アマチュア哲学者で

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続篇『物理学はいかに創られたか(上)』

2023年05月17日 11時14分05秒 | 物理学
 
 上掲の本はとりあえずおいといて前回の続きからだ。
 彼女との一件は自分の記憶違いの可能性もある。彼女と自分がペアを組む必然性が全く思い出せない、強いて挙げれば隣席同士だったぐらいだが記憶がない。だから3人か4人ぐらいのグループを組まされて彼女が代表して課題のレポートを提出したという事もありえる。自分は情けないが、そのおこぼれをちょうだいしたのだ。だとすると他メンバーの存在だが皆目、記憶がない。グループ活動の記憶がない、何せ悪いことに放置していたのだ。しかしこれらの事実は紹介本の内容と無関係なので、これ以上掘り下げないでおこう。
 1力学的自然観の勃興
 物理的常識が説明されている。慣性の法則、ざっくりいって物体は他から何の力も受けなければ同じ状態を続けるそうである。いわく等速直線運動、円運動、エネルギー保存則、質量保存則、万有引力則などが紹介される。これらはなるほどと納得できる。エネルギー=質量ともいえる。
 2力学的自然観の凋落
 ここで電気磁気光現象がとりあげられる。これらの現象は従来の古典的力学では説明できない。
 3場・相対性(一)
 この書のメインだろう。場の理論が説明される。この章まで読めば電波は電磁波であり、光は電波であり(波長の違いだけ)、この宇宙空間はその場であることがわかる。媒
体の有無にはかかわらない。空間はそんな性質を持っているのだと理解するしかない。磁石には磁力線と磁場が付随している。
 光、電波はエネルギーとしてそれが空間を伝わってゆく。電磁波というのは電場磁場電場磁場電場と互いに変換して光速で伝わってゆく。ちなみに光速はこの世の最高速度で何物も突破できない、現実に。それと光源の運動は光速に影響を及ぼさない、光速度一定則。これは光も場で生起しているからだろう。
 重力も場で発生している。物体が存在すれば重力場も存在していると理解しても大きな間違いではないだろう。しかし重力の特殊性は引き合う力だけで反発する力の存在が認められないのだ。反重力の存在が確認されないのは反物質の存在が確認されないのと軌を一にしているのではないか。即ち反物質を創れば反重力も創れて、魔法のじゅうたんも実現できそうだ。



物理学はいかに創られたか(上)

2023年05月01日 21時07分20秒 | 歴史
  この本はぼくが大阪府立布施高校生だった時、物理学科目のサブテキストに当時の物理学教師から指定された必読文献だった。その教師の名前は忘れている。しかしその教え方の的確性は覚えている。
 その当時ぼくは高校の勉強を一切放棄していた悪い生徒だった。この本を読んでレポートを作成提出しなければならない課題を負わされた、ある一人の女子生徒と共同作業で。この女性というのが今でもまじまじと覚えているのだが、絵に描いたような堅物だった。おとなしくてひかえめで女性らしい性格なのだが地味な堅物だった。ルックスは十人並でぶ細工ではなかった。
 だから相手にせず、うっちゃっておいたら彼女が一人で作成して、ぼくとの連名で提出してくれた。ああ何という親切な女性だったんだ。名前も覚えていない。それでぼくの物理学の合格点は取れたと後から、当の教師から知らされた。
 そんないわくつきの岩波新書を最近読みたくなってじっくり通読した。自然科学の歴史は大学の教養課程講義によって好きになっていた。そのテキストを再読したいが正式な書名も出版社名も覚えていない。ところで数式は好きじゃないし自身の理解がおぼつかない。趣味で化学の歴史はアイザック・アシモフの同名の筑摩文庫で読んでいる。まずまず面白かった。天文学の歴史はコリン・ウイルソンの大判ハードカバーで読んでいる。この作家は無茶苦茶博覧強記だ。
 タイトルの新書は上下2巻で下巻ではアインシュタインの相対性理論が取り上げられている。さすがに高校ではそこまで必修ではなかった。
 さて上巻の感想文だが疲れてきたので次回に譲る、楽しみに待っていてください。しかしぼくの高校時代は最低だったなあ。もうちょっと真面目に勉強していたら、その後の人生は変わっている。こんな思い出話は書けなかった。
 岩波新書では高校世界史の授業で『中国の歴史(中)』を教材にしたこともあった。これには自分が中心人物を演じた実に嫌な思い出がある。今でもトラウマが残っている。この出来事は書いても可だが、意欲的に書けない。