今日の一貫

食料自給率には気をつけろ、食料自給力、供給力政策への転換を示唆 石波大臣

新聞等では報道されてないし、また農業新聞等は全く無視しているが、石破農水大臣が「食料自給率」という言葉は気をつけて、使う、との見解を示している。

この秋、農水省と全国農協中央会は、多額の予算措置を講じ、全国の地方紙と共同して「食糧自給率向上キャンペーン」を展開している。
市井の人々が軽く、「食料自給率向上を」というのは良いとしても、これには裏があることを認識しておくべきだろう。
それは消費者啓蒙による農業予算の獲得運動だ。
その予算、キャンペーン予算の流れでもわかるように農業団体に流れている。

しかし、共催している農業団体に農業の成長を考えろといっても、無理な状況にあることは皆知っていること。
そこで、食育等食べ方を啓蒙普及することによって食料自給率向上を図ろうと考えている様だ。
食べ方を変えれば、食料自給率は向上する。
そこで、「地産地消」や、「国産農産物」「地域ブランド」など誰も否定できないようなスローガンをこうした脈絡で使ってくる。
これらのスローガンを語るのは悪いとも思わないが、それを「食料自給率向上のため」と言う、、これは如何だろうか?

「食料自給率向上」を語るのは、食べ方の改善ではなく、「国内食料自給力の向上」にあるというのが、本来の趣旨だし、通常の認識。
しかし、その本来の趣旨が、「食糧自給率」という言葉を使う事によって逆に見えなくなる。ましてや国民運動になるとなおさら、、。
この秋のキャンペーンに参加してみると良い。
農業に関しては、せいぜい「農家を大切にしましょう」、「農家や農業を、私たち消費者はもっと理解しましょう」、「私の近くの専業農家は、、」といった言説しかとんでこない。農業のビジネスモデルをどうするかなど、聞いたこともない。

もっともこうしたキャンペーンは、ご遠慮させていただいてるので、そんなに情報があるわけでもないが、、。

前にも書いたが、「食料自給率」概念は非常に曖昧な概念。いか様にも解釈できるしろもの。ましてや国民運動にするとどの部分を強調されるかわからない。現在のような、消費者啓蒙、予算獲得運動などが典型。
だからこの言葉、できるだけ使わない方がいい、いや使うべきではない、、が、私の主張。
私は、基本法制定の際にも、この言葉を入れるのには懸念を示したし、ましてや農政目標にするのには反対した。

こうした主張に、最近は、「日経ビジネス」や、「農業経営者」など賛同してくれるマスコミも現れたが、しかしまだまだ少数派。


だがしかし、やっと農水省の中枢に、同じ意見を持つ農水大臣が出現した。
石波大臣。
9月25日の就任会見で次のようなことを語っている。
これが今後農水省の中でどの様な政策になっていくのか、、注目されるが、短期政権なのが惜しい。、

要点
①食料自給率という言葉は気をつけて使わなければならない。
②自給率という数字に拘泥するのではなくて、それはあくまでも結果の数字だ。
③国民がどういう食生活を選択するかということで、自給率は上がりも下がりもする
④日本の恵まれた条件を、我々は活かしていない、
⑤大事なのは、自給力というもの。これに輸入というものを組み合わせれば、供給力という言葉を総合的に使うことになるのだろうと思う。

つまり食料自給率を政策目標にするのではなく、食料供給力の向上を目標にすべき、という、、私たちにとっては至極真っ当な主張。


以下農水省ホームページより引用
大臣
ご指摘のとおり食料争奪戦みたいなことが起こっておると。砂漠化もどんどん進んでいるという現状、そして水が少なくなっているという現状、そういうことにはかなりの問題意識、相当の問題意識を私自身持っておるところでございます。
基本的に、私は自給率という言葉、先ほども気をつけて使ったつもりなのですが、自給率は、あくまで結果の数字であるということだと思っております。つまり、国民がどういう食生活を選択するかということで、自給率は上がりも下がりもするわけであって。
私がすごく印象的なのは、この話はあちこちでするのですが、総括政務次官の時に、2000年に、いろいろな国に対して日本のWTOにおける立場をご理解いただきたいということで、私セネガルに出張をいたしました。アフリカの最西端の国であります。そこの農業大臣と話をしている時に、自給率の低い同士共闘しようではないかという話をしたところ、彼が言うには、日本とセネガルは自給率が低い理由が全然違うのだと。セネガルはお金が無くて、ダムもできなきゃ、灌漑排水もできなきゃ、土壌改良もできなきゃ、品種改良もできなくて、お金が無いから、外国から食料を輸入せざるを得ないのだと。
日本の場合はそうではないだろうと。灌漑排水ができないわけではない、ダムができないわけではない、土壌改良ができてないわけではない。それは、おたくの国が豊かな食生活をしたいという政策選択の結果なのだろうというのには、私はものすごい衝撃を受けた覚えがございます。
私はやはり、基本的に、自給率という結果の数字ではなくて、農地面積をどう確保するか、そして日本の土壌というのは、ヨーロッパの土壌に比べれば、遙かに恵まれた土壌にあるわけです。それだけ雑種等が繁殖するということは、もちろん承知の上で申し上げておりますが、豊かな土壌、そして急峻な傾斜を持っているが故に、連作が可能な水田というものを持っているということ。この日本の恵まれた条件を、我々は活かしていないのではないか、ということが根幹にはあるわけでございます。
ですから、私は自給率という数字に拘泥するのではなくて、それはあくまでも結果だと。大事なのは、自給力というものだということだと思います。これに輸入というものを組み合わせれば、供給力という言葉を総合的に使うことになるのだろうと思いますが、そのあたりは、精神論に出すのではなくて、根幹からちゃんと議論したいと。ただ、日本の農業というのは、極めて諸外国に比べて恵まれた条件にあるのだよ、という認識を、我々日本人はちゃんと持たなければいけない、そういう考えを持っております。

コメント一覧

えびはら
>(貿易や投機で得られた有り余る収益を労働(農業労働も)賃金も含む庶民や産業(地方自治体にも)に公平に再配分する)ことでも随分変わるのでは≫と思いますが、いかがでしょうか。

国境関係なく資金は動きますし、その再配分の機能を有する
国家があるとすれば、おそらくその国を資金はパスして他の
国へ移動して行くことになるでしょう。それと同時にその国内に
既に存在している資金も他の国へ移動を始めることになるでしょう。

つい先ごろまでの日本がそういう状態にありました。

それと、働かずして配分がなされる仕組みは人を腐敗させます。それが拡大すると最終的に国家まで腐敗します。
これも今の日本を見ればわかりやすいかと思いますが。

大事なのは、個人なり企業なりが努力する事と、それを
支える仕組みで、それを公平な形で保障する。という事が大事です。

地方自治体にはコスト意識が存在していません。
内輪(役人内部)の縄張り争い・内輪の為の利益配分
(税金・裏金等々)・人事
法に適合させる為だけに最大限労力を掛ける姿勢・
リスクは一切背負わないマイナス思考。
結果市民が享受すべき利益が失われている。
逆に負担が増える始末。

そういうところに何らかの配分が成される事は
無駄を生み出すという意味以外なにも齎さないのです。

当然努力して市民サービス向上を達成している自治体もあります。そういうところにのみ配分が成されるという事は必要でしょう。

公平に分配という事はいけません。
努力した人・企業・自治体に更に努力してもらえるよう
努力しないそれらには撤退を促すような制度運用がなされる
べきかと思います。
えびはら
これもまた地方の方特有の拡大解釈といいますか、ありがちなパターンが見て取れる訳ですが、ぱっと目に付きやすいものにいきなり傾斜してものごと捉えてしまう。そして大事なものを見失う・・・。多いですよそういう御仁。

観光立国・観光立県というフレーズは行政の予算獲得の為のものでしかなく、観光は地域産業基盤としては機能しません。例に挙がっているフランスですら観光がGDPを占める割合は6.6%に過ぎない。
観光で国は立たないんです。どこかの南の小島なら別でしょうけれども。

それに新聞などでは観光ネタがよく取りざたされますが、内情は惨憺たるもので、予算獲得するためだけに動いているとか、
極々一部の方だけが精力的に動いていて、全体としてなんだかよく分からない状況になっているとか、動きは派手に見えるけれど尻すぼみとか、結局集まって酒飲むのが趣旨なんて事例ばかりですね。特に飲み会やる為に何ヶ月も時間を費やすとかいうパターンが多すぎる。時間の無駄でしかない。


とある有名な地域振興仕掛け人が述べていた台詞ですが、
たった1日のハレの日の集客は大成功に終わったが、問題は
残る364日のケをどうするか。
非常に悩んでおられている訳ですが、それは地域基盤となる
製造業や農業といった産業をいかにもりたてていくかという事
以外対応の手法は無いわけであって、日常的にいかに良いものをしっかり作り、高く販売して行くかという地味で目に付きにくいけれども地に根を張ったしっかりとした基盤を作り上げるという事を国全体でしっかりやっていかねばならないし、それ以外は無い訳です。

そういう基盤がしっかりしてこそ、生活文化が継続され、それがめぐりめぐって観光コンテンツとなりう訳で。

>5~10年以内に観光省が出来ると思いますよ。

国交省の利権の範囲と天下り先がまた一つ増えると。
カンベンしていただきたいのですよ。そういうのは。
上記のように地盤が固まっていないのに省庁が増えても
沈むだけです。
地方の米屋
えびはらさん

そうですね、貴殿がおっしゃるとおりですね。




土大好き人間さんへ

観光立国。
イメージするのはフランスやスペインです。
フランスは年間7000万、スペインは5000万の外国人訪問観光客数があります。日本は現在世界30位あたりで800万。日本は世界に誇る伝統文化、美味しい和食、景観の美しさと、素晴らしい観光資源をもっています。つまり、もっとも内需を喚起する成長産業としての伸びシロがあるんですね。今まではPR不足で外国人観光客が少なかったですが、PR次第で面白くなります。フランスでもスペインでもそうですが、観光客の多くが地方に行った時に、土地の人からうける暖かいもてなし・農村風景が一番感動するそうです。(ちなみに私は英伊米印韓中シンガくらいしか経験ないですが)つまり、観光立国を目指すなら地方の農業の活性化が大切なのです。私の予想ですが、5~10年以内に観光省が出来ると思いますよ。

土大好き人間
都市消費者からも一言
えびはらさんと地方の米屋さんの議論から

私は、生まれ(家の前に道は土だった)も、育ち(いつの間にか道はアスファルトになった)も大都市の消費者です。

(えびはらさんの)「国民の利益を最大化するために食の生産・供給はどうあるべきか、日本はどういう産業構造で、何で飯を食っているのかという観点から発想し、我々生産者は何をすべきかをしっかり考え行動しなくてはならない。」

⇒「~という観点から発想し・・・」は≪まさにその通り≫
⇒同時に、≪生産者だけでなく、費者もしっかり考え行動しなくてはならない。いまこそ、一緒に考え合えるときだ≫と思います。※その考えあうテーマは、次回に書かせていただきます。


(えびはらさんの)「自分達だけは特別で守られなければならないとかいう発想は世の中では全然通用しません。」

⇒(米屋さんの意見は)「自分達だけ~」とは全然、思いませんが、≪行き過ぎた金儲けをしている一握りの法人・人をますます保護(助長)する政策には反対です。ごく普通にまじめに働いている人同士が対峙するのではなく、協働しあうとき≫と思いますが・・・。いかがでしょうか。


(えびはらさんの)「どんな業態でも社会的存在意義を磨き続ければ存続が可能となり、怠れば不可能となる。」

⇒≪まさに同感です≫


(地方の米屋さんの)「貿易立国の日本。これこそが日本経済の脆弱性の根源なんですね。高度経済成長から今日に至るまで日本を支えた事は事実として、今では逆にその外需依存体質の弊害が大きいようです。私はこれからの日本は内需を喚起する観光立国の視点が非常に重要だと思っていますし、それこそが農業の再興に繋がると考えています。」

⇒私には≪観光立国というイメージはまだ持てないですが、内需喚起というか、庶民のふだんのくらし(食をはじめ、医療や福祉、教育など)がこれから先も安心できるような産業にシフトする(貿易や投機で得られた有り余る収益を労働(農業労働も)賃金も含む庶民や産業(地方自治体にも)に公平に再配分する)ことでも随分変わるのでは≫と思いますが、いかがでしょうか。


えびはら
Unknownさんに一票。
ある種独特の正義感と不適正な現状認識が入り混じって
何か混沌とした出力が成されてしまっている事に気づかれた
方が宜しいかと思います。

商社が莫大な利益を手にするのは当たり前です。
資源分野に投資して成長させてきたし、そもそも、資源相場が
需要拡大と投機マネー流入でつり上がるという現象が発生したのですから。経済環境がそれを発生させたのであって商社が国民を苦しめた訳ではない。

観光は内需拡大に寄与しません。
沖縄ですら、年間の県全体の生産額における観光が占める
割合は13%程度でしかない。他の県でこの数値を超えられる地域って殆ど無いでしょう。
それに、この激しい株安で、旅行業のマーケット自体著しく
縮小した事でしょう。

農業生産者の中で観光にシフトできる経営体は殆どありません。農家が運営するタイプの農業は今後どんどん疲弊し、破綻と言えるところまで行くでしょう。それを跳ね除ける要因が無いのですから当たり前です。国内農業の再興は農家が死滅した後に企業等が参入しようやく始まるでしょう。
そうならざるを得ない環境になっていますので。

モノ言うのなら、思い込みではなくそれなりのデータに基づいて
判断してからにするべきだと思いますが
Unknown
地方の米屋さんは、使命感を持ってikkan先生のストーカーをやってるようだね。しかし、正直、レベル低すぎ。
市場原理もソロスの位置づけも支離滅裂。
大手輸入商社だとか、流通業者だとか、自分が痛めつけられてるからそういうのかねー。社会的センスも、経済学的素養もない感じだねー
つける薬はないようだが、あなたに足りないのは、きちんとしたディスカッションのようだ。
地方の米屋
えびはらさん

供給力を伸ばそうと聞いて、一番誰が泣いて喜ぶか?大手輸入商社です。昨今の原油高穀物高で大手輸入商社の売上げ利益ともに過去最高でボーナスは何百万何千万だったそうですよ。大手輸入商社だけが大儲けした結果、一般国民は生活が楽になりましたか?漁業関係者は潤いましたか?ちょっと想像して下さいね。

貿易立国の日本。
これこそが日本経済の脆弱性の根源なんですね。高度経済成長から今日に至るまで日本を支えた事は事実として、今では逆にその外需依存体質の弊害が大きいようです。
私はこれからの日本は内需を喚起する観光立国の視点が非常に重要だと思っていますし、それこそが農業の再興に繋がると考えています。

市場原理主義者、新自由主義者。
市場から、君たちもういいよと言われているのが彼らですね。その教祖であるジョージ・ソロスもかなり以前から市場原理なんて信じている経済学者がいたら教えて欲しいと言っているくらいです。日本では未だに市場原理だなんて言っている方がいると思うと情けなくなります。
えびはら
石破氏の冷静かつ客観的な現状認識には感服いたすところであります。僕は以前より日本の貿易立国としてのスタンスを考えれば食料調達力100%の確保が大事であってカロリーベース自給率のみを考える事に意味は無いと事あるごとに述べてきましたが、まさか政権内部よりその声が聞こえてくることになるとは思っていませんでした。しかし、トップが如何に合理的判断を下そうと問題は組織がそれを受け入れるのかどうか。
正しい政策を運営させる為には今後相当な紆余曲折が待ち受けているものとは思いますが、防衛省の時のように、内部の改革から是非頑張って頂きたいと願うところです。

地方の米やさん

地方の農家がよく言う台詞そのままですね。
日本の農業とか責任範囲を拡大した言い方をするものの
結局自分達の食い扶持しか考えていないのが聞いていて
うんざりするわけです。

国民の利益を最大化するために食の生産・供給はどうあるべきか、日本はどういう産業構造で、何で飯を食っているのかという観点から発想し、我々生産者は何をすべきかをしっかり考え行動しなくてはならない。

自分達だけは特別で守られなければならないとかいう発想は
世の中では全然通用しません。

どんな業態でも社会的存在意義を磨き続ければ存続が可能となり、怠れば不可能となる。

今農業が、というより農家が衰退しているのは何故ですか?
自分達の存在意義を高める努力を怠っているから衰退し続けているのです。それを自給率でもって隠蔽するようなことは避けるべきですね。
龍馬の父
国産食糧消化率では・・・
地方の米屋さん、いつながら正しいご意見有難うございます。
安全な食糧に対して、事あればいつも同じ色の絨毯の上に居ながら「政府の責任」ばかりを声高に喚きながらも、事実中国に対しては全く物言えぬ売国議員どもにはもううんざりです。自分達は先の人生がたいして無いから、毒入りを食べて当ろうが、死のうが構わないが、将来のある子供達への食育にはもっともっと配慮すべきではないでしょうか。「自給率」という言葉に懸念があるとすれば、「国産食糧消化率」とでも言い直したらいかがでしょう。仮に今後耕作面積を増やして豊作豊漁になったとしても、日本人の優れた二次加工技術を持ってすれば災害時緊急支援保存食糧形態への(※例えば、フリーズドライ化、缶詰化等)加工等、それこそ世界市場に日本の農業製品が広がると思いませんか?
地方の米屋
「食糧自給率なんか関係ネー」と声高に主張しているのは、
経済財政諮問会議の財界の連中だけですね。農家も消費者もそんなことを言う人はいない。

彼らは、「輸入農産物の関税を0%にしても、自給率は12%もある。だから問題ない。残りは供給力で海外から輸入すれば良い」と売国発言を平気で言っています。

自社商品を海外へ売るためだったら、日本の農業なんかどーなってもよいという自社利益中心、農業軽視の本音を露骨にあらわしています。

食糧自給率という数字があるのが彼らは嫌なんでしょうね。農産物の輸入関税率が下がらなくなるから。今でも世界で2番目に関税率は低いのにね。

食糧自給率目標は、とても大切な数字ですね。
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