを与えると申しておりました。
私は人々から顔を覗かれても頓着せず、落ち着いてよく説教を聴いておりました。最初に解って深い感動を受けた説教は「聖主の御苦難について」のお話しでありまして、その時は5歳6ヶ月でした。そしてそれから後の説教は、あらましの意味が分かり、これを味わうことも出来ました。聖女テレジアのことについて話が出ますと、父は私の方に首を傾け、低い声で「我が小さき女王よ、よく聞きなさい。いま、お前の保護の聖女のお話しであるから……」と申されましたので、私は喜んで耳を傾けましたが、しかし有り体に申しますと、私はいつも説教をされた神父様のお顔よりも、父の立派な顔つきが私に多く語るようでありました」父はときどき説教に感じて涙が流れようとするとき、強いてこれを流すまいとしようとする風や、また未来永遠の真理についてのお話を聞いて、自分はこの世界に住んでいるという事を忘れ、もはや未来に行ったように見えておりましたが、慈しみ深き聖主は、その全能の御手をもって、この忠実なる僕の苦しい涙をぬぐい、美しき楽しき天国に遣わされるまでに、なおも辛く永い月日を送らねばならぬようにお計らいくださったのです。
日曜日の話しに立ち戻りましょう。私はこの愉快な主日が、至って早く過ぎ去るような心地が致しました。この日は午後の聖体降福祭の時までは、まことに愉快でありますが、それから後は少し憂いの思いが起こるのであります。なぜならば、翌日からは又普通の日で、日々宿題とか復習とか、その他いろいろと世間的な務めを始めなければなりませんでしたからです。それゆえ、私はこの世間におるのが、ちょうど島流しに合うようなものであるという事を深く感じ、早くこの世を去って天国に行き、終わりのない、真の本国の楽しい主日を望むようになりました。
ブイソネに帰るまえに、私の叔母が日曜日の夜は私らを代わる代わる招いていたので、私の順番が来るのを非常に喜んでおりました。私は叔父の話されるすべての事はいかに真面目な事であっても、たいへん愉快に聞いておりました。その会話は私にとっては非常に趣味がありました。恐らくそれほど注意して聞いていたという事を叔父が思わなかった。ときどき私の喜びに恐れが交じりました。叔父は私の小さな身体を片膝の上に乗せて何とかという歌を歌われる時は、私を乗せたまま、膝で強く調子を取りながら、大きな声を出されるので、私はその度に、ひやひやと心配したのです。