常磐自動車道の勿来ICから「勿来の関」は
およそ 3km の小高い山の上にありました。
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“ 吹く風を 勿来の関と思えども 道も背に散る 山桜かな ”
源義家(1042 ~ 1106)が陸奥へ行ったのは
生涯で三度(1056年、1070年、1083年)と云われています。
関所の跡、すり減った石畳は歴史の重みを感じます。
と 同時にこんな所で関守が出来たのか不安に思えました。
砦も城跡も見あたりません。
石畳の両側には素晴らしい大きな石の歌碑が建っています。
源義家の歌碑は一番古く1851年に建てられたそうです。
「勿来の関文学歴史館」は休館日で資料が貰えません。
詩歌の小径 いしぶみ散策マップを照合しましたが
歌碑の順序は一致しないかも知れません。
山桜がとても綺麗で良いときに来ました。
遠くには勿来海岸と燈台が見えます。
そこには国道6号線が通っています。
何回通過したかは数えきれませんが「勿来の関」は初めてでした。
勿来の関はすばらしい所でした。
写真が多いのでスライドショウを作りました。
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斎藤茂吉、長塚節の歌碑や松尾芭蕉、角川源義の句碑もありました。
勿来の関歴史館に女性が来たとは思えないのに
勿来の関が詠まれている訳を聞くと「歌枕として
勿来の関」が使われていたと教えてくれました。
「勿来の関」は文学的に知名度が高かったのですね。
関所と云えば「安宅の関」で義経と弁慶が関守・富樫との
気迫の迫る歌舞伎の勧進帳を思い出しました。
関所とは惜別の悲哀も多かったのでしょうね。
その後に「五浦の六角堂」へ行きました。
良い所ばかりで行きたい所ばかりです。
行っとけばよかった(笑)良いところですね。
勿来の関 桜の咲くころに行ったのは一昨年だたかな・・・
歌碑がいっぱいあるのですよね、懐かしく拝見しました。
石畳のお写真がとても素敵だなぁ~と思いました。
勿来(なこそ)とは「来るなかれ!」ここから先には来るな!!という意味だそうですよね。
関所だけに、この先には入ってはいけないってことなのでしょうね。
今は山桜は少なくなってしまいましたが、義家が勿来の関に来た時は、背にも積もるような花吹雪が待ていたのでしょうかねっ♪
写真も良い感じです、目に優しくなりましたよ(^_^)
今日は暑くなるとか、避暑に行ってきます(笑)
ネタ探しネタ探し・・・( -_[◎]oパチリ
義経の歌碑、歴史を感じますね
昔から歴史を感じさせる物悲しい処
箱根の関所でも入り鉄砲、出女の取調べで
女性の頭髪の中を調べている人形も・・・
勿来の関に行った頃は国道6号線は未だ
舗装されていなかったのでは?
素晴らしいところですから五浦の六角堂とセットで行きます。
ブログを始めてから一寸寄り道をすれば
良かったと思うことが多いですね。
小野小町や和泉式部は勿来に来ていなかったですね。
勿来の関が歌枕とは素晴らしいところだったのですね。
源義家効果ですね。
桜が減ったので関係者が桜の植林をしたそうです。
歴史の勉強が出来楽しかったです。
何時もお世話になります。
写真の順番が分からなく混乱しました。
無事投稿が出来て良かったです。
写真は手を加えない方が良いですね。
有り難うございました。