中高年からの永易流紀州釣りを極める?「いけしゅ」のクロダイな日記(仮)

合唱,Win95,Webページ,MIDI,PC自作を経て黒鯛の紀州釣りで団子団酒田支部を名乗る男の放談(訳ワカラン)

ラーメンというより「中華そば」世代の私(支那そばほど古くはない)その2

2006年02月12日 | ラーメン日記,ていうか中華好きっス(仮)
中華そばと言えば地元の「巳の家」とデパートの大食堂しか知らない私だったが,中学生になり,偶然友人宅の隣にあった「三日月軒本店」の味を初めて知り,唖然とする。食べたことのない質のラーメン(というか中華)だったのだ..って,うらやましい位に絶好のロケーションでしたね。確かお盆にそのまま乗せて運んでくれたような..「出前」って感じではなかったです(笑)

(注)三日月軒の本店は,数年前に閉店してしまいました。その味も記憶にはありますが,のれん分けした三日月の他の支店の味を少しずつ説明させていただくことで,了解いただきたいと思います。

たまたま地元新聞社が主催する山形県縦断駅伝が母校である中学校の前を通り応援していると,必ず三日月軒本店のオヤジ(たぶん今は亡き?←勝手に殺していたらゴメンナサイ!)が職員室にドンブリを回収に来て,私たち全校生徒の応援を(なぜか)浴びて,バイクで手を振っていた(キケン!(笑))
たぶん,彼は,そのことが快感で,年一回のチャンスを外さなかったのではあるまいか(笑)

高校生となり,三日月軒通いも,本店でなく通学途中の相生町支店がメインとなる。
あと,酒田E高校角を曲がった「はなや」(閉店しました,残念!)で「コーンラーメン・しょうゆ・ネギなし」を食べていた。
味は単調ながらも良い味で,人の良いオヤジは「E高生から頼まれてメニューを作ると良く売れる」とか言って,いろいろチャレンジしていたようだ。
ココのオヤジも,私の卒業後にはリタイヤし,子供をおんぶする姿は見かけたが,ラーメンを食べさせてもらえる機会はなかった。

て話だけで終われば「懐かしくて美味しい話」だけなのだが,もう一言..後で「ラーメンかくあるべき」みたいなことを書こうと思っていますが,とりあえずは過去のこと..

酒田には,ラーメン屋(厳密には「中華そば屋」か?)が沢山あり,かなりの割合で店名に「月」の文字が見られます。
あちこちで書かれ(たぶん事実であるが)伝説となっているのが「大正十年代頃に屋台を引いていた中国人のそば屋(当時は,たぶん「支那そば」)が酒田のラーメンの起源で,その名前が『三日月軒の元祖』」という話です。

実は,これに相似する話として「米沢ラーメンの元祖は,大正の末頃に屋台を引いていた中国人のそば屋である」というものがあります。
そして,米沢で聞かれる更なる話としては,「その中国人から教えを受け,米沢ラーメンの祖となった日本人の弟子が喜多方に戻ってそば屋を始め,それが今日の喜多方ラーメンの祖となった」というもの。

なるほど,そうしてみると,酒田と米沢という,県内で最も遠隔地にありながら,ラーメンの起源が似ていて,さらに喜多方と来れば,いわば「ラーメン全盛?の現在の礎となった話を聞けば,名の通り中国人が苦労して基礎を築いてくれ,引き継いだ日本人がそれを広めた『時代を越え愛されるクラシック音楽のよう』」であると思う。

そうした心は「月」の付いた店のほか,高校時代にお世話になった「はなや」の主人のような人が一生懸命に愛されるラーメンを作り続けてくれ,ずっとずっと美味しい思いをさせてくれているのだ,と感謝るばかりだ。

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