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今日の一貫

勤労観の養成 産業教育審議会

6月20日 朝から宮城県の産業教育審議会

農業高校や商業高校の今後のあり方に関する諮問への対応。
諮問の背景には、社会ニーズとして普通高校と職業高校の違いはなくなってきたことがある、

論点は二つではないか。
一つは、職業観や勤労観を教育の重要な柱とすべき時期に来ていること。
もう一つは、職業高校でこれまで教えてきたスキルの教育をどうするか?

後者は教育のツールの問題。前者が本質か?

専門高校は戦後高度経済成長時代以降、なんだかんだといっても受験序列の後の方に位置づけられてきた。それは審議会で出された中学の先生達の意識にくっきりと現れている。
それまでの専門高校は地域の職業人・教養人を排出していた。それが高度成長時代に変質していったのだ。

受験序列に位置づけられる専門高校はもはやいらないのだろう。また普通高校も、どの学校も金太郎飴で、何の特徴もなくなってしまった。

「規範や道徳」「職業観・勤労観の育成」「達成感の教育」「地域との結びつき」「多様性の容認」こういった専門高校の特徴を、如何に一般化するかが課題であろう。
この様な特徴は、まさにこれからの教育として一般性をもつものであろう。

こうした教育を専門高校でやる、とする必要があるのかが課題。
むしろ専門高校のコンセプトの普遍化が進んでおり、普通高校でも必要とされ、こうした教育内容の一般化が必要なのではないか?

他方企業はグローバルな時代に備え、即戦力が星野だろう。介意塚・平等化した人材より、何か一つ特徴があった方がいい時代だ。中途採用の方がいいということもある。転職を美徳、キャリアアップとする風潮もでてきた。スキルは社会で磨くもの、これが今後の合い言葉となろう。

今後の職業教育の要諦は、社会との接点を持つこと。具体的には、社会・職業教育のカリキュラムをどの様に作るか、であろう。

イギリスは、サッチャーのもとで、海外へ行け、専門教育をせよ、をスローガンに教育改革をせまった。

社会と教育の切り結び方が大事なのだ。
殖産興業の近代社会では、読み書きそろばんの基礎を教えれば、後は企業が教育するから、といったシステムで、啓蒙主義的に詰め込む教育が行われた。理性を磨くバーチャルトレーニングの場が学校だった。

だが、脱近代社会の今日、「読み書きそろばん」は自分でするものに変わってきた。教育はコンテンツが重要になってきた。コンテンツの一つに職業感の養成がある。実習や、体験といったリアリティのある教育の必要性がいや増しているのだと思う。

社会にあまりいいイメージを持たれなくなった専門高校のネーミングはそろそろ変えるべきだと私は思っている。介護を専門的に教えるという特徴を持った普通高校。会計やマーケティングを専門的に教える普通高校、自然や農業を専門的に教える普通高校、といったのが必要になってきているのではないか?
また現在の普通高校へ、職業間を養う教育をいかに浸透させるか?が必要になってきているのではないか?

普通高校の専門学校化、専門高校の普通高校化、がこれからの高校教育だと思うのだが、
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