アマチュア哲学者で

日記か評論か意見表明か感想文かノンフィクションかエッセイか暇つぶしのレポートか

女性原理と男性原理しかない

2024年09月21日 19時02分26秒 | 社会
 この現代社会においては女性原理と男性原理が働いており、中性原理というのはない。第3の性は存在しないことになっている。
 両性の間に蠢くやつらは右往左往しているように見える。明確にすればよいのだ、第3の性を確立すると。きゃつらはどちらかの性に片寄るから無理が生じる。どちらかの性でない第3の性を生きる。そんな自由もあるはずだ、この現代社会には。
 再び非連帯感とゆるやかな敵意をもってLGBTの皆さんに言っておくが(自分の場合はQだから)、女性原理かもしくは男性原理しか作用していない世の中、中性原理は存在しないと思え。しかしながらジェンダー自由思想は中性原理と近しい。
 もっと独り者、独身者生活の権利が主張されるべき。少数者の意見としては。だけど街角に見かけるのはみすぼらしい貧しげな孤独な人が多い。





C・G・ユングの性別論

2024年04月15日 21時26分34秒 | 社会
 ユングは云わずとしれたスイス人の精神分析学の大家。フロイドの弟子にして、後年たもとをわかっている。
 ユングは数あまたの著作を遺している。全集も日本で翻訳出版されていた。筆者はその幾ばくかを若い頃、親しんでいたのでこのブログを作成する。
 結論からいって、人間も動物だから雌雄の差異がある。しかしユングは個人の中に本来的両性具有をとらえた。男性には女性的要素が備わっているし、女性にも男性的要素が備わっている。その強度の表象がその人の性別を決定する。これは心理学上の見解である。
 男性内の女性的要素をア二マ、女性内の男性的要素をアニムスと名付けた。すみません、逆かも知れないです。
 だから女性的な男もいるし男性的な女もいるのは当然だ。そして中性的人間もいても不自然ではない。ア二マとアニムスが個人内でほぼ半半の勢力を保っている。これらはあくまで性格上の論点です。
 性的本能としては男は女と交わりたいし、女は男と交わりたいのは生殖のため正常です。この本能はその人の性格とは別次元に発生してくるのではないかというのが筆者の推定です。動物的本能として異性に対する性欲が発生する。しかし女性的男はそれを世俗的に満足させられない。

たばこポイ捨て禁止

2024年01月20日 18時33分52秒 | 社会
 最近、めちゃくちゃ怒っているのがある不心得者の行動に。タバコ吸い殻のポイ捨てだ。
 わたくしの居住する賃貸マンション1階1室ドア前の廊下前はマンション駐車場で、公共道路に面している。反対側はご近所さん屋敷の塀が続いている。
 あろう事か、そのゴミ一つ落ちてない道路間に吸い殻を一本だけ捨てていく奴がいるのだ定期的に。ずいぶん以前に一回だけ偶然に目撃したことがある。見知らぬオバハンが自転車を走らせながらポイと捨て去った。
 自分はその時唖然として、何もできなかった。今なら注意する、勇を鼓して。「人の家の前に吸い殻を捨てないでください」と叫ぶ。
 それ以来一週間に1日や2日は必ず捨てられている。自分は見つけたらその度に素手で拾って、門のマンションゴミ捨て場に捨てている。あまり立派な行動ではないかもしれぬ。この一角は回収しきれてないペットボトルや他のゴミで汚ない。
 この件があってから、自分も自転車に乗って買い物に往復する時など道路を見ると、他のところでも汚らしく吸い殻が発見される。わたくしの住んでいる地域はマナーの良くない人が多いのか、ごく一部の人か。まめに公共歩道を掃除する人がいないのか。

1日は24時間だが

2024年01月08日 01時38分04秒 | 社会
 自分は日記を書いているが、過去をふりかえってその日のことを書く時、時間帯を表現する時いつも悩む。  
 1日は24時間だがその分類があった。これは2019年9月8日の大阪府立中央図書館2階大会議室で行われた府民講座第1回のレジュメから引用する。
 天気予報の正しいミカタがタイトルテーマで、講師は若くて美人の岡本紗和子氏だった。当然のように彼女は気象予報士である。
 その中で時間帯の呼び方というコーナーがあり、1日24時間を8つに分けている。午前4つ午後4つで3時間ごとに分けている。これらの呼び方を1日の始めから書いてゆくと未明、明け方、朝、昼前ここまでが午前。昼過ぎ、夕方、夜のはじめ頃、夜遅くとなっている。
 ここで指摘したいのは夕方は午後3時からで6時から夜のはじめ頃となっている。そうなんだ。天気予報でいう夕方は午後3時からなんだと納得した。 
 もう一つ、天気予報で曇りというのは空の雲量が9割以上の時なんです。8割の時は晴れなんで、この空は曇りちゃうんけというクレー厶の電話、よくかかってきますという講師のことばが記憶に残っている。



反LGBTQ

2023年07月14日 18時53分19秒 | 社会
 現今、世界でも日本でもLGBTQの運動が一部で活発化している。わたくしは反LGBTQの立場からその運動に反対する。自分はジェンダー的に正真正銘の男性だが、いまだに独身なのでLGBTQのQに属するかもしれない。自分で自分の首を絞めているわけではないが、そしてGやBやTではない。異性に対する性欲はある。だが、それを充足させる積極的な行動力がないだけだ。消極的性格が禍いしている。その性格の身体的根拠はある。
 LGBTQ運動に賛同したらGBTと見なされるリスクがあり、実体はそうじゃないのだから迷惑だ。主観的にいってGBTは結構気色悪い。変態だと思える。本当に近所にいてほしくないし、TV番組に出演しているのも見たくない。かまタレントに嫌悪感あり。「彼」らかもしくは「彼女」らがあえてTV番組に出演する必要性が認められない。
 Bは欲張りだと批判しておく。Tの問題は身体的性徴をどうするかという具体策を検討しなければならない。
 だが芸術とか古典芸能分野では反感はない。現代の洋楽ロック界でも中性的魅力で優れた楽曲を発表しているアーティストが少なからず存在している。
 人口が減少している社会において同性婚や同性愛を公認したら、人工拡大にますます不利になるように思われる。だから隠れてコソコソやってゆけというのも横柄な主張で、日陰者のように生きていけというのも酷だ。
 自分の余生として孤独主義者でやってゆきたい。孤独や孤立を恐れず自殺をしないし、他人を攻撃誹謗中傷しない。ただ上記の嫌悪感だけは表明しておく。