ドラマネ倶楽部の理念は、「一緒にやれば、もっとできる!」 

師範になる or 道場破りに行く

今日のマコなり社長のインサイドストーリーズから

・武道の型は、ほぼ宗教特に根拠はない。信じるか信じないかはあなた次第系である。基本の型を身につけたという定義は一体何か?型も含めて宗教じみているところが必ずある。信じるか信じないかはあなた次第である。

・究極的にいちばん良い方法が分からないとした場合、仮説検証をしてきた人たちが良いと言っているやり方をやっておいたほうが期待値が高い。

・片方を盲信してはいけない。その型に疑いを持ち始めたときが、まさに「自分のオリジナリティを見出していくとき」または「物事の本質から考えるようになっていくとき」ではないか?

・「型と自分らしさを構築した後、師範になるか?それとも道場破りに行くか?」この場合は、道場破り一択である。師範は、誰かが教えた型を守り続ける人である。伝統工芸をひたすら作り続ける人とも言える。

・道場破りは、我流を身につけてこれまで当たり前に正しいと思っていることをやっている人たちに対して「それは間違っている。文句があるなら俺に勝ってみろ」というスタンスを取ることである。言わば、既存の業界に勝負を仕掛けるスタートアップのようなスタンスのことである。師範を目指すとは数学者や物理学者、プロバスケットボール選手になるということである。型がある中で、頂点を目指す戦いとも言える。

・型と自分らしさを構築したのにその力を証明しようとしないのは、本当に自分らしさを構築したと言えるのか?そもそも型と自分らしさの構築ができたことが、すなわち道場破りに成功したということではないか?それまでは、自分らしさを構築できたとは言えないのではないか?

・成功体験に囚われてしまうというのは、全人類が背負っていることであり、克服はできない。よって「手放せば始まる」しかない。これは自分から選び取るものではなく、偶然そのようになる。人生の節目の中で、自分の成功体験を手放さなければならないタイミングがある。

・ストーリーライティングが最短で上手くなる方法は、人に読んでもらったり聞いたりしてもらうことである。それだけではなく、フィードバックをもらうことも大事である。どんなに本を読んでも人を動かせる文章を書けるようにはならない。

・プロは、実践において意識していることなんてない。意識していているようではプロとはいえない。意識しているポイントは存在しない。ただ、自分ではどうしても「これは最高だ」と勘違いしてしまう傾向がある。だからこそ、他者の意見が大事である。自分のバイアスを取るためにも、それは必ずやるべきである。

・仮説を立てるために、まずは自分の頭の中を全て書き出したほうが良い。そのためにメモ書きは有効である。仮説を立てるというところに行くためにも、なにも分からないとしてもまずは自分の考えていることを書いてみることが重要である。

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