長野に赴任したのはH.9.10からH.14末までの5年間でした。
日本は大気汚染、土壌汚染、河川や湖沼汚染で環境が最悪の時代でした。
東京の産業廃棄物は東北や甲信地方へ不法投棄されていました。
霞ヶ浦は栄養過多で水が汚濁し、ばい菌のヘルペスで鯉が全滅しました。
琵琶湖や瀬戸内海(赤潮)までも水質が低下しました。
富士山麓は廃棄物投棄場となっていました。
ようやく環境浄化が重要な課題となりました。
国の後押しで環境浄化に従事して長野に住むことになりました。
その頃長野では冬季オリンピックが間近に迫っていました。
信越本線特急「ASAMA」号に乗り軽井沢駅を見納めました。
1997年10月には長野新幹線が開通します。
上信越自動車道は妙高辺りまで開通していました。
長野市は間近に迫った冬季オリンピックで活気に満ちていました。
(マイカーは電柱の前に雪で埋もれています。
ベルさんに教わったおえかきツールまだ覚えていません。
こんな時には必要ですね)
年が迫ると冬将軍の到来、初めて雪国での生活が始まりました。
土・日・祭日は長野を走り回りました。
写真を見ると思い出しました、その頃の長野をお見せします。
晴れたある日スノータイヤになれたので白馬を見物しました。